音にのせて
第18話 約束
夏休みも終盤。
朝、私は目を覚ますと、いつものようにカーテンを開けた。朝日の眩しさに一瞬目が眩んだ。
窓を開けると、夏の暑さとともに爽やかな風が髪を撫でる。
私は小さく深呼吸をすると、ふいに壁に飾られているカレンダーに目を向けた。8月23日、今日の日付のところに赤い丸が記されている。
「…今日、か」
誰もいない部屋でぽつりと私は呟くと、着替えを済ませて部屋を出ていった。
私がリビングに行くと、凌玖がコーヒーを飲みながら新聞を広げていた。
「おはよう」
「おう」
これも毎日の光景。
しかし、先日私の中にある凌玖への気持ちに気付いてしまい、それからは何気ない光景でもつい目を奪われてしまう。ちょっと伏し目がちになりながら新聞を読む横顔に、私は一人でドキドキしていた。
「おお、奏ちゃん。おはよう」
「おはよう、お父さん」
そこへ、スーツに袖を通しながら勇一さんがやってきた。その後ろには、同じように仕事の準備をしたお母さんもいた。
勇一さんはソファに置いていたカバンを掴むと、「それじゃあ、行ってくるね」と私達に言葉をかけ、お母さんと一緒に部屋を出て行こうとした。
「ああ、そうだった」
しかし、勇一さんは何かを思い出したかのように足を止め、こちらを振り返った。
「今日は、久しぶりに夕飯はみんなで外で食べようか」
「あら、急にどうしたの?」
勇一さんの急な発案に、傍にいたお母さんが尋ねた。
「いや、今日は奏ちゃんの誕生日だし。ここのところ仕事が忙しくてプレゼントとかも準備できなかったから、夕飯くらいは一緒にと思ってな」
「え…?誕生日…?」
その言葉に、凌玖も少し驚いた様子で私に目を向けた。
しかし、私は勇一さんに返事を返すことができなかった。
きっと、今の私は、あまり良い顔をしていない…。
その表情を見られたくなくて、隠すように私は俯いた。
「あ…あの…、勇一さん、それは…」
「…ごめんなさい、お父さん」
お母さんが何か言おうとしていたが、私はその言葉を遮って続けた。
「今日は、用事があるの。だから…また今度でも良いかな?」
――大丈夫。きっと、ちゃんと笑えている。
私はそう自分に言い聞かせながら、勇一さんに笑顔を向けた。
「…そうか。なら仕方ないな。では、今度改めてちゃんと祝おう」
一瞬、勇一さんは何かを言おうとしていたが、その言葉を飲み込むようにし、「それじゃあ、行ってくる」と言ってお母さんと一緒に部屋を出て行った。
静かになったリビングに、私と凌玖が2人っきりとなった。凌玖の方へ背中を向けているため彼がどんな顔をしているのか分からないが、こっちをじっと見ていることだけは何となく分かった。
その空気に耐えられなくなり、私は部屋を出て行こうとした。
「…お前、今日何の用事があんだよ?」
扉に手をかけようとした直後、後ろから凌玖が尋ねてきた。
「…大事な用事」
「だから、それは何だって聞いてんだよ」
若干苛立ちを含ませつつ、凌玖が立ち上がって近付いてくる気配を背中に感じた。
「…ごめん、私もう行くから」
そんな凌玖から逃げるように、私は足早に部屋を出た。
それから私は、朝ご飯も食べずに家を出た。
まだ午前中だというのに、空に昇る太陽がジリジリと身体を照らしている。
「…嫌な暑さ」
――まるで、あの時と同じ。
容赦なく照りつける太陽を睨むように一瞬目を向けると、私は歩き出した。
最寄駅に着くと、私は電車に乗り込んだ。
電車の中は冷房が効いていて、外の暑さで少し汗ばんだ体を冷やしてくれる。
私は手近に空いていた席に腰を下ろすと、移り変わる景色をただボーッと眺めていた。
