悪魔の花嫁

 加悦は真剣な眼差しで、じりじりとにじり寄ってくる。
 露子は衝撃でものも言えない。
 逃げようとした露子の腕を加悦が掴む。
 露子は悲鳴を上げて逃げ出す。
 扉まではほんの数歩だ。
 届かない。
 どうして。

 「結界を張ってる。露子ちゃんは逃げ出せないし、あの悪魔は助けにこないよ。神隠しだ。悪魔だって見つけ出せないさ。」

 加悦は露子を無理矢理抱き上げると隣の部屋に連れて行く。
 露子は抵抗したが、加悦は190センチはあるかという大男だ。
 簡単に持ち上げられて運ばれてしまう。
 小鬼たちが畳を上げるとそこは地下に繋がる階段だ。
 加悦は露子を抱えたまま、地下の部屋に繋がる薄暗い廊下を歩いて進む。
 暗い、和紙で出来た、古風なランプが足下に点々と置かれている。
 柔らかな橙色の明かりがぼんやりと廊下を照らす。
 艶のある床の上をゆっくり歩く。
 10メートルぐらいは歩いただろうか、廊下の突き当たりには障子があった。
 するすると戸をあける。

 朱色の部屋に赤い格子。
 座敷牢( ざしきろう)。

 ぼんぼりが両側に二対置かれ、橙の優しい明かりがある。
 薄暗い。
 そして白檀(びゃくだん)の香の匂い。
 ここは異界だ。
 露子は薄ら寒くなり、自分の身体を自分で抱きしめる。

「私をどうする気なの?加悦さん。ここから帰さないつもりね?」
 加悦はやわらかなぼんぼりの明かりに照らされて、いつものように明るく笑うが、
表情はやはりいつもと違う。真剣な目をして此方を見ている。
「俺は鬼だからね。姫を攫って食らうのが性分だ。俺と契りを結ぶというまでここに居てもらうから。」
 加悦は座敷牢の中に露子を押し入れる。
「加悦さん、止めて。ここから出して。」
 ガチャン。
 露子は南京錠の閉まる音を聞いてゾッとする。
「君の世話は小鬼がする。欲しいものがあるなら彼らに頼んでほしい。」
 加悦は笑みを崩さない。
「ひどいわ。加悦さんのこと、私、信じてたのに。もうずっと優しいお兄さんでいてくれたじゃない。どうしてこんな急に。」
 露子は牢の格子に指をかけて加悦に訴える。
 格子は頑丈でびくともしない。
「露子ちゃん、急に綺麗になったから。いや、前から綺麗だったけど、最近はもっと美しくなった。それは恋をしたから?」

「恋?」

「あの悪魔のこと、好きになったんだろう?生徒会も止めたって聞いた。あの悪魔と一緒にいるためだ。」
 加悦はお見通しだとでも言うように笑う。
「違うわ、私は、お父さんの借金の返済のために働いているの。」

露子は本気で弁解する。
恋なんて知らない。
悪魔に恋をするなんてあり得ない。
だって私は。

「あの悪魔がそんなにお人好しなわけないだろ。露子ちゃんのこと気に入ったから、魂を食うために側に置いているんだ。知ってるか?恋をした乙女の魂ほどの甘露はないそうだ。恋に落として露子ちゃんの魂を食らう気なんだ。あの悪魔は。」
 加悦は鬼のように怖い顔をしてこちらをじっと見る。
 一本角がめらめらと溶岩のように燃える。
「誤解してるわ、十全さんは紳士だったもの。私の魂なんて、手を出すはずもない。」
 露子はつい熱くなる。
「とにかく、露子ちゃんはここにいるんだ。ここからは出られないよ。俺は鬼だから。泣きまねしたって無駄。」
 露子はポケットの中で転がしていた目薬から手を離す。
「意地悪ね。加悦さんのこと嫌いよ。」
 露子は上目遣いで睨む。
「いい。俺は鬼だ。憎まれるのには慣れてるさ。」
 加悦は自嘲するように少し笑うと、背を向けて廊下の向こうに行ってしまう。
「なによ。こんな不気味なところに閉じ込めて。信じられない。」
 露子は強がるが、感性は一般的な女子である。
「こ、小鬼!ちょっとこっちに来てよ!」
 叫ぶ。
「姫!どうなされた。」
 緑の小鬼はすぐに顔を出した。
「ここ、なんか不気味で怖いのよ。気を紛らわせるもの持ってきてよ!ほら、テレビとかラジオとか!あ、わたしの鞄からスマホ取ってきて!」
「姫、ここは異界故、電波が届きませぬ。なにか小話をわたくしめがいたしましょう。」
 小鬼は雨月物語の冒頭を朗々と詠いはじめた。
 雨月物語とは江戸時代、上田秋成によって書かれた怪異譚である。
 内容としては、大層不気味な幽霊話である。
「もう!」
 露子は肩をがっくりと落とす。 



     ¥



 露子は自分の父や母を知らない。
 それでも恵まれた美貌。
 陰(いん)の気を帯びないその性格。
 露子は誰からも愛された。
 露子は小学生時代も中学生時代も、高校からは女子校になったが、とにかくモテた。
 クラスメイトの半分以上の男子から恋の告白をされ、隠れてファンクラブが出来た事も何度かある。
 ちなみに隠し撮りの写真は高額で売られたものだ。
 これだけモテまくれば女子からの反感も相当であろうと想像できるが、実際はそんなことはなく、何故か女子からもお姉様と慕われ恋文を受け取る始末。
 嫌みのようだが、露子は愛される事に慣れている。
 露子は父や母の愛の代わりに、神の加護を受けた。
 それは魑魅魍魎(ちみもうりょう)、有象無象(うぞうむぞう)、ありとあらゆる人間に愛されるという形の加護である。
 神社の榊の下に捨てられた経緯から、神様は捨て子を哀れ思い、守護を与えたもうたのだ。
 さすがの露子も自覚はあった。
 露子にとって、人生とは簡単に進むものであった。
 どのような苦難も彼女には与えられることはないし、艱難辛苦(かんなんしんく)があったとしても、簡単に解決してしまう。
 そう、例えば、資産家の養女になる。
 家が破産すれば悪魔に拾われる。
 そんな風に。
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