悪魔の宝石箱

第六話 流星

環が食べ物を受け付けなくなって、五日が過ぎた。

 異都では初夜の翌朝、一日も早く孕むのを願って閨の中で花嫁に薬草粥を食べさせる。環はそれを一口含んだ途端にもどして、胃に何も入っていないはずなのに吐き続けた。

 体に入るものを拒むように、水も果物も飲み込めなかった。全身に発疹が出来て、ほとんど血でできた尿をひとしきり流した後、意識が濁って呼びかけにも応じなくなった。

 柳石はその間、環の体を抱いて子どもをあやすようにさすっていた。詫びることもうろたえることもなく、ただ大切な人形にするように頬を寄せていた。

 二人の洞の入り口には、毎日のように祝儀の品が届いた。人々は新たな夫婦を外に出すまいとでもするように、うず高く入り口に品を積んだ。

 閨に焚きしめる香、血止めの油。そろって禍々しい赤い紐で縛られたそれらは、異都の人々の祝福の形で、欲望でもあった。

 他人の洞で何が起ころうと構わない。けれどできるなら身震いするほど残酷で、みだらな交わりでありますように。異都の人々は夢見るように笑んで、挨拶をすることもなく洞から立ち去って行った。

 また一人入り口にやって来て、立ち去った気配を確かめた後、柳石はゆっくりと目を開いた。

 やせ細った環の呼吸を頬に受けながら、ついばむように口づける。腫れた発疹の跡が残る額をなでても、環は動かない。

「お腹が空かないか、環」

 星が最後にまたたいて消えるように、環の体はひどく熱かった。柳石は波のない調子で問うと、環を抱えたまま洞の入り口に向かう。

 蜜月の夫婦は、食料に困ることはない。もちろん異都の人々の差し出すものは、体にいいものばかりとは限らないが。柳石は先ほど置かれた祝儀が喉通りのいいものであることを期待しながら、紗をかきあげて入り口を覗き見た。

 けれどその新たな祝儀は、食べ物ではなかった。底から編み上げた、食べ物を入れるには大きすぎる籠。

 赤ん坊をあやすゆりかごの前で、柳石は足を止めた。腕に抱いた存在がそこに入っていたときを、ちらと思った。

 無心に手を伸ばして柳石に笑っていた姿が目の前をよぎる。

 瞬間、柳石はゆりかごを蹴飛ばして洞を出ていた。始めは早足だったが、次第に走り出す。

 通り過ぎた人々がいたのなら、何事かと思っただろう。いつも滑るように足を進める柳石が坑道を走っていく。それも蜜月にある妻を抱えて、まるで怒っているように前を睨みつけていた。

 けれど柳石は誰とも出会うことはなかった。真夜中、人々は自らの洞の中で閉ざされた愉しみにふけっている頃だった。

 坑道から外に出ると、黒々とした空が二人を包んだ。光のない夜、柳石は環を揺さぶる。

「どこへ行くというんだ。どこへも行けるはずがないだろう。私がお前を離すものか」

 柳石の言葉は憤りのようで、懇願のようでもあった。

「環、目を覚ましてくれ。私はお前のために綺麗なものをかき集めてきただろう?」

 唇をかんで、柳石は環をかき抱く。

「どうして私に怯えるんだ。どうして……私を愛してくれない?」

 そのとき、空を光が走った。閃光が夜空を一瞬だけ明るく染めて、遠いところに消えていく。

 後には何も残らないその様を見て、柳石の体が震えた。胸が不自然な音を立てて、指先から力が抜けていく感覚。それが環が時々話す「恐怖」だということを、おぼろげに理解した。

「……環」

 柳石は土の上に膝をついて、うわごとのように名前を呼ぶ。

「お前に宝石箱を贈った日を覚えているか。からっぽの綺麗なだけの箱を、お前は喜んでくれた」

 柳石の頬から、環の頬に一粒の涙が落ちた。

 そのわずかな水が植物の最初の恵みとなるように、環のまぶたがぴくりと動いた。
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