悪魔の花嫁
昨日は十全をいじめてしまったようだ、露子は少し罪悪感を感じる。
いつもにやにやして、超然と余裕の表情しか見せたことの無かった十全が、うろたえて、慌てていた。
何故だか分からないけれど、露子がそうさせたのだ。
それならば露子は謝らなければいけない。
あんな顔をさせるつもりは無かった。
あんな悲しそうな顔は見たくない。
十全の好物のおでんでも作って仲直りしよう。
露子は鈴木青果店(すずきせいかてん)で野菜を買うことにする。
青果店とは名ばかりで、実際には何でも屋である。
節操なく並べられた店先には果物、野菜の他に、魚の干物やら生花やら缶詰やら、とにかく何でもあるので、小さいスーパーといったところだろうか。
露子は店主のお兄さんを小さい頃から知っている。
火のような赤毛で、額には鬼灯のような一本角。
何かの鉱石のようなその角は、めらめらと猛る炎を内包したかのように、その美しい赤色を揺らめかせている。
大柄だが、引き締まった肉体は格闘家を思わせ、精悍な容姿、明るくてらいの無い性格、小さかった露子はほんの少し、彼に恋心みたいなものを持っていた気もする。
そういえば、彼はあの頃から少しも変わっていない。
十年経てば、やはり少し老けたり、様相が変わっても仕方ないと思うのだが、彼はどう見ても二十代前半の少しやんちゃな若者に見える。
やはり妖怪であったのだ。
露子は何故今まで気づかなかったのか不思議でならない。
しかし、近所の憧れのお兄さんが鬼いさんであったところで、露子の態度は変わらない。
そういうおおらかな露子であったから、商店街の住人で露子を悪く思う人間は居ない。
この鈴木青果店を経営する鈴木加悦も含めてだ。
「露子ちゃん、話があるんだけど。ちょっとだけ店の裏から中に入って待っててくれないか。座敷があるから、そこでお茶でも飲んででほしい。あ、冷蔵庫にアイス入ってるから食べて待っててくれ。」
「え、うん。」
加悦の真剣なまなざしに露子は少し驚く。
いつも明るく、へらへらと笑ってくれる彼と少し違って見えたのだ。
少女らしい感性で違和感を察知するも、露子は加悦の言う通り店の裏に向う。
裏口のドアから中に入る。
六畳一間ほどの小さな座敷にテーブルとテレビと冷蔵庫。
奥の部屋には布団が重ねてあるのが見える。
「加悦さん、ここに住んでたんだ。」
独身の男の住まいなど露子は初めて入った。
生活感のある室内、壁には林工務店のカレンダーが下がって、黄ばんでいる。
灰皿にタバコがぎっしりと敷き詰めてあって、露子は加悦がかなりのヘビースモーカーだと知る。冷蔵庫の中のバニラのアイスクリームを食べる。
美味しい。
すると灰皿の陰から小鬼が二匹顔を覗かせた。
「姫!姫がとうとう我が主の部屋にやってきた」
「主も良い年、嫁取りには絶好の機会じゃ。」
「嬉しいのう、今日は赤飯じゃあ。」
小鬼は手のひらに乗るぐらいのサイズで全身緑色。
黄色の腰布を身につけてぴょこぴょこと動く。
露子はなんとなくアマガエルを連想する。
「嫁取りってなんのこと?姫って誰の事なの?」
露子は少し体をかがめて小鬼に聞いてみる。
「姫よ!あなた様でございます。うつくしい姫様。我が主は姫の美しさにぞっこんでございます。ああ、どうか、このまま、主さまのねぐらで共に暮らしましょうぞ。」
露子は小鬼の勝手な物言いに憤慨する。
「変な事言わないでよ。私はだれのものでもない。」
小鬼はしたり顔で頷く。
「姫よ、あの悪徳高利貸しなどの嫁にされてしまう前に、我が主の番(つがい)と成られよ。」
「私、だれとも結婚なんて考えてないったら。小鬼の癖に生意気な口聞くんじゃないわよ。」
露子は小鬼の一匹をつまんで吊るし上げる。
「姫!後生ですじゃ。やめてくだされ~」
露子は問答無用で小鬼を振り回す。
少し笑みを浮かべた露子の、その表情は無邪気だ。
露子は小さいものを虐めることが割と好きだ。
「その辺にしてやってくれよ、露子ちゃん。小鬼に悪気はないんだよ。」
そうこうしているうちに、向かいの障子を開けて加悦が入ってくる。
「加悦さん、この子鬼が十全さんを悪く言うの。あの人はそんな悪い人じゃないのよ?
