悪魔の花嫁
「露子ちゃん、ショッピングに行こう!洋服を買いに行きたいんだ。」
翌日、十全は妙に明るく露子を誘った。
露子には拒む理由などない。
キッチンでサンドイッチを作っていた露子はエプロンを脱ぐ。
十全にせかされるまま、赤いスポーツカーに乗せられ、隣町のデパートまで出かけることになった。
「洋服なら商店街の畑中衣料品店(はたなかいりょうひんてん)でいいと思うんですけど。安いし、私のセーラー服もあそこで仕立ててもらったの。」
露子は隣町までわざわざ出かけるのに違和感を感じる。
露子は自分のテリトリー外に出るととたん弱くなる。
神の加護の届かない場所を本能的に畏れているのだ。
「やだ、あそこの店主、お白様(おしらさま)なんだもん。僕は怖い。」
十全は運転しながら言う。
「オシラサマって?」
露子は窓の外の流れる景色を見ながら惰性で聞いた。
「養蚕(ようさん)の神様だったと思うよ。神格(しんかく)が高くて僕にはとても行けないよ。」
「はあ、そうなんですか。」
露子は話半分、外に意識を飛ばしたまま窓の外を眺める。
街路樹を眺めることで現実からつかの間の逃避を試みる。
今日はいい天気だ。
十全が新しい服を買うのなら、自分の私服も少し買いたい。
キャリーバッグに詰めてきた最低限度の衣服しか露子は持っていないのだ。
十全の買いものに付き合うのも良いけれど、私の買い物もしていいだろうか。
露子はそんな風にぼんやり考えていたが、到着したデパートではいきなりレディースウエアの専門店の並ぶ階に連れて行かれる。
なんだか高級そうな店の並ぶエリアにどんどん入る十全。
「え、もしかして、私の服を買ってくれるんですか?十全さん。」
「そうだよ。もちろん。だって露子ちゃんいつも制服ばっかり着てるし、私服、あんまりないんでしょ?」
そのとおりである。
前の家のクローゼットには良家の子女にふさわしい衣服がたくさんあったが、当然借金の抵当に入っているのであまり持ってくる事はできなかった。
嬉しい。
露子は嬉しくなる。
十全は自分の事を本当に気にかけてくれているのだ。
目の飛び出るような、高級店のワンピースやらセーターやらを、次々に着せてもらう。
一緒に靴やアクセサリーの類いも選ばせてもらう。
なんだか着せ替え人形になったようで、少したのしい。
結局この中のどれを買って貰えるのかとわくわくしていると「全部サロン渡しで。」という十全の謎の言葉と共に、何処かへ持って行かれてしまった。
露子は少しがっかりする。
「十全さん、サロンって何ですか?」
「買ったものを預けておいて後で取りに行く所だよ。」
十全は露子の着たものを全部お買い上げしたらしい。
露子は青くなるやら赤くなるやら忙しい。
「あのう、いいんですか?私、返せそうにないですが、お金。」
おずおずと聞いてみる。
「今更でしょ、露子ちゃん。僕にいくら借金あると思っているのさ、いまさら少し増えたぐらいで動揺しないでよ。」
十全は外国人らしいオーバーアクションで手のひらをヒラヒラと動かした。
「もう!買ってくれたんだと思ったのに。これ私の借金ですか。」
露子はわかりやすく肩を落とす。
「働かざるもの食うべからず、衣食住、これは働く者へ与えられる権利だよ。」
十全は分かるような、分からないような事を言う。
その後、露子の身の回りの品々を同じように買い求め、露子と十全はデパートに併設されたレストランで夕食を取った。
レストランでプレゼントされたのはきらきら光るクリスタルの腕時計だ。
華奢な作りで、シンプルながら趣向を凝らした文字盤や針にはダイヤモンドがちりばめてある。
海外の製品なのか、オーダーメイドかは知らないが、こんなものをぽんとくれる十全は変だ。
露子だって一般的な女子だ。
こんな贈り物をされれば素直に嬉しい。
「こんな風に贅沢して、いいのかな。私。嬉しいけど。」
上等のフィレ肉が鉄板の上でジュウジュウと湯気を立てている。
塩こしょうで味付け、細かく切り分けた後、シェフがその場で皿の上に乗せてくれる。
「おいしい。すごく美味しいです。」
十全はニコニコして私を見る。
「美味しそうに食べる女の子はかわいいね。コロコロ太らせて食べちゃいたいよ。」
一瞬、露子の箸が止まる。
十全は真顔だ。
さて、デザートを食べながら露子は言う。
「十全さんの 言う事は信用できません。すごく嘘つきだもの。でも、ありがとうございます。私、こんなに嬉しかったの久しぶり。十全さんは良い悪魔ね。」
露子のはにかむような笑顔の美しいこと。
十全は複雑な顔をして此方を見ていた。
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「ねえ、露子ちゃん、どうして僕が信用できないの?」
その晩、十全はリビングでワインを片手に、同じくリビングで宿題をしていた露子にぼんやり聞いた。
「私は、本当に好きな相手には好きだなんて言えないの。だから、簡単に花嫁だとか、かわいいとか、そんな風に言えちゃうのって信じられない。私、貴方の事紳士だと思うわ。私を弄んで魂を奪って、死ぬまで働かせることなんて貴方にとっては簡単なんでしょうけど。だからこそ、今の状況がなんだか信じられないの。何故、そうしないの?」
「君が好きだから。」
十全は即答する。
「嘘だわ。」
十全は息を詰める。
「何か、別の理由があるんでしょう?私を籠絡(ろうらく)して心を奪う必要があるんだわ。こんな風に甘やかして、私は凄く嬉しかったし、なんだかドキドキしちゃったし、十全さんってすごくかっこいい人だもの。でも。嘘を吐いてる。それはわかる。あなた、私に恋してないじゃない。」
十全は露子を侮っていた。
若く美しい少女、だが、彼女はそれだけの娘ではなかったのだ。
「いいの。嘘吐いてても、だって私、もうあなたのこと嫌いじゃないもの。一緒に働く。だけど、知りたい。何故、私を可愛がって愛してる振りをするの?」
十全は何も言えなかった。
彼女の目は真剣そのもので神性を帯びていた。
いにしえの女神の如き輝き。
東洋の女神。
あの夏の日の蝉の声を思い出す。
「僕は君が好きだ。だって君は綺麗だから。」
十全は重ねて言う。
信じて欲しい、そんな風に。
「私の外見ね。私もそれなりに美人だと思うけど、悪魔の貴方の審美眼(しんびがん)に叶うほど美しいとうぬぼれてはいない。ねえ、何を考えているの?」
十全は、彼にしては珍しく狼狽えている。
美しい少女を手に入れるつもりであった。
この少女と恋がしたいと彼は思った。
だから、優しくした。
甘やかすことにした。
恋心なんて後からでも簡単に手に入れることができると確信していた。
なのに、彼女は誠実さを求める。
足りないと、こんなもの愛ではないと断罪する。
十全はもう、どうしていいか分からない。
第二章「女子高生、鬼の嫁にされそう」
十全に買ってもらったワンピースを着て、クリスタルの腕時計を付けて、商店街に買い出しに向う。
桃色のレースで覆われたそれは、無防備なようで、しっかりとした仕立てである。
意外にも十全は和食が好みのようなので、今日は株でも買っておでんにしよう、株は柔らかく煮込むと大根よりもまろやかな甘みで、おでんに合うのだ。