God bless you!~第13話「藤谷さん、と」
キクチタケオくんが泣いてるよ
12月24日。
クリスマスであり、終業式でもある。
バトルを明けた、昨日の今日だった。
だから今日もバトルだと思って、俺は構えた。
『朝。駅。ちゃんと来い』という素っ気ない命令メールを送ったにも関わらず、右川から、『喜んで~♪』と無邪気に返事が返って来る。
期待はずれが過ぎて、こっちはスマホを取り落とす所だった。
だがその後、素直に待ち合わせにやってきたと思ったら、これまた一言も喋らない。仲直りのきっかけにと思って買っておいたチョコレートを1つ渡すと、それを引っ手繰るように取り上げて、もぐもぐとやる。
もう1つ出すと、またかっさらって、もぐもぐ。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……これ、何?
まるで餌付け。
「仲直りじゃないからね。これはあくまでも一時休戦でげす」と、まるでいつかの永田と似たような事を言い出した。喋るからいいってもんでもない。
俺達のクリスマス。
剣持が、家の会社の関係、近くのホテルの一室を貸してくれるという。
「グレードはそこそこでも部屋は広くて綺麗だから。クリスマス・プランで、料理は勝手に頼んじゃったけど、後はどっちも美味しく頂いてくれ」
最後のそれは、どことなく含みを持たせてくれた。
剣持がここまで頑張ってくれたのは、「折山が、すっげー気にしてるから」
聞けば、折山は、「このままカズミちゃんが沢村くんと口利かないなら、私もカズミちゃんとは口利かない」と右川に半絶交宣言したと言うから驚く。
そこまでやるか。だからというか、右川はあっさりと今朝の待ち合わせを受け入れたのだ。ほんと、いい子を見つけてくれたよ。剣持も、右川も。
何か起きた時、心配するだけの輩は結構要る。だが具体的に何か動いてくれたとなると、そんな輩はなかなか居ない。
剣持と折山は、最高スペック同士、お似合いのツーショットである。
「折山ちゃんたちはね、クラシックのコンサートに行くんだってさ」
「へぇ」
剣持も、意外とそういう分野が嫌いじゃない。
「金持ちだから、きっと良い席だろうねー」
「おまえ、そんなのが羨ましいの」
「羨ましいに決まってんでしょ」
クラシックじゃなかったらなぁー……って、聞こえるように呟くな。
いつのまにか、チョコレートを一箱、右川はぺろりと平らげている。
いつもより、何やら手荷物が多いと感じて見ていると、大きなリュックが復活、さらに真四角の箱を腕に抱えていた。
「折山ちゃんがチーズケーキ作るって言ってたじゃん。わざわざ作って持って来てくれたんだよ」
カズミちゃんは忙しいでしょ?と、折山はここでも気を遣ったらしい。
マジで頭が下がるな。
「忙しいって、そうでもないけどね♪」と右川はケーキの箱に頬ずりした。
右川を忙しいと気遣うのは、藤谷に絡んでいたから……と1度は考えたが、それには違和感がある。
あの折山がそんな遠回しな嫌味を言うだろうか。
自分の事が原因にもなっているというのに、それは無い気がした。
忙しいとは、おそらく右川の試験を気遣ってのように思う。
それを思うと、本人がそうでもないとは、適当にも程があるだろ。
試験も終わって、後は結果を待つのみ。合格は確実と思い込んで、余裕という事か。先生からも本人からも、まだどっちとも伝わって来ないけど。
そんな曖昧な状況で、こっちから掘り起こしていいのかどうか、迷う。
俺はもうしばらく様子を見よう。
終業式も終わり、仲間とパーティーだとか、明日からスキーだとか、何言ってんだ冬期講習だろ!とか、仲間はそれぞれが予定に散った後、夕闇迫る生徒会室で右川と2人、これからのクリスマスに備えている。
