あの日のことを

「千華子(ちかこ)お皿を運んで〜」

とリビングでくつろいでいた千華子に
母(郁 いく)は言った。

千華子はお箸と5皿取り出し、
テーブルに並べた。
母がお鍋をテーブルに置くと、
千華子は書斎に居る父(孝之 たかゆき)と、
宿題をしていた妹(佳子 かこ)を呼んだ。

千華子は寒い夜に
家族みんなでお鍋をつつくのが大好きだ。
特に普段は強面なお父さんが酔って
おちゃらけ、家族みんなが笑うからだ。

千華子はさっそく父にビールを注いだ。
中学2年生の佳子は
好きな具材を選んで自分のお皿に入れている。
「お姉ちゃんの分も入れてあげる」と
お母さんに似て優しい。

母は保育士の仕事をしているせいか、
父がくだらないことを言っても
いつも子供を見るような目でニコニコしている。

そんな温かい気持ちになっていた矢先、
インターホンが鳴った。

誰だろうとばかり、家族は
インターホンの方を向いた。
父が画面を確認すると、1人の男性が立っていた。

「夜分遅くに失礼します。
千華子さんはご在宅でしょうか。」と。

父は千華子に「知っている人か?」と確認したが、千華子は見覚えが無く固まるばかり。

その男性は20代後半。
千華子は高校3年生。来年から大学生になるが
これまでの出会いの中で20代後半の男性には
特に面識がない。

ひょっとするとセールスか何か、と
考えたが高校生にセールスは可笑しい。と
考え直した。
ひとまず父が
「千華子は留守にしております。」と
その男性に伝え、その場を終えた。

テーブルに戻り
お皿を手にすると少し冷めていた。

「なんか怖いね。
何で千華子の名前知っていたのかな。」と
妹の佳子が呟く。

「千華子、誰か思い出すまで
彼がまた来ても出るんじゃないぞ。」と
軽々しく言ってビールを飲んだ。

母は気にしないとばかり、
妹の美味しそうに食べている顔を見て
微笑んでいる。

千華子は、彼が誰なのか考えれば考えるほど
分からなくなり、大好きなお鍋を目の前に
複雑な気持ちになった。
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