悪魔の花嫁
おかげで、露子は自分自身で努力をした経験がない。
 勉強もスポーツも友達付き合いも。あらゆる辛苦を舐める事無く、平凡に過ごすことができた。だからこそ、露子には自分自身にたいする確固たる自我がないのだ。
 誰もが自分を愛してくれる。
 それは露子にとって当然のことで、特別なことではない。
 努力すべきことではない。

 だからこそ、露子は誰も愛さなかった。
 誰の事も好きになれなかった。
 自分が愛されるのは当然なのだから。
 自分から誰かを愛する必要がなかった。

 恋をしたことがない。
 露子は恋を知らないのだ。
 その傲慢。
 露子にはその自覚がある。
 だからこそ。
 加悦の告白にも答えることはできない。

 自分が愛されているのは自分自身の力ではないのだから。
 神様の加護を失った時、自分に何が残るというのか。
 何も無い自分を一体誰が愛してくれるというのか。
 結局、露子は自分に自信がないのだ。
 
 朱色の部屋に赤い格子。
 座敷牢。

 この座敷牢は綺麗に磨かれた清潔な部屋だ。
 部屋の隅には螺鈿(らでん)の細工のされた美しい箪笥。
 綺麗な行李(こうり)の中には赤い正絹(しょうけん)の着物が入っている。
 帯は金と銀で丁寧に織り込まれた鶴の柄である。
 ぼんぼりはうす桃色で、ひな人形の横に飾ってあるアレを思い出す。
 そして漆(うるし)の三面鏡。
 まるで、花嫁のために用意した部屋のよう。
 こんな綺麗な部屋を用意してしまう程度に加悦は露子を愛している。
 露子だって、好かれているのなら悪い気はしない。 
 誰だって嫌われるよりは愛される方が良い。

 でも、それはまやかしだ。
 神の加護なしに露子を見てくれるひとなんていない。

 だから、露子は冷静であった。
 あの悪魔はきっと私を迎えに来てくれる。
 十全は露子の事を愛してはいないから。
 だから、露子は十全のことは信じられた。
 十全は甘い言葉を吐いて露子をドキマギさせるけれど、目が違う。
 露子と同じ、冷えた目をしている。
 だれも愛さない。 
 誰も信用しない。 
 そんな冷えた目をしていたから。
 露子が恋をできるというのなら悪魔の十全、ただ一人なんじゃないだろうか。
 彼が露子の事を好きでないのなら、露子は恋に落ちることができるんじゃないだろうか。
 だから、早く来て。
 私を迎えに来てほしい。
 
 露子は知らない。
 その少女の瞳には、恋の炎が宿りつつある。



     ¥



 十全は夕刻を過ぎても帰らない露子にじれて黒服を町に放った。
 手下の黒服は自分の眷属で、いくらでも作り出せる。
 商店街には黒服がぞろぞろとうろつき、買い物がえりの主婦たちを無駄に怯えさせる結果になる。
 町中の隅から隅まで探させた。
 それでも見つからない。

 これは日本妖怪が何か関係しているに違いないと踏んで、かれは霜月商工会、会長の霜月神社、神主の屋敷を訪ねた。
「これはこれは、ようこそおいで下さいました。」
 神主は作務衣(さむえ)を着た楚々とした佇まいの老爺であった。
「いや、噂には聞いておりましたよ、異国の方だそうで、露子ちゃんのお世話をしているんですってねえ。」
 社務所に通されて、お茶を出される。
 薄い。
「世話をしているという言葉にはいささか語弊があるように感じますが、その露子ちゃんが急に居なくなったのです。気配も感じない。これは妖怪の方が故意に隠してらっしゃるのではないかと。」
 十全は険しい顔を隠さないで問いつめる。
 これは緊急事態だ。
 露子は自分のものにすると決めたのだ。
 あの美しく儚い娘は自分と恋をするのだと決めていたのだから。
 なりふり構っていられない。
 敵と見なせば容赦はしない。
 この好々爺(こうこうや)だって例外ではない。
「あの子に危害を加えるものは居ませんよ。どうしてだか、あの子を前にするとどんな荒神(あらがみ)であっても優しいお顔になるのです。おそらく、あの子に懸想(けそう)している不埒な妖怪の仕業でしょう。それでもあの娘を傷をつけることなどできない。安心なさい。」
 老爺はにこにこと笑って茶菓子を勧める。
「神々の守護、ですか?」
「ええ、でもあの子は少し勘違いをしていましてな。自分の持って生まれた物、全てが神様の加護によるものだと思い込んでいる。」
「ちがうのですか?」
「ええ、もちろん。生まれ持った性質は彼女の力ですよ。多少、依怙贔屓(えこひいき)はしますがな。」
 老爺は柔らかく笑う。
「だから、露子ちゃんを自分の物にしたいのならば、悪魔殿、神様の力なんて関係なく、あの子を愛してあげるとよいでしょう。」
「はあ。」
 十全は老爺のおっとりとした長話に疲れてきた。
「商工会で一番の彼女の信望者は鈴木加悦という赤鬼です。」
 心を読んだかのようなタイミングで老爺は鬼の名を明かす。
「鬼。」
「彼は彼女を女神のように慕っておりましてな、なんでも、幼い頃、誰もが畏れた彼の顔を見て笑ったのだと。たしかに厳つい顔をしているので子どもに嫌われる男なのです。まあ、鬼ですからな、子どもには嫌われますわい。それで、加悦は露子を見初めた。いつか成長したら嫁にしたいなんて事を言出す有様で。この前の集会でも貴方の事を逆恨みしておりましたな。だが、事情が変わった。露子ちゃんは誰かに恋をしたのです。いえいえ、あなたかどうかは知りません。加悦は焦ったでしょう。それで、思いあまって攫った。どうです?この筋書きは。」
「加悦という男は何処にいるのです?」
「鈴木青果店という八百屋を営んでおりますよ。」
 十全は老爺に一礼すると社務所を飛び出す。
 神主の作務衣からはふさふさした茶色の尾っぽが飛び出ていたが、気にしない。
 夕闇はもうすぐそこまで迫っている。

