悪魔の宝石箱

第一話 異都

環（たまき）が坑道から顔を出すと、照りつける日差しが彼女を迎えた。

　この街の日差しは焼け付くように熱く、大人の男でも浴び続ければ半刻もしない内に倒れてしまう。だから人々は土を掘り、迷路のような坑道の中に住処を作っていた。

　坑道は、昔は何か鉱石が取れたらしいが、今は人々が行きかう通路でしかない。古くなってあちこち崩れ始めているから、事故で命を失う住民もいる。

「環、お入り。そこは暑いだろう」

　環が坑道に戻ると、岩室で住民たちが甘いお茶を飲んでいた。環にも差し出されたコップに、ちょっとずつ口をつける。

「太陽の下は神様の領分だからね。ほの暗いくらいの方が、人にはちょうどいいのさ」

　繰り返し大人たちに言い聞かされた言葉に、環はこくんとうなずいた。

　ここは、異都（いと）と呼ばれているらしい。昔、砂の海を濁流が襲ったとき、それを辿ってやって来た人々が作った街だという。

　坑道で取れた鉱石を売っていたのは遠い昔の頃。外との交易は途絶え、今は地下水脈でささやかな作物を作って、街の者たちだけで食いつないでいた。

「ほら、また日焼けして。柳石（りゅうぜき）様に叱られるよ」

　環の顔をのぞきこんで、壮年の女性が苦笑する。環は慌てて頬をこすって言った。

「ちょっと顔を出しただけなのに。お、落ちないかな？」
「日焼けは顔を洗うようにしては落ちないからねぇ。ああ、ほら。皮がめくれでもしたらもっと大事だ」
「怒られる……」
「お仕置きされてしまうわね」

　三十ほどの女性がからかうように告げると、周りの女性たちが秘めやかに目配せする。

　環はその「仕置き」を思い出して、喉が渇くのを感じた。

　周りの大人たちは、環がお尻をぶたれたりして痛い目に遭うのを想像しているのかもしれない。でも彼は子どもにするようなそういうお仕置きをしない代わりに、しばらくは彼の顔も見るのが恥ずかしくなるようなことをするから、どうしていいかわからなくなる。

「雀洞の岩盤が落ちて……」
「ああ、聞いた。家族全員亡くなったって」
「苔野の夫婦に娘が生まれたらしいよ」
「よかったね。朝灯の夫婦が息子に嫁を欲しがっていたものね……」

　環はいつものように、朗報も訃報も混じる世間話の渦の中にいた。

　ひんやりとした風が流れ込んだのは、それからまもなくのことだった。

　楽しげに談笑していた周りの大人たちは口をつぐみ、頭を低くして目を閉じる。

　人形のように動かなくなった大人たちの中で、環も目を閉じて静かにしていた。

「……環。体に傷をつけてはいけないと教えなかったか」

　冷たい手が環の頬を包んで上向かせる。独特の低い響きが、すぐ耳元で聞こえた。

　環は目を開けようとして、ためらった。十六歳になった今、息が触れるような側で異性とみつめあうのは障りがある。

　目を開こうとしない環に焦れたのか、彼は環の日焼けした鼻に湿った何かで触れた。びくっとして、環は思わず目を開いてしまう。

　碧色をした瞳と目が合った。大地のような褐色の肌と、緑がかった長い金髪も視界に入ってくる。

「陽の味がする。外に出ただろう」

　柳石（りゅうぜき）様と人々に呼ばれる彼は、この街では特異な存在だった。

　修復を繰り返して迷路のようになっている坑道を、すべて知っている。どこを掘れば水脈があるかも、逆にどこを壊せば滞った土が流れていくかも教えてくれる。

　ただ彼は王とは違う。人々は彼に訊ねることはできず、彼がふらりと現れて落とし物のように情報を与えてくれるのを待つ。

　異都に住む天使。黒髪黒目の人々とはまったく違う色彩も、年齢のわからない容貌からも、彼は尊敬と共に恐れの対象だった。

「や……」

　また鼻先をなめられて、環はくすぐったさとは違うしびれを感じる。

「……仕置きが必要だな」

　捨て子だった環を拾い、育ててくれた彼にはもちろん感謝している。けれど彼は昔から過剰なほど環を身の側から離さない。そろそろ彼の家から出て、どこか嫁を欲しがっている洞に入ると言い出したときは、半年間誰とも会わせてもらえなかった。

「ごめんなさい。もうしないから……」

　そのときから始められた仕置きを思い出して、環は彼から目を逸らしながら首を横に振る。

　彼を困らせようと思って坑道から出たわけではない。ただ母がどんな道を辿ってやって来たのだろうと、時々外を知りたくなるだけなのだ。

「もっと小さな檻にしてもいいかもしれないな」

　彼は独り言のようにつぶやくと、環を抱き上げてその頬に頬を寄せた。