諦めの悪い私
義母は怒ると口が悪くなり暴言が出る人でした。

私はそれが怖くて怖くてたまりませんでした。

ある時、義母は引っ越したいと突然言い始めました。

それまでは祖父母の家にも行きやすく学校も近く暇つぶしが出来る場所も沢山ありましたが、
引っ越し先はかなり田舎で、暇つぶしができる場所はなく学校も集団登校の為はやく行く事も出来なくなりました。

この頃から私と義母の関係はさらに悪化していきました。

義母は怒ると手が出るようになりました。
叩かれたり、殴られたり、棒で滅多打ちにされたり、引きづられたりもしました。
私が泣くともっと怒り怒鳴られ、暴力も酷くなりました。

痛かったし怖かった。
だけど
暴力は慣れていくのです。
そして癒えていきます。

慣れず癒えないのは、言葉です。
怒った義母はよく私に、
死ねばといいました。
要らないとも、迷惑だともいいました。
弟がお腹にいる時には、
弟は私のせいで死ぬかもしれないから
どこかへ消えてくれとも。
親戚が優しいのは私が可哀想な子だからともいいました。
気持ち悪いと泣くなと怒られました。

私は毎日捨てられると思い怯えました。

毎日ごめんなさいと謝りました。
毎日死にたいと思い、死ねないから殺してくださいと
神様にお願いしました。

誰かが助けに来てくれるのを期待した日もありました。
だけど助けは来なかった。

義母は怒った後よく、少しの時間だけ優しくなりました。
義母の機嫌がいい日は幸せでした。
そんな時やはり期待するのです、愛されたい。
わたしも家族になりたいと期待してそれで嫌いになれない。

私は家族が好きでした。
だからきっと義母の言葉があんなにも深く私を突き刺したのだと思います。
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