その時、空いていた私の左隣りに誰かが座ったのを感じた。他にも空いている席はあるのに、どうしてわざわざ隣りへ座るのだろうか。不思議に思い私はゆっくり視線を向けると、見知った人物の横顔があった。
「り…凌玖!?」
思いもしない人物に、私は驚きの声を上げた。しかし、当の本人は何事も無いかのような平然とした態度で足と腕を組み、静かに目を閉じている。
「何で、ここにいるの?」
「…用事」
「用事って…?」
「お前の用事が何なのか知ること。それが俺の用事だ」
「なっ!?そんな用事って…」
「あー、もう。うるせぇな。いいから黙れ」
そう言うと、私は頭を強く引かれ、凌玖の肩に乗せるような状態にさせられた。
「周りに変な奴だと思われたくなかったら大人しくしてろ」
近くで聞こえる凌玖の声と心地よい体温に、私の鼓動はドキドキしっぱなしだった。退こうとするも、しっかりと頭を押さえつけられていて、それもできない。
私はチラリと凌玖の横顔を見た。相変わらず瞳を閉じていて、何を考えているのかその表情からは全く読み取れなかった。
これ以上何を言っても、きっと彼はついて来るだろう。
そう悟り、私はそれ以上何も言わず、凌玖の肩に身を預けた。
電車に揺られること40分、私達は電車を降りた。そこは都会とは少し離れたのどかな町並みが続く場所だった。
私は駅前にある小さな花屋に入ると、向日葵の花束を購入して歩き出した。
その間も、凌玖は何も聞いてこなかった。どうしてこんな所に来たのかも、向日葵を買った理由も。何も言わず、凌玖はただ私の横を一緒に歩くだけだった。
数分歩くと、小さな墓地へと到着した。
私は慣れたように墓地の中を歩き進むと、とある墓石の前で立ち止まった。
「…これって…」
「…うん。私の、お父さんのお墓」
私は買ってきた向日葵の花を飾ると、墓石の前にしゃがみ、静かに手を合わせた。
「…今日はね、お父さんの命日なの」
お父さんの墓石に視線を向けたまま、後ろに立っているだろう凌玖へと呟いた。
「今日…って、お前の…」
「…うん。お父さんは、私の誕生日に死んじゃったの」
私はゆっくりと立ち上がると、凌玖の方を振り向いた。
「…行こうか。歩きながら話すよ。…お父さんの前で話すのも…ね」
そう言って歩き出した私の後ろを、凌玖も黙ってついて来た。
空を見上げると、青い空に大きな白い入道雲が流れている。
(…本当に、あの時と一緒だね)
ゆっくりと歩きながら、私はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
――それは、私が小学2年生の7月。ちょうど私が夏休みに入る頃、お父さんが病気で入院した。
学校が休みということもあり、私は毎日のように病院へと通った。そんな私をいつも笑顔で明るく迎えてくれるお父さんの姿に、病気なんか治っているんじゃないかと子供ながらにいつも思っていた。
その日も、お父さんの病室で他愛ない話をしていた。
「お父さん!もうすぐ8月23日だよ!何の日だか分かる?」
「もちろん。奏の誕生日だろ?」
「そう!今年は何をプレゼントしてくれるの?」
「んー、そうだなぁ。今年はお父さん、入院してるからプレゼントの用意ができそうにないからなぁ。あ、そうだ!プレゼントは用意できないけど、向日葵畑に一緒に行こう」
「向日葵畑?」
「ああ。お父さんの1番好きな花だ。お父さん、奏の誕生日までに絶対病気治すから、お母さんと3人で向日葵畑に行こう」
「うん!約束だよ!」
その数日後、お父さんの容態が悪化し、約束していた私の誕生日に他界した。
ジリジリと太陽が照りつける、暑い夏だった。――
「私の誕生日はプレゼントをもらうどころか、大切な人がいなくなったの」
神様はなんて残酷なんだろう。
私が何か悪い事をしたのだろうか?
