大阪ラプソディー
まーくん。私の大事な、大事な人。
忘れられない、大事だった人。
私はかおり。30歳独身彼氏もなし。
あっELTの持田香織に似てるって言われてるから、モテないわけじゃないよ?
でも、私には、大事な大事な恋があったんだ。。。
大阪ラプソディー?なんてね。
まーくんは、同い年のガタイのいい男の子で、ダウンタウン浜ちゃんにちょっと似てる。
ラーメン屋でバイトしてたときのバイト仲間から付き合いだした。
私が短大生の頃、一人暮らしの私の家に転がり込んできた。
まーくんはバンドマン。ドラマー。
バイトしながらフラフラ音楽やってるように見えたのか、ご家族とは不仲で、でも、いつか音楽で生きていきたいっていつも言ってた。
私は、短大を卒業して保育士になって、安い給料ながらもまーくんを支え続けた。
そんな生活は27歳まで続いた。7年も同棲して生活費は私が頑張って出して、ライブを観に行ったりしてまーくんの夢を応援した。
ライブの打ち上げに呼んでもらったり、誕生日には毎回自作の歌をプレゼントしてもらったり、バンドマンの彼女らしくて幸せだった。
「いつか、かおりに、すっごいダイヤのピカピカの指輪、買ったるからな!」
貧乏なまーくんの口ぐせ。
そんなある日、まーくんのバンドをYouTubeで見て気に入った、という東京の音楽プロデューサーから連絡があった。
「特にドラムの子がいいね。彼に魂を感じるよ。」
とのことで、大阪のライブハウスだけでなく、東京のライブハウスでもライブをやらせてもらえるようになって、半年ほどでトントン拍子にプロデビューの話が決まった。
まーくんは、大阪の私の家と東京のホテルを行ったり来たりの生活をしていたけど、プロデビューとなると、東京に住まなくてはいけない。
そんな頃、私は私で保育園の副園長の話が出ていて、大阪を離れたくはなかった。
私たちは、付き合い続けるとも、別れるとも決断できず、ずるずると連絡を取り合う仲になった。
そしてまーくんは変わり始めた。
音楽業界、というものに、芸能界、というものに、黒く、染まっていった。
自分のしたい音楽じゃなく、若い女の子たちに受けるような音楽を作り、プロデューサーの言われるがままに目をプチ整形し、ついに、同性愛者で名高いプロデューサーに一晩まで。
男とそういう関係になってまで、と、私は、変わっていく彼に別れを告げた。
バンドマンの彼の夢を応援してた頃は、こんな未来が待ってるなんて想像もつかなかった。
まーくんの口ぐせ、すっごいダイヤのピカピカの指輪は、買ってもらうことはなかった。
私の指には、おもちゃ屋で買ってくれた300円のくまの指輪があるだけ。
ネックレスは、セボンスターというチョコレート付きのおもちゃのネックレスをいっぱいもらった。
誕生日の度にくれた自作の歌は、CDに焼いてある。
28で別れて、30になるまでこんなものをまだ大事に持ってる。
こんな私を、保育士仲間の2個下の竹原くんが、まーくんのバンドのライブに誘ってくれた。
この前、保育士の飲み会で付き合ってくださいって言われて、まーくんの話をしたら、そんなら一回出会ってスッキリさせましょうって言われて。
まーくんのライブに、竹原くんと一緒に見に行くことになった。
竹原くんは子どもが大好きな、よゐこの濱口みたいなかわいい感じの子。
保育士仲間の友だち達にもオススメされてる。私もいい子だと思うけど。。。
とりあえずはライブだ。
忘れられない、大事だった人。
私はかおり。30歳独身彼氏もなし。
あっELTの持田香織に似てるって言われてるから、モテないわけじゃないよ?
でも、私には、大事な大事な恋があったんだ。。。
大阪ラプソディー?なんてね。
まーくんは、同い年のガタイのいい男の子で、ダウンタウン浜ちゃんにちょっと似てる。
ラーメン屋でバイトしてたときのバイト仲間から付き合いだした。
私が短大生の頃、一人暮らしの私の家に転がり込んできた。
まーくんはバンドマン。ドラマー。
バイトしながらフラフラ音楽やってるように見えたのか、ご家族とは不仲で、でも、いつか音楽で生きていきたいっていつも言ってた。
私は、短大を卒業して保育士になって、安い給料ながらもまーくんを支え続けた。
そんな生活は27歳まで続いた。7年も同棲して生活費は私が頑張って出して、ライブを観に行ったりしてまーくんの夢を応援した。
ライブの打ち上げに呼んでもらったり、誕生日には毎回自作の歌をプレゼントしてもらったり、バンドマンの彼女らしくて幸せだった。
「いつか、かおりに、すっごいダイヤのピカピカの指輪、買ったるからな!」
貧乏なまーくんの口ぐせ。
そんなある日、まーくんのバンドをYouTubeで見て気に入った、という東京の音楽プロデューサーから連絡があった。
「特にドラムの子がいいね。彼に魂を感じるよ。」
とのことで、大阪のライブハウスだけでなく、東京のライブハウスでもライブをやらせてもらえるようになって、半年ほどでトントン拍子にプロデビューの話が決まった。
まーくんは、大阪の私の家と東京のホテルを行ったり来たりの生活をしていたけど、プロデビューとなると、東京に住まなくてはいけない。
そんな頃、私は私で保育園の副園長の話が出ていて、大阪を離れたくはなかった。
私たちは、付き合い続けるとも、別れるとも決断できず、ずるずると連絡を取り合う仲になった。
そしてまーくんは変わり始めた。
音楽業界、というものに、芸能界、というものに、黒く、染まっていった。
自分のしたい音楽じゃなく、若い女の子たちに受けるような音楽を作り、プロデューサーの言われるがままに目をプチ整形し、ついに、同性愛者で名高いプロデューサーに一晩まで。
男とそういう関係になってまで、と、私は、変わっていく彼に別れを告げた。
バンドマンの彼の夢を応援してた頃は、こんな未来が待ってるなんて想像もつかなかった。
まーくんの口ぐせ、すっごいダイヤのピカピカの指輪は、買ってもらうことはなかった。
私の指には、おもちゃ屋で買ってくれた300円のくまの指輪があるだけ。
ネックレスは、セボンスターというチョコレート付きのおもちゃのネックレスをいっぱいもらった。
誕生日の度にくれた自作の歌は、CDに焼いてある。
28で別れて、30になるまでこんなものをまだ大事に持ってる。
こんな私を、保育士仲間の2個下の竹原くんが、まーくんのバンドのライブに誘ってくれた。
この前、保育士の飲み会で付き合ってくださいって言われて、まーくんの話をしたら、そんなら一回出会ってスッキリさせましょうって言われて。
まーくんのライブに、竹原くんと一緒に見に行くことになった。
竹原くんは子どもが大好きな、よゐこの濱口みたいなかわいい感じの子。
保育士仲間の友だち達にもオススメされてる。私もいい子だと思うけど。。。
とりあえずはライブだ。
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