「本当はあの……例のプチ・ホテルを貸してもらえるはずだったのに」
思わず愚痴が出た。
クリスマスの24日。予約で一杯。そんなに良い所なら当たり前だ。
右川が、きょとんとしているので、
「ほら、いつか話しただろ。あん時に決めてりゃそこだったんだよ」
すると、「あー、あれか」と気の抜けた返事の後、「自慢かよって聞き流してたから、それどころじゃなかったよ」って、何て言い種だろう。
男の真心を、何だと思ってんのか。
「おまえは、いつか絶対バチが当たる」
自信満々、予言してやる。
生徒会室の片隅、どこかの部活が持ち込んだパネルを衝立にして、俺達は背中合わせで着替えた。
俺とのケンカは一時休戦。しかし、藤谷とのバトルは、そうではない。
終業式。体育館に整列しているうちから、もうさっそくバチバチと鋭い視線を投げ合った。
「チビなんか、死ね」
「そだね。ブス」
すれ違い様に、刺し違えて。
右川の適当にも程があるが、藤谷側もボキャブラリーの欠如が著しい。
どちらもこの所、罵り文句が直情傾向にある。全然面白くない。
どっちもツマんないぞ、おまえら。
右川は、「ね、見て♪」と急に上機嫌で来たので、パネルから顔を覗かせると、やけにダークなワンピースを掲げて見せた。
「どや。今日はこれを着るんだぁ~♪」とくる。
聞けば、知り合いを当たって急ピッチで準備したらしい。
「マックの店長に借りた。大人用だもん。長さが全然合ってねーワ」とか言ってる。だからこんなに荷物が多いのか。チーズケーキの箱もあるし。
そのワンピースだが……色合いのお蔭もあってか、チビの大人には見える気がした。言わないでおく。(正解。)
「9月に阪急で買ったスーツもあったんだけど。それはパス。バイト代奮発して3万もしちゃったんだけどね」
これ以上背は伸びない。だから思い切って高いのを買った。来年からの仕事気分が盛り上がる。どこで働くかもまだ決めてないと、のたまった。
俺は、ふんふんと聞く。
その相槌があんまり適当だと感じたのか、
「あのさ。いくら金持ち野郎が話付けてるったって、普段着でホテルなんて入れないよ。あんたは制服以外何着たっていいかもしんないけど、あたしと並んだら、ストレート45歳の親子で間違いないんだからね」
ムッときた。
だがしかし、感情を押し殺す。今日はキレないと、決めている。
「さっすが頭いいな。俺なんかより気が利いてる。それ似合うじゃん」
その反応があんまり手応え無さ過ぎと感じたのか、次には、俺の装いにダメ出しを加えてきた。
「それまさか、弟くんの?」
「そうだけど」
普通に、セーター。普通に、Gパン。
他は至って、毎年着てるジャンパーだし、マフラーである。
靴だけは、スニーカーを止めて、革靴を拝借した。これだけの事でも、普段よりは大人っぽく見える気がする。そして、この踵で、190センチの大台は確実だ。右川との差が笑えるくらい哀しい。
何で、おまえはヒールで来ないのか。
それを言うと、「だって、これ以上……荷物が多いんだもん」と来る。
色気より食い気を優先したと言え。
逆にワンピースを辞めて、ミニスカート。ケーキを抱えたランドセル姿でやって来たらば、100パーセント親子で自然にスルーが効くんじゃないか。
俺の装いを一通りチェックした右川は、「つまり、またしても、あんたはお下がりな訳だ。はいはい」と、小馬鹿にした。
「お下がりだけど、結構似合ってんだろ」
「うわ、それ自分から言っちゃうの。兄ちゃん、あんたマジか」
勃発!
いや、待て待て。
これは弟のセンスを評価した、それだけの事だ。
「あんたがセンス良いとか勘違いしてるヤツが居るから驚くよね。くそダサいのに」
再び、勃発か!
