悪魔の花嫁
「露子ちゃん、元気かい?」
声をかけてきたのは霜月神社、神主の老爺である。
作務衣を着て買い物袋を下げている。
露子は五つになる年までこの老爺に育てられた。
「元気よ。おじいちゃん、それにしても大荷物ね。私、社務所まで一緒に持っていくわ。ところで、これ、なんなの?」
露子は老爺から荷物を受け取る。
「日用品買い出しじゃよ。年をとると外出がおっくうでのう。普段は他の眷属(けんぞく)の輩(やから)に頼むのじゃが、ほれ、霜月祭でな、簡易ではあるがお社を移設するから。皆忙しくてのう。露子ちゃん優しいのう、ありがとう。」
老爺はニコニコしながら露子に礼を言う。
「そういえば露子ちゃん、ミス霜月に出るじゃろう?」
ミス霜月とかいう恥ずかしいミスコンは霜月祭で行われる。
各部活から一名、クラスから一名。美人もしくは、多少可愛い女子をかき集めて投票で決める下世話な催しだ。
去年も一昨年も私は生徒会長であったので推薦されることは無かったが、今年は逃げ切れるか微妙なところだ。
このミス霜月で決まった女子生徒は、霜月神社の巫女として祭りの最後の儀式に参加することになる。
汚れなき巫女を神へ捧げる儀式の一旦を簡略化させたもので、単なる学園祭ではなく、商店街も一丸となっての神事となるのだ。
「いや、私は出ませんって。だって出たらぶっちぎりで一位に決まってるし、みんなの士気が下がります。」
「露子ちゃん、最近、いい性格になってきたねえ。あの悪魔のひとの影響かねえ。おじいちゃん、すこし寂しい。」
老爺はしみじみ言う。
「学園祭ですけど、私、今回はあまり関わっていないんです。もちろん人手がなければお手伝いぐらいいくらでもしますけど。私、働く事好きなんですもん。でも十全さんが最近寂しがりっていうか、この前の加悦さんからプロポーズされたあたりから急に。だから、今日もなるべく早く帰って上げようかなって。」
露子は盛大にのろけたことに気づいていない。
老爺は目を細めて、孫娘のように思っている子どもの成長を喜んだ。
「いい子だねえ、露子ちゃん。霜月神社の神様も露子ちゃんのこと、もの凄く気に入ってるから、もし露子ちゃんがミス霜月になって祭事に出てくれればお喜びになること間違いなしなんだけどなあ。」
「嫌ですよ、ミスコンなんて、恥ずかしいもの。」
露子は本気で嫌な顔をする。
そんなこんなで、社務所に到着。
荷物をどさどさと置くと、奥の間から子狸たちが二足歩行で走ってきた。
子狸たちは皆一様に赤い前掛けをかけて、腹に墨で一、二、三、四、五、とそれぞれ書いてある。
子狸は、五人兄弟らしい。
この前掛けが無ければ、見分けるのも苦労であろう。
露子はこの神社で育ったのに、こんな妖怪がぞろぞろいたなんて、まったく知らなかった。
「露子さまお帰りなさい!」
「露子さま、待っておりました!」
「露子さま!」
「露子さま!」
「露子さま!」
子狸はゾロゾロ出てきて、それぞれが話しかけてくる。
ぴょこぴょこ動く様は、なかなかに可愛いものだ。
「私全然知らなかったわ。五歳まで、こんなところで暮らしてたんだ。」
露子は子狸の一匹を抱き上げてみる。
柔らかくて猫の子のように彼女にすり寄る。
露子はしばらく子狸の背中の毛を撫でていたが「良い襟巻きになりそうだわ」という露子の言葉に恐れをなしたか、子狸は走って逃げてしまった。
「目が変わったんだろうねえ。あの悪魔さんはかなり力が強いみたいだから。露子ちゃんが近くに居るうちに影響されて見えないものが見えるようになったんだね。いやあ、うれしいよ。儂も元は人間だったんだが、このとおり、生きながらあやかしになってしまった身でね。」
老爺は茶色の尻尾をピョコンと出して見せる。
「ええ! おじいちゃんまでそうなの? もう! 私、何を信じて生きてけばいいのかしら。」
露子は柔軟な思考回路をもった少女であるが、ここ最近の自分を取り巻く世界の変貌ぶりには、時々頭痛がする思いだ。
「じゃあ、何か困ったことがあったらお手伝いしますから。おじいちゃん、あんまり無理しないでね。」
露子は去り際にもう一度鳥居を振り返ってみる。
社の屋根には狸が並んでいて、此方に向かって手を振っていた。
¥
と、いう話をしたのが先日のこと。
