シュガーとアップル
3
◇
「ヘンドリック、クロワッサン追加15個!!」
「わかってる、そろそろ強力粉が切れそうだぜ。昼まで足りるか…」
「午後になったら追加が届く。それまではなんとかしな!」
「なんとかって、無茶言うなよ!」
忙しなく厨房に響く2人の会話を聞きながら、ハンナもアップルパイの生地に素早く卵黄を塗っていく。
今日のベーカリー・シュガーは、いつにも増して忙しい。
お昼時に近づいたこの時間帯は、いつも厨房もカウンターもてんてこまいだ。マルレーネの容赦ない追加指示を完璧に対応していかなくては、お店に並ぶパンはたちまち空っぽになってしまう。
いつもならこの忙しい時間帯は、ベテランのマルレーネとヘンドリックが厨房に回っているのだが、今日はアップルパイの売れ行きがいつもより多い。そのためアップルパイ担当のハンナが厨房に交代した。
ハンナにとっては自分のパンが売れて嬉しいことには間違いないが、まだスピードを求めるには経験が足りない。
ヘンドリックに助けてもらいながらなんとかしがみついているが、他のパンの仕上げも並行して進めていかなくてはいけないため、ハンナは目が回りそうだった。
キーン!とクロワッサンの焼き上がりを知らせるベル音が鳴り響く。
「よし、ハンナちゃん、クロワッサン持っていってくれるかい?」
ヘンドリックはクロワッサンの生地を引き伸ばす手を止めずに、無精ひげの生えた顔をにかっと笑わせて言った。
「ついでに今日のお客の顔ぶれも見ておいで。ハンナちゃんと話したがってる連中も多いだろうからさ」
「でもやることがまだ…」
「いーからいーから。ほんの5分くらいの気分転換さ。そういうの大事だよ」
ヘンドリックは片目をぱちっと閉じてウィンクして見せる。
ハンナは小さく笑った。
早くもへばりつつあるハンナを気遣ってくれているようだ。
オーブンからクロワッサンを取り出し、トレイに取せられる分だけのせる。
焼き立てのクロワッサンから、香ばしいバターの香りが鼻をくすぐる。
(いい匂い…! それにすごく色もいいし、形も綺麗。さすがヘンドリックさんだな)
どのクロワッサンも同じ形、同じ色、同じ大きさ。均等でかつ美しい。
ハンナにはまだとても真似できない職人技だ。
「すごく美味しそう。きっとすぐにまた売り切れちゃいますよ、ヘンドリックさん」
思わずハンナが言うと、ヘンドリックは誇らしそうに胸を張る。
「昔務めてたレストランで散々特訓したからな。今日はまあまあかな。これが上手く焼けるうちは、マルレーネも俺を用済み扱いしないだろう」
ヘンドリックは、ハンナがこの店にやってくる前からマルレーネと共にパンを焼いている。
マルレーネとヘンドリックは共に同い年で、2人とも今年で38になる。
はたから見ると夫婦に見えなくもない。けれど実際は、マルレーネ曰く「ただの腐れ縁」だという。