いや、待て待て。
くそダサいとは、それはもう以前聞いた事があるから、却下。
「あたし。似合うじゃん、とか言わないよ。こいつは泥棒だーって、世界の中心で叫んでやる」
もういくら消しても追い付かない気がした。
今日の俺、手が出ないのが不思議なくらいで。
1度ケンカしたくらいで、面倒が10倍にもなって返って来る彼女だった。
厄介が過ぎる。
「あ、それ!」と指をさすので何かと思ったら、
「その靴、タケオ・キクチじゃん!」と何故か怒られた。
それには相当のネームバリューがあるらしい。
「これって、かなり高価いモノ?」
「当たり前じゃん!アキちゃんなんか、欲しくても持ってないんだよっ」
あいつ……恭士は、一体どこでこれらを手に入れているのか。
バイトしていると言っても、遊んでばっかりで、それほどお金は残ってないはず。ヤバい事に手を出してなきゃいいけど。いつか追求してやる。
その靴を眺めるにあたっては、「踏んでやる。えい!」と右川は本当に踏んできた。「痛いだろ」と言うと、「汚れただろ、ってツッコめよ」と突っ込む。
仕方ないと、ゴミ箱から紙を拾って、それで一応汚れを拭いた。
それならそれで、
「あーあ、そんなので拭いちゃって。キクチタケオくんが泣いてるよ」
やっぱりムッとした。ていうか、泣かせたのは、おまえだろ。
それでもそれでも、押し殺して……。
「最近、こっちの足だけは強くなった気がする。右川のおかげで」と、ついでに、いつか蹴られた脛を撫でて見せた。今も青い痣は消えていない。
何を言っても、何をしても、今日の俺は反撃しないと決めていた。
意地でもサラッと消してやる。
ここに来てようやく、そんな様子を不自然と感じたのか、
「もしかして……キレるの、我慢してる?」
そのものズバリだ。
「それってまさか、これからの事を考えて?」
そこまでして、あたしとヤりたいのか。
目はそう言っていたが、口からは聞こえて来なかった。微小ながら、まだ恥じらいは残っているらしい。
「さぁね」
そだねー、なんて言うもんか。こっちがそれを認めたら最後、自分から負けを認めるようなものだ。俺は無言で、目ヂカラに、いっそうの力を込めた。
駅に向かう商店街通りは、いつも以上に賑やかだ。
赤と緑。色合いがぐっと深くなった気がする。
すぐ横を、キューブが1台、遠慮がちに通り過ぎた。記憶と感情が交差する。あれこれ物想いが止まらない。これまでの色々とか、これからの色々とか。
信号が赤になる。
やっと聞けると思った。
「ところで、いつ判るの」
「え?」
「試験の結果。面接で失敗しなけりゃ、たぶん大丈夫だと思うけど」
「ああ、えっと、それは今週の……」
クリスマスであり、終業式でもある。
バトルを明けた、昨日の今日だった。
だから今日もバトルだと思って、俺は構えた。
『朝。駅。ちゃんと来い』という素っ気ない命令メールを送ったにも関わらず、右川から、『喜んで~♪』と無邪気に返事が返って来る。
期待はずれが過ぎて、こっちはスマホを取り落とす所だった。
だがその後、素直に待ち合わせにやってきたと思ったら、これまた一言も喋らない。仲直りのきっかけにと思って買っておいたチョコレートを1つ渡すと、それを引っ手繰るように取り上げて、もぐもぐとやる。
もう1つ出すと、またかっさらって、もぐもぐ。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……これ、何?
まるで餌付け。
「仲直りじゃないからね。これはあくまでも一時休戦でげす」と、まるでいつかの永田と似たような事を言い出した。喋るからいいってもんでもない。
俺達のクリスマス。
剣持が、家の会社の関係、近くのホテルの一室を貸してくれるという。
「グレードはそこそこでも部屋は広くて綺麗だから。クリスマス・プランで、料理は勝手に頼んじゃったけど、後はどっちも美味しく頂いてくれ」
最後のそれは、どことなく含みを持たせてくれた。
剣持がここまで頑張ってくれたのは、「折山が、すっげー気にしてるから」
聞けば、折山は、「このままカズミちゃんが沢村くんと口利かないなら、私もカズミちゃんとは口利かない」と右川に半絶交宣言したと言うから驚く。
そこまでやるか。だからというか、右川はあっさりと今朝の待ち合わせを受け入れたのだ。ほんと、いい子を見つけてくれたよ。剣持も、右川も。
何か起きた時、心配するだけの輩は結構要る。だが具体的に何か動いてくれたとなると、そんな輩はなかなか居ない。
剣持と折山は、最高スペック同士、お似合いのツーショットである。
「折山ちゃんたちはね、クラシックのコンサートに行くんだってさ」
「へぇ」
剣持も、意外とそういう分野が嫌いじゃない。
「金持ちだから、きっと良い席だろうねー」
「おまえ、そんなのが羨ましいの」
「羨ましいに決まってんでしょ」
クラシックじゃなかったらなぁー……って、聞こえるように呟くな。