 俺は彼女と恋がしたい。



     ¥



 鈴木商店のシャッターをどんどん叩く。
 十全は黒服をぞろりと集めて鈴木商店に押し掛けた。
 とらわれの姫を取り返すためである。
 十全は姫を取り戻す王子という柄ではないが、怒りを隠さない.
 悪鬼の様相である。
「鈴木加悦!出てこい!如月露子を返してもらおう。」
 黒服も十全と同じくシャッターをどんどん叩く。
「ああ、うるせえなあ。叩くな、シャッターがへこむだろうが。」
 裏から加悦はのっそり出てきた。
 加悦の真っ赤な髪と額の一本角はめらめらの輝き、炎のように美しい。
 鬼のくせに、パーカーにスウェットといった庶民臭い恰好である。
 しかし、これでも元は祠に祭られていた神である。
 零落したからといってその神気は衰えてはいない。
 威風堂々。
 加悦は十全を迎える。
「これはこれは、高利貸しの悪魔の野郎じゃないか。なんだよ、こんな所まで、そんな物騒な使い魔まで引き連れて。」
「僕の露子ちゃんを返して貰いたい。」
 十全は加悦の神気にも屈しない。
「ぼくの?」
 加悦は不遜な顔をして鼻で笑う。
「彼女は僕の事務所の経理事務員だし、正式に雇用契約をしている。このようなところで監禁される身の上ではないはずだ。さあ、今なら許してやる。返してくれ。」
 十全は加悦を睨みつける。
 十全の瞳は金色に輝き、そのゆらぐ光りの中で悪魔の本性が見え隠れする。
 飴色の髪は揺らぎ、周囲の空気に地場が発生している。
「露子は借金で買われたと聞いた。その雇用契約だって、人身売買だろうが。俺はそんなもの認めない。俺はほんの小さいころからあの子を見てきた。今の状況が彼女の幸せだとはとても思えない。だから、お前を倒してあの子を嫁にする。」
「原始人並に野蛮だな、君は。全く、彼女の意思はどうなる。」
「子どものころはお兄ちゃんお兄ちゃんと慕ってくれた。大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるとまで言った。口約束であっても、俺はあの日、あの子と番うと、きめた。あの子を嫁にするのは俺だ。おまえのような蛮国の悪魔ごときに渡してたまるか。」
 赤鬼の髪はめらめらと燃え上がり神気は毛穴からただ漏れである。
 臨戦態勢といったところか。
 彼の着ている安っぽいパーカーやスウェットは風も無いのにゆらゆらと揺らめいている。
「まいったな。僕は野蛮な戦いなんて大嫌いなんですが。」
「恐れをなしたか。悪魔。」
「東の果ての小国の小鬼如きが、僕にかなうとでも?」

 十全の飴色の髪がふわりと立ち上がる。
 緑の目は猫の如く金色にきらめき、開いた瞳孔の中心は血のように赤く光ってる。
 静電気を帯びたかのようにビリビリとした空気が二人の間を取り巻く。
 加悦は何処からか出した木刀で十全に襲いかかる。

 十全は目を細めたまま動かない。

 黒服が間に飛び出し、片腕で木刀を受け止める。
 体を低くし黒服の長い足が加悦の頭を掠める。
 加悦は首を横にして攻撃を避ける。
 加悦は構わず、返す刀で黒服の胴を突く。
 黒服はどろんという古風な音と共に消えた。

「卑怯者め、何故自分で戦わないのか。」
「悪魔の本分は人間を誑かすことにある。鬼さんと違ってこういうのは苦手でね。」
 そういいながら十全は黒服を次々嗾(けしか)ける。
 黒服は次々と加悦に飛びかかる。
 滑らかな人間離れした動きである。
 黒服の動きは早い。
 加悦は次々と襲ってくる黒服を木刀で倒していく。
 剣道のお手本のような動きと足さばきに十全は少し見蕩れる。
 黒服を全て倒してしまい、加悦は月夜の商店街に堂々と立つ。

 いにしえの赤鬼。
 美しい赤鬼だ。
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