露子は学園祭のミスコンにクラスメイトの満場一致で出場が決定する。
こういう催しで真剣になるのは恥ずかしいお年頃である。
いっそ男子がいれば、女装してミスコンなんていう楽しい催しになったであろうか。
露子は自分の容姿がもう十分美しいことは知っているので、これ以上目立つことはしたくない。が、クラスメイトの邪気の無いニコニコ顔で「絶対一番で優勝しちゃうね!露子ちゃん」なんて嫌みなく言われてしまえば辞退することも憚れる。
学園祭はもうすぐだ。
校庭には白いテントと櫓(やぐら)が組まれ、簡易の祭壇が出来上がっている。
商工会のおじさんたちがテントを用意しているのが教室の窓から見える。
露子のアンニュイな憂い顔がいっそう美しく、クラスメイトは、感嘆のため息であった。
「露子さんってなんでそんなに綺麗なんでしょうね。ほんとうお姫様みたいだわ。」
声をかけてきたのはクラスメイトの雛菊礼子(ひなぎくれいこ)である。
露子は、実はこの礼子が苦手だ。
礼子も十分に美人であるが、露子をライバル視している節がある。
雛菊礼子はイギリス人の祖父を持つ、いわゆるクオーターという女の子で、長くウエーブのかかった薄茶色の長い髪、赤いリボンで髪を纏めていて、目はぱっちり二重でグレーの瞳の目鼻立ちの派手な美人だ。
礼子もなかなかの美人であるが、露子の濡れたような美しい髪や整った容貌、白い肌、美貌では勝てないことは理解している。
露子はなにかと礼子に絡まれるので、内心嫌気が指している。
ミスコンなどと美を競わせるような催しに参加したくない理由の一つがこの礼子の存在であった。
「ねえ、あなたがミス霜月に選ばれることは、もう決定したも同然だから、私一つ面白い噂を教えてさしあげるわ。」
礼子はにやりと笑う。
「何?噂って。」
「ミス霜月に選ばれた女子生徒は、霜月神社の巫女として祭りの最後の儀式に参加することになる。汚れなき乙女を神へ捧げる儀式の一旦を簡略化させたもので、単なる学園祭ではなく、商店街も一丸となっての神事となる。ここまでは露子さんもご存知よね。だけど、いわゆる汚れなき処女(おとめ)を神へ捧げる儀式だもの。もし選ばれたミス霜月が純血でなかったばあい、神様にぱくっと食べられてしまうのよ。」
露子はあっけに取られて声も出ない。
「純血、の意味わかるでしょう。」
礼子の笑い顔が魔女のようで、露子は恐れをなした。
女子校は怖いところなのだ。
¥
さて、場所は変わって十全と露子のマンションである。
「露子ちゃんミスコン出るんだ、じゃあ、優勝間違いなしだね。」
十全はてらいの無い笑顔で明るく笑う。
「厭なんです。私、目立つの嫌いだし、出たら出たで優勝しちゃうの分かってるから。」
露子は頬を膨らませてソファーに座った十全の膝に凭れる。
「う~ん。世間の女の子達全員を敵にまわすようなことを平然と言う子だね、君は。まあ、たしかにそうなるんだろうけど。」
十全は苦笑いで露子の絹糸のような黒髪をなでる。
艶のある一枚の布のようにサラサラと流れる髪に目を細める。
美しい。
「でも、私が綺麗なのだって、神様のご守護のおかげなんです。だから、私の力でも、私の持ち物でもない。少しコンプレックスだったりするんですけど。そういう風に褒められるの苦手なんです。」
露子は十全を恨みがましいような目でじっと見つめる。
「神様のご加護は事実だと思うけど、露子ちゃんの容姿に関しては生まれながらのものみたいだけどね。ほら、霜月神社の神主のおじいさん、あの人に前会った時、そんなこと言ってたよ。だから、そんなに卑下することじゃないよ。きっと君の本当のお母さんかお父さんが凄く美形だったんじゃないかな。で、奇跡的に露子ちゃんは生まれた、と。」
露子は腕に煌めくプラチナのブレスレットの1カラットのダイヤをいじりながら何となく腑に落ちない顔だ。
そうかと思えば、全く関係のないおねだりがはじまる。
「ダイヤよりルビーの方が良かったかも。誕生石だし。」
「露子ちゃん、ほんと、いい性格になったね。」
「ルビーの指輪って可愛いと思いません?ピンクゴールドで真ん中にルビー。多分私に凄くに合うと思う。私可愛いし。あ、私、薬指9号です。」
十全は飽きれつつも、露子には弱いのだ。
