地雷


「えっ、来週一週間夏休み。一体どこへ行くんだね」
 翌日、菊池が小林課長に夏季休暇取得申請書を手渡すと、小林は不服そうな表情を浮かべ訊いた。
「実は、実家の母が脳梗塞で倒れ入院しました。容体が悪いそうです。申し訳ありませんが休ませて下さい」
 菊池が頭を下げると、小林の野太い声が頭上から聞こえた。
「そりゃいかん。確かお前のお母さんは東京だったな」
「そうです。私も元々東京に住んでいましたが、大学が群馬だったのでそのまま就職したんですよ」
「ああそうだったな。でも、お前のお母さんはまだ若いだろう」
「今年で五十七歳になります」
「分かった。充分親孝行してこい。どうだ、意識はあるのか?」
 菊池は内心でガッツポーズをした。こんな見え透いた嘘はバレるのではないかと昨夜から危惧していたのだ。
「はい。意識は昨夜戻ったと病院から連絡がありました」
 小林はなおも訊いた。
「お前は父親は、もう既に亡くなっていたよな」
 菊池は軽く頷いた。
「ええ。三年前に胃がんで亡くなりました。これといった親族も亡くなっています。母だけが頼れる親族です」
「なら、来週なんて言わずにこれから病院へ行け。仕事は、俺や村尾で何とかするから」
 小林は村尾主任を呼んだ。
 村尾は、ペットボトルの麦茶を一口飲んでから、課長席の許へやってきた。
 小林は、村尾にこれまでの菊池とのやり取りを掻い摘んで話した。
 村尾の笑顔が消えた。村尾が菊池に言った。
「そりゃあ、係長、すぐに病院に行ったほうがいいですよ。仕事は何とかしますから」
 菊池は、小林と村尾を等分に見ながら言った。
「ではお言葉に甘えて早速失礼します。で、再来週から出勤ということでよろしいでしょうか?」
 小林は黙考した。しばし沈黙が支配する。窓口での行員と客とのやり取りが遠くで聞こえた。
 しばらくして小林が言った。
「菊池は、母親しかいないんだ。だから大事にしろ。とりあえず今日が水曜日だから今日から金曜日までの三日間は有給。来週は夏休み。その後も容体次第では付き添ってやれ。その代わり電話で報告しろよ」
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