いつのまにか、チョコレートを一箱、右川はぺろりと平らげている。
いつもより、何やら手荷物が多いと感じて見ていると、大きなリュックが復活、さらに真四角の箱を腕に抱えていた。
「折山ちゃんがチーズケーキ作るって言ってたじゃん。わざわざ作って持って来てくれたんだよ」
カズミちゃんは忙しいでしょ?と、折山はここでも気を遣ったらしい。
マジで頭が下がるな。
「忙しいって、そうでもないけどね♪」と右川はケーキの箱に頬ずりした。
右川を忙しいと気遣うのは、藤谷に絡んでいたから……と1度は考えたが、それには違和感がある。
あの折山がそんな遠回しな嫌味を言うだろうか。
自分の事が原因にもなっているというのに、それは無い気がした。
忙しいとは、おそらく右川の試験を気遣ってのように思う。
それを思うと、本人がそうでもないとは、適当にも程があるだろ。
試験も終わって、後は結果を待つのみ。合格は確実と思い込んで、余裕という事か。先生からも本人からも、まだどっちとも伝わって来ないけど。
そんな曖昧な状況で、こっちから掘り起こしていいのかどうか、迷う。
俺はもうしばらく様子を見よう。
終業式も終わり、仲間とパーティーだとか、明日からスキーだとか、何言ってんだ冬期講習だろ!とか、仲間はそれぞれが予定に散った後、夕闇迫る生徒会室で右川と2人、これからのクリスマスに備えている。
「本当はあの……例のプチ・ホテルを貸してもらえるはずだったのに」
思わず愚痴が出た。
クリスマスの24日。予約で一杯。そんなに良い所なら当たり前だ。
右川が、きょとんとしているので、
「ほら、いつか話しただろ。あん時に決めてりゃそこだったんだよ」
すると、「あー、あれか」と気の抜けた返事の後、「自慢かよって聞き流してたから、それどころじゃなかったよ」って、何て言い種だろう。
男の真心を、何だと思ってんのか。
「おまえは、いつか絶対バチが当たる」
自信満々、予言してやる。
生徒会室の片隅、どこかの部活が持ち込んだパネルを衝立にして、俺達は背中合わせで着替えた。
俺とのケンカは一時休戦。しかし、藤谷とのバトルは、そうではない。
終業式。体育館に整列しているうちから、もうさっそくバチバチと鋭い視線を投げ合った。
「チビなんか、死ね」
「そだね。ブス」
すれ違い様に、刺し違えて。
右川の適当にも程があるが、藤谷側もボキャブラリーの欠如が著しい。
どちらもこの所、罵り文句が直情傾向にある。全然面白くない。
どっちもツマんないぞ、おまえら。
右川は、「ね、見て♪」と急に上機嫌で来たので、パネルから顔を覗かせると、やけにダークなワンピースを掲げて見せた。
「どや。今日はこれを着るんだぁ~♪」とくる。
聞けば、知り合いを当たって急ピッチで準備したらしい。
「マックの店長に借りた。大人用だもん。長さが全然合ってねーワ」とか言ってる。だからこんなに荷物が多いのか。チーズケーキの箱もあるし。
そのワンピースだが……色合いのお蔭もあってか、チビの大人には見える気がした。言わないでおく。(正解。)
「9月に阪急で買ったスーツもあったんだけど。それはパス。バイト代奮発して3万もしちゃったんだけどね」
これ以上背は伸びない。だから思い切って高いのを買った。来年からの仕事気分が盛り上がる。どこで働くかもまだ決めてないと、のたまった。
俺は、ふんふんと聞く。
その相槌があんまり適当だと感じたのか、
「あのさ。いくら金持ち野郎が話付けてるったって、普段着でホテルなんて入れないよ。あんたは制服以外何着たっていいかもしんないけど、あたしと並んだら、ストレート45歳の親子で間違いないんだからね」
ムッときた。
だがしかし、感情を押し殺す。今日はキレないと、決めている。
「さっすが頭いいな。俺なんかより気が利いてる。それ似合うじゃん」
その反応があんまり手応え無さ過ぎと感じたのか、次には、俺の装いにダメ出しを加えてきた。
「それまさか、弟くんの?」
「そうだけど」
普通に、セーター。普通に、Gパン。
他は至って、毎年着てるジャンパーだし、マフラーである。
靴だけは、スニーカーを止めて、革靴を拝借した。これだけの事でも、普段よりは大人っぽく見える気がする。そして、この踵で、190センチの大台は確実だ。右川との差が笑えるくらい哀しい。
何で、おまえはヒールで来ないのか。
それを言うと、「だって、これ以上……荷物が多いんだもん」と来る。
色気より食い気を優先したと言え。
逆にワンピースを辞めて、ミニスカート。ケーキを抱えたランドセル姿でやって来たらば、100パーセント親子で自然にスルーが効くんじゃないか。
俺の装いを一通りチェックした右川は、「つまり、またしても、あんたはお下がりな訳だ。はいはい」と、小馬鹿にした。
「お下がりだけど、結構似合ってんだろ」
「うわ、それ自分から言っちゃうの。兄ちゃん、あんたマジか」
勃発!