どうして悪徳高利貸しだなんて言うのかしら。そのうえ私が十全さんの嫁になるだなんて、そんなあり得ない事を。」
露子は憤慨(ふんがい)したまま加悦を睨む。
「ありえないんだ。じゃあ、俺、立候補していいか。」
露子はぎょっとして身を引く。
「加悦さん何言ってるの?」
加悦は下を向いて少し赤くなった顔を隠す。
照れたように、頭を乱暴にがりがりと掻く。
「小さい頃から知ってたから、そんな対象に見られて無い事は知ってるけど、ぽっと出のよそ者に取られるなんて許せない。だから、告白することにした。ここで俺と暮らそう。俺はあの悪魔と違って金はないし、神格も失ったただの鬼だけど、露子ちゃんのこと幸せにしたいと思ってる。なあ、いいだろ?俺は君の事が好きだ。」
いつもにやにやして、超然と余裕の表情しか見せたことの無かった十全が、うろたえて、慌てていた。
何故だか分からないけれど、露子がそうさせたのだ。
それならば露子は謝らなければいけない。
あんな顔をさせるつもりは無かった。
あんな悲しそうな顔は見たくない。
十全の好物のおでんでも作って仲直りしよう。
露子は鈴木青果店(すずきせいかてん)で野菜を買うことにする。
青果店とは名ばかりで、実際には何でも屋である。
節操なく並べられた店先には果物、野菜の他に、魚の干物やら生花やら缶詰やら、とにかく何でもあるので、小さいスーパーといったところだろうか。
露子は店主のお兄さんを小さい頃から知っている。
火のような赤毛で、額には鬼灯のような一本角。
何かの鉱石のようなその角は、めらめらと猛る炎を内包したかのように、その美しい赤色を揺らめかせている。
大柄だが、引き締まった肉体は格闘家を思わせ、精悍な容姿、明るくてらいの無い性格、小さかった露子はほんの少し、彼に恋心みたいなものを持っていた気もする。
そういえば、彼はあの頃から少しも変わっていない。
十年経てば、やはり少し老けたり、様相が変わっても仕方ないと思うのだが、彼はどう見ても二十代前半の少しやんちゃな若者に見える。
やはり妖怪であったのだ。
露子は何故今まで気づかなかったのか不思議でならない。
しかし、近所の憧れのお兄さんが鬼いさんであったところで、露子の態度は変わらない。
そういうおおらかな露子であったから、商店街の住人で露子を悪く思う人間は居ない。
この鈴木青果店を経営する鈴木加悦も含めてだ。
「露子ちゃん、話があるんだけど。ちょっとだけ店の裏から中に入って待っててくれないか。座敷があるから、そこでお茶でも飲んででほしい。あ、冷蔵庫にアイス入ってるから食べて待っててくれ。」
「え、うん。」
加悦の真剣なまなざしに露子は少し驚く。
いつも明るく、へらへらと笑ってくれる彼と少し違って見えたのだ。
少女らしい感性で違和感を察知するも、露子は加悦の言う通り店の裏に向う。
裏口のドアから中に入る。
六畳一間ほどの小さな座敷にテーブルとテレビと冷蔵庫。
奥の部屋には布団が重ねてあるのが見える。
「加悦さん、ここに住んでたんだ。」
独身の男の住まいなど露子は初めて入った。
生活感のある室内、壁には林工務店のカレンダーが下がって、黄ばんでいる。
灰皿にタバコがぎっしりと敷き詰めてあって、露子は加悦がかなりのヘビースモーカーだと知る。冷蔵庫の中のバニラのアイスクリームを食べる。
美味しい。
すると灰皿の陰から小鬼が二匹顔を覗かせた。
「姫!姫がとうとう我が主の部屋にやってきた」
「主も良い年、嫁取りには絶好の機会じゃ。」
「嬉しいのう、今日は赤飯じゃあ。」
小鬼は手のひらに乗るぐらいのサイズで全身緑色。
黄色の腰布を身につけてぴょこぴょこと動く。
露子はなんとなくアマガエルを連想する。
「嫁取りってなんのこと?姫って誰の事なの?」
露子は少し体をかがめて小鬼に聞いてみる。
「姫よ!あなた様でございます。うつくしい姫様。我が主は姫の美しさにぞっこんでございます。ああ、どうか、このまま、主さまのねぐらで共に暮らしましょうぞ。」
露子は小鬼の勝手な物言いに憤慨する。
「変な事言わないでよ。私はだれのものでもない。」
小鬼はしたり顔で頷く。
「姫よ、あの悪徳高利貸しなどの嫁にされてしまう前に、我が主の番(つがい)と成られよ。」
「私、だれとも結婚なんて考えてないったら。小鬼の癖に生意気な口聞くんじゃないわよ。」
露子は小鬼の一匹をつまんで吊るし上げる。
「姫!後生ですじゃ。やめてくだされ~」
露子は問答無用で小鬼を振り回す。
少し笑みを浮かべた露子の、その表情は無邪気だ。
露子は小さいものを虐めることが割と好きだ。
「その辺にしてやってくれよ、露子ちゃん。小鬼に悪気はないんだよ。」
そうこうしているうちに、向かいの障子を開けて加悦が入ってくる。
「加悦さん、この子鬼が十全さんを悪く言うの。あの人はそんな悪い人じゃないのよ?
どうして悪徳高利貸しだなんて言うのかしら。そのうえ私が十全さんの嫁になるだなんて、そんなあり得ない事を。」
露子は憤慨(ふんがい)したまま加悦を睨む。
「ありえないんだ。じゃあ、俺、立候補していいか。」
露子はぎょっとして身を引く。
「加悦さん何言ってるの?」
加悦は下を向いて少し赤くなった顔を隠す。
照れたように、頭を乱暴にがりがりと掻く。
「小さい頃から知ってたから、そんな対象に見られて無い事は知ってるけど、ぽっと出のよそ者に取られるなんて許せない。だから、告白することにした。ここで俺と暮らそう。俺はあの悪魔と違って金はないし、神格も失ったただの鬼だけど、露子ちゃんのこと幸せにしたいと思ってる。なあ、いいだろ?俺は君の事が好きだ。」