私達の世界はタイトル未定。
話を遡ると、そもそもこれらの厄介な症状が出たのは、小学六年生の秋の日だった。
その時、私は運動会の応援リーダーになっており、練習の日々の中、一方で私立の中学を受験しようと毎日塾に通っていた。
他にも、受験に有利になるようにと、ピアノに習字、陸上を習っており、当時は多少辛くとも充実した日々を送っているような気がしていた。
本音を言えば、私は、“何でも一生懸命頑張る”私のことが好きだった。
テストはいつも100点、両親は鼻高々だと上機嫌で、嬉しそうな両親を見る度に、私もそれを誇りに思っていたと言える。