どうして私の大切な人を、誕生日に奪っていくんだろう。
お父さんも嘘吐きだ。
誕生日まで絶対病気を治すって言ったのに。
3人で向日葵畑を見に行くって約束したのに。
「おめでとう」なんて言葉はいらない。
お祝いなんていらない。
当時はそんな事ばかり思って、誰を責めて良いのかも分からなくて。
次第に、私は自分の誕生日が嫌いになった。
「お母さんも仕事で忙しかったから、毎年8月23日はお父さんの大好きだった向日葵を買って、墓参りをするのが私の恒例になった。私の中では今日は私の誕生日じゃなくて、お父さんの命日なの。だから、誕生日のお祝いって言われてもそんな気分になれなくて…」
その時、後ろから温かい温もりが私を包み込んだ。一瞬何が起こっているのか理解できなかったが、左頬に触れている柔らかな髪、ほのかに香る自分のモノとは違う匂い、後ろから回されている逞しい腕。凌玖に抱き締められているんだと分かった。
「…バカか、お前は」
囁かれるように言われた言葉と同時に、凌玖の息が耳へとかかる。
「お前にとっては大切な人を亡くした日かもしれないけど、俺にとっては大切な人が生まれた日だ。だから、祝わせるくらいさせろ」
その言葉は何故だかとても切なく聞こえ、胸がギュッと締め付けられるようだった。
「お前が今日生まれてこなきゃ、俺はお前と出会わなかった。お前に出会わなかったら、俺はずっと闇の中を彷徨っていた。だから、奏が生まれてくれたこと、俺と出会ってくれたこと…俺は感謝している」
そう言うと、凌玖は抱き締めている腕の力を緩め、私の身体を反転させた。
「親父さんの代わりにはなれねぇけど、これからはずっと、俺がお前の傍にいる。約束する」
真っ直ぐ向けられた碧い瞳に、私の鼓動はドクンと跳ねた。
その言葉に嬉しく思う反面、私は素直に頷くことができなかった。
「…約束、なんて信じられないよ。大事な約束ほど、守られないんだから…」
喜んで、信じて、絶望する。
お父さんの時と同じように。
もう、あんな気持ちを味わいたくない。
それなら、最初から期待しなければ良い。
そんなことを考えていると、私の目の前に凌玖の端整な顔が近付いてきた。凌玖の碧い瞳に私の顔が映り、まるでその瞳に吸い込まれていくような錯覚さえ覚えるほど、美しいと見惚れた。
そう思っているとその綺麗な瞳は彼のゆっくりと閉じられた瞼に隠され、それと同時に唇に柔らかい感触が触れた。
思考が停止して、何をされているのか理解ができない。
ゆっくりと凌玖の顔が離れていき、また私を見つめる碧い瞳と視線がぶつかる。
「俺は約束を破らねぇ。絶対だ。だから、俺を信じろ、奏」
真っ直ぐと力強い視線が、私を射抜くように見つめている。
その視線がまるで心の中を温めていくようで、気付いたら私の頬には温かな雫が流れていた。
「…うん」
もう一度、信じてみよう。
私に約束をしてくれた、私の大切な人のことを。
この人の言葉だったら、私は信じられる。
そう思い、私は小さく頷いた。
「なに泣いてんだよ、バーカ」
そんな憎まれ口を叩きつつも、凌玖は優しく私の目尻を指で拭ってくれた。
「…誕生日、おめでとう」
そう言った凌玖の表情は、優しい笑顔をしていた。
そして、ゆっくりと私の唇に再び柔らかい温もりが触れた。
朝、私は目を覚ますと、いつものようにカーテンを開けた。朝日の眩しさに一瞬目が眩んだ。
窓を開けると、夏の暑さとともに爽やかな風が髪を撫でる。
私は小さく深呼吸をすると、ふいに壁に飾られているカレンダーに目を向けた。8月23日、今日の日付のところに赤い丸が記されている。
「…今日、か」
誰もいない部屋でぽつりと私は呟くと、着替えを済ませて部屋を出ていった。
私がリビングに行くと、凌玖がコーヒーを飲みながら新聞を広げていた。
「おはよう」
「おう」
これも毎日の光景。
しかし、先日私の中にある凌玖への気持ちに気付いてしまい、それからは何気ない光景でもつい目を奪われてしまう。ちょっと伏し目がちになりながら新聞を読む横顔に、私は一人でドキドキしていた。
「おお、奏ちゃん。おはよう」
「おはよう、お父さん」
そこへ、スーツに袖を通しながら勇一さんがやってきた。その後ろには、同じように仕事の準備をしたお母さんもいた。
勇一さんはソファに置いていたカバンを掴むと、「それじゃあ、行ってくるね」と私達に言葉をかけ、お母さんと一緒に部屋を出て行こうとした。
「ああ、そうだった」
しかし、勇一さんは何かを思い出したかのように足を止め、こちらを振り返った。
「今日は、久しぶりに夕飯はみんなで外で食べようか」
「あら、急にどうしたの?」
勇一さんの急な発案に、傍にいたお母さんが尋ねた。
「いや、今日は奏ちゃんの誕生日だし。ここのところ仕事が忙しくてプレゼントとかも準備できなかったから、夕飯くらいは一緒にと思ってな」
「え…?誕生日…?」
その言葉に、凌玖も少し驚いた様子で私に目を向けた。
しかし、私は勇一さんに返事を返すことができなかった。
きっと、今の私は、あまり良い顔をしていない…。
その表情を見られたくなくて、隠すように私は俯いた。
「あ…あの…、勇一さん、それは…」
「…ごめんなさい、お父さん」
お母さんが何か言おうとしていたが、私はその言葉を遮って続けた。
「今日は、用事があるの。だから…また今度でも良いかな?」