いや、待て待て。
これは弟のセンスを評価した、それだけの事だ。
「あんたがセンス良いとか勘違いしてるヤツが居るから驚くよね。くそダサいのに」
再び、勃発か!
いや、待て待て。
くそダサいとは、それはもう以前聞いた事があるから、却下。
「あたし。似合うじゃん、とか言わないよ。こいつは泥棒だーって、世界の中心で叫んでやる」
もういくら消しても追い付かない気がした。
今日の俺、手が出ないのが不思議なくらいで。
1度ケンカしたくらいで、面倒が10倍にもなって返って来る彼女だった。
厄介が過ぎる。
「あ、それ!」と指をさすので何かと思ったら、
「その靴、タケオ・キクチじゃん!」と何故か怒られた。
それには相当のネームバリューがあるらしい。
「これって、かなり高価いモノ?」
「当たり前じゃん!アキちゃんなんか、欲しくても持ってないんだよっ」
あいつ……恭士は、一体どこでこれらを手に入れているのか。
バイトしていると言っても、遊んでばっかりで、それほどお金は残ってないはず。ヤバい事に手を出してなきゃいいけど。いつか追求してやる。
その靴を眺めるにあたっては、「踏んでやる。えい!」と右川は本当に踏んできた。「痛いだろ」と言うと、「汚れただろ、ってツッコめよ」と突っ込む。
仕方ないと、ゴミ箱から紙を拾って、それで一応汚れを拭いた。
それならそれで、
「あーあ、そんなので拭いちゃって。キクチタケオくんが泣いてるよ」
やっぱりムッとした。ていうか、泣かせたのは、おまえだろ。
それでもそれでも、押し殺して……。
「最近、こっちの足だけは強くなった気がする。右川のおかげで」と、ついでに、いつか蹴られた脛を撫でて見せた。今も青い痣は消えていない。
何を言っても、何をしても、今日の俺は反撃しないと決めていた。
意地でもサラッと消してやる。
ここに来てようやく、そんな様子を不自然と感じたのか、
「もしかして……キレるの、我慢してる?」
そのものズバリだ。
「それってまさか、これからの事を考えて?」
そこまでして、あたしとヤりたいのか。
目はそう言っていたが、口からは聞こえて来なかった。微小ながら、まだ恥じらいは残っているらしい。
「さぁね」
そだねー、なんて言うもんか。こっちがそれを認めたら最後、自分から負けを認めるようなものだ。俺は無言で、目ヂカラに、いっそうの力を込めた。
駅に向かう商店街通りは、いつも以上に賑やかだ。
赤と緑。色合いがぐっと深くなった気がする。
すぐ横を、キューブが1台、遠慮がちに通り過ぎた。記憶と感情が交差する。あれこれ物想いが止まらない。これまでの色々とか、これからの色々とか。
信号が赤になる。
やっと聞けると思った。
「ところで、いつ判るの」
「え?」
「試験の結果。面接で失敗しなけりゃ、たぶん大丈夫だと思うけど」
「ああ、えっと、それは今週の……」