――大丈夫。きっと、ちゃんと笑えている。
私はそう自分に言い聞かせながら、勇一さんに笑顔を向けた。
「…そうか。なら仕方ないな。では、今度改めてちゃんと祝おう」
一瞬、勇一さんは何かを言おうとしていたが、その言葉を飲み込むようにし、「それじゃあ、行ってくる」と言ってお母さんと一緒に部屋を出て行った。
静かになったリビングに、私と凌玖が2人っきりとなった。凌玖の方へ背中を向けているため彼がどんな顔をしているのか分からないが、こっちをじっと見ていることだけは何となく分かった。
その空気に耐えられなくなり、私は部屋を出て行こうとした。
「…お前、今日何の用事があんだよ?」
扉に手をかけようとした直後、後ろから凌玖が尋ねてきた。
「…大事な用事」
「だから、それは何だって聞いてんだよ」
若干苛立ちを含ませつつ、凌玖が立ち上がって近付いてくる気配を背中に感じた。
「…ごめん、私もう行くから」
そんな凌玖から逃げるように、私は足早に部屋を出た。
それから私は、朝ご飯も食べずに家を出た。
まだ午前中だというのに、空に昇る太陽がジリジリと身体を照らしている。
「…嫌な暑さ」
――まるで、あの時と同じ。
容赦なく照りつける太陽を睨むように一瞬目を向けると、私は歩き出した。
最寄駅に着くと、私は電車に乗り込んだ。
電車の中は冷房が効いていて、外の暑さで少し汗ばんだ体を冷やしてくれる。
私は手近に空いていた席に腰を下ろすと、移り変わる景色をただボーッと眺めていた。
その時、空いていた私の左隣りに誰かが座ったのを感じた。他にも空いている席はあるのに、どうしてわざわざ隣りへ座るのだろうか。不思議に思い私はゆっくり視線を向けると、見知った人物の横顔があった。
「り…凌玖!?」
思いもしない人物に、私は驚きの声を上げた。しかし、当の本人は何事も無いかのような平然とした態度で足と腕を組み、静かに目を閉じている。
「何で、ここにいるの?」
「…用事」
「用事って…?」
「お前の用事が何なのか知ること。それが俺の用事だ」
「なっ!?そんな用事って…」
「あー、もう。うるせぇな。いいから黙れ」
そう言うと、私は頭を強く引かれ、凌玖の肩に乗せるような状態にさせられた。
「周りに変な奴だと思われたくなかったら大人しくしてろ」
近くで聞こえる凌玖の声と心地よい体温に、私の鼓動はドキドキしっぱなしだった。退こうとするも、しっかりと頭を押さえつけられていて、それもできない。
私はチラリと凌玖の横顔を見た。相変わらず瞳を閉じていて、何を考えているのかその表情からは全く読み取れなかった。
これ以上何を言っても、きっと彼はついて来るだろう。
そう悟り、私はそれ以上何も言わず、凌玖の肩に身を預けた。
電車に揺られること40分、私達は電車を降りた。そこは都会とは少し離れたのどかな町並みが続く場所だった。
私は駅前にある小さな花屋に入ると、向日葵の花束を購入して歩き出した。
その間も、凌玖は何も聞いてこなかった。どうしてこんな所に来たのかも、向日葵を買った理由も。何も言わず、凌玖はただ私の横を一緒に歩くだけだった。
数分歩くと、小さな墓地へと到着した。
私は慣れたように墓地の中を歩き進むと、とある墓石の前で立ち止まった。
「…これって…」
「…うん。私の、お父さんのお墓」
私は買ってきた向日葵の花を飾ると、墓石の前にしゃがみ、静かに手を合わせた。
「…今日はね、お父さんの命日なの」
お父さんの墓石に視線を向けたまま、後ろに立っているだろう凌玖へと呟いた。
「今日…って、お前の…」
「…うん。お父さんは、私の誕生日に死んじゃったの」
私はゆっくりと立ち上がると、凌玖の方を振り向いた。
「…行こうか。歩きながら話すよ。…お父さんの前で話すのも…ね」
そう言って歩き出した私の後ろを、凌玖も黙ってついて来た。
空を見上げると、青い空に大きな白い入道雲が流れている。
(…本当に、あの時と一緒だね)
ゆっくりと歩きながら、私はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
――それは、私が小学2年生の7月。ちょうど私が夏休みに入る頃、お父さんが病気で入院した。
学校が休みということもあり、私は毎日のように病院へと通った。そんな私をいつも笑顔で明るく迎えてくれるお父さんの姿に、病気なんか治っているんじゃないかと子供ながらにいつも思っていた。
その日も、お父さんの病室で他愛ない話をしていた。
「お父さん!もうすぐ8月23日だよ!何の日だか分かる?」
「もちろん。奏の誕生日だろ?」
「そう!今年は何をプレゼントしてくれるの?」
「んー、そうだなぁ。今年はお父さん、入院してるからプレゼントの用意ができそうにないからなぁ。あ、そうだ!プレゼントは用意できないけど、向日葵畑に一緒に行こう」
「向日葵畑?」
「ああ。お父さんの1番好きな花だ。お父さん、奏の誕生日までに絶対病気治すから、お母さんと3人で向日葵畑に行こう」
「うん!約束だよ!」
その数日後、お父さんの容態が悪化し、約束していた私の誕生日に他界した。
ジリジリと太陽が照りつける、暑い夏だった。――
「私の誕生日はプレゼントをもらうどころか、大切な人がいなくなったの」
神様はなんて残酷なんだろう。
私が何か悪い事をしたのだろうか?
どうして私の大切な人を、誕生日に奪っていくんだろう。
お父さんも嘘吐きだ。
誕生日まで絶対病気を治すって言ったのに。
3人で向日葵畑を見に行くって約束したのに。
「おめでとう」なんて言葉はいらない。
お祝いなんていらない。
当時はそんな事ばかり思って、誰を責めて良いのかも分からなくて。
次第に、私は自分の誕生日が嫌いになった。
「お母さんも仕事で忙しかったから、毎年8月23日はお父さんの大好きだった向日葵を買って、墓参りをするのが私の恒例になった。私の中では今日は私の誕生日じゃなくて、お父さんの命日なの。だから、誕生日のお祝いって言われてもそんな気分になれなくて…」
その時、後ろから温かい温もりが私を包み込んだ。一瞬何が起こっているのか理解できなかったが、左頬に触れている柔らかな髪、ほのかに香る自分のモノとは違う匂い、後ろから回されている逞しい腕。凌玖に抱き締められているんだと分かった。
「…バカか、お前は」
囁かれるように言われた言葉と同時に、凌玖の息が耳へとかかる。
「お前にとっては大切な人を亡くした日かもしれないけど、俺にとっては大切な人が生まれた日だ。だから、祝わせるくらいさせろ」
その言葉は何故だかとても切なく聞こえ、胸がギュッと締め付けられるようだった。
「お前が今日生まれてこなきゃ、俺はお前と出会わなかった。お前に出会わなかったら、俺はずっと闇の中を彷徨っていた。だから、奏が生まれてくれたこと、俺と出会ってくれたこと…俺は感謝している」
そう言うと、凌玖は抱き締めている腕の力を緩め、私の身体を反転させた。
「親父さんの代わりにはなれねぇけど、これからはずっと、俺がお前の傍にいる。約束する」
真っ直ぐ向けられた碧い瞳に、私の鼓動はドクンと跳ねた。
その言葉に嬉しく思う反面、私は素直に頷くことができなかった。
「…約束、なんて信じられないよ。大事な約束ほど、守られないんだから…」
喜んで、信じて、絶望する。
お父さんの時と同じように。
もう、あんな気持ちを味わいたくない。
それなら、最初から期待しなければ良い。
そんなことを考えていると、私の目の前に凌玖の端整な顔が近付いてきた。凌玖の碧い瞳に私の顔が映り、まるでその瞳に吸い込まれていくような錯覚さえ覚えるほど、美しいと見惚れた。
そう思っているとその綺麗な瞳は彼のゆっくりと閉じられた瞼に隠され、それと同時に唇に柔らかい感触が触れた。
思考が停止して、何をされているのか理解ができない。
ゆっくりと凌玖の顔が離れていき、また私を見つめる碧い瞳と視線がぶつかる。
「俺は約束を破らねぇ。絶対だ。だから、俺を信じろ、奏」
真っ直ぐと力強い視線が、私を射抜くように見つめている。
その視線がまるで心の中を温めていくようで、気付いたら私の頬には温かな雫が流れていた。
「…うん」
もう一度、信じてみよう。
私に約束をしてくれた、私の大切な人のことを。
この人の言葉だったら、私は信じられる。
そう思い、私は小さく頷いた。
「なに泣いてんだよ、バーカ」
そんな憎まれ口を叩きつつも、凌玖は優しく私の目尻を指で拭ってくれた。
「…誕生日、おめでとう」
そう言った凌玖の表情は、優しい笑顔をしていた。
そして、ゆっくりと私の唇に再び柔らかい温もりが触れた。