「はいはい、お姫様。」
膝にもたれた露子の小さな顎を持ち上げる。
「買ってあげるからお兄さんとキスしよう。」
「嫌。というかお兄さんって年じゃないでしょう。悪魔なんですから。」
露子はだんだん十全のあしらい方を覚えてきた。
「露子ちゃん、愛に年も種族も関係ないさ。それに僕は結構君のこと好きなんだけどなあ。どうすれば相思相愛になれるだろうか。」
露子は十全の膝の上に乗って頬に口づける。
サービスのつもりなのかもしれないが、十全にとっては蛇の生殺しだ。
「学校にもつけて行きたいし、デザインはシンプルなのがいいです。」
露子は意にも介さない様子で続ける。
十全はがっくり肩を落とす。
「カタログを取り寄せるよ。」
十全はもう、それしか言えなかった。
「そういえば、今日、厭な噂をきいたんです。選ばれたミス霜月が純血でなかったばあい、神様にぱくっと食べられてしまうって。」
「ええ?露子ちゃん純血じゃないの?ショック。」
露子は真っ赤になって十全の腹のあたりをグーで殴る。
十全は大げさに痛がって倒れる振りをするので、露子の溜飲(りゅういん)は下がらない。
「汚れなき乙女を神へ捧げる儀式なんて、なんだか仰々しいじゃないですか。だから私、不安なんです。」
露子は下を向く。
長い睫毛が頬に濃い陰を作る。
どんな表情でも彼女は美しいな、と十全は感嘆する。
「大丈夫だって。何かあったら神様なんて僕がやっつけてあげるから。そうか、じゃあ、霜月祭までは露子ちゃんに不埒なまね出来ないね。」
「当たり前です。」
露子は十全の膝から、ひらりと降りる。
くるっとまわるとフレアスカートがひらり。
バレエ選手のように綺麗に立つ。
「私、神様のご守護についてはコンプレックスもあるんですけど、女の子ですもん。綺麗でいたいし、綺麗な自分は好きなんです。というわけなので、霜月祭までの今日からのメニューはビタミンたっぷり野菜重視の献立になります。十全さんの大好きな揚げ物は食卓に上がりませんから。」
十全の悲鳴を尻目に露子は夕飯の買い出しに鈴木青果店に向かう。
きっと加悦は気まずそうな顔をしながらも、お野菜を沢山おまけしてくれるだろう。
¥
霜月祭でのクラスでの催しはお化け屋敷に決まった。
正直、お化けだの妖怪だの、山ほど見てきた露子は気が乗らない。
今でも机の上には緑の小鬼が居て、露子の教科書を眺めては、ほう、だの、へえ、だの何事か一匹で喋っている。
この小鬼は加悦の眷属であるが、露子を気に入ったのか、はたまた加悦の差し金か、露子につきまとっている。
どうせ憑(つ)きまとうのならもっと可愛い妖怪ならよかった。
露子は緑色の小鬼の腹を指で突く。
小鬼は非力なので、すぐに引っ繰り返って机の下に落ちた。
机の下を見ても、もう姿は無い。
どうせ何処にでも出てくるのだ。
露子はもう気にも止めない。
声をかけてきたのは霜月神社、神主の老爺である。
作務衣を着て買い物袋を下げている。
露子は五つになる年までこの老爺に育てられた。
「元気よ。おじいちゃん、それにしても大荷物ね。私、社務所まで一緒に持っていくわ。ところで、これ、なんなの?」
露子は老爺から荷物を受け取る。
「日用品買い出しじゃよ。年をとると外出がおっくうでのう。普段は他の眷属(けんぞく)の輩(やから)に頼むのじゃが、ほれ、霜月祭でな、簡易ではあるがお社を移設するから。皆忙しくてのう。露子ちゃん優しいのう、ありがとう。」
老爺はニコニコしながら露子に礼を言う。
「そういえば露子ちゃん、ミス霜月に出るじゃろう?」
ミス霜月とかいう恥ずかしいミスコンは霜月祭で行われる。
各部活から一名、クラスから一名。美人もしくは、多少可愛い女子をかき集めて投票で決める下世話な催しだ。
去年も一昨年も私は生徒会長であったので推薦されることは無かったが、今年は逃げ切れるか微妙なところだ。
このミス霜月で決まった女子生徒は、霜月神社の巫女として祭りの最後の儀式に参加することになる。
汚れなき巫女を神へ捧げる儀式の一旦を簡略化させたもので、単なる学園祭ではなく、商店街も一丸となっての神事となるのだ。
「いや、私は出ませんって。だって出たらぶっちぎりで一位に決まってるし、みんなの士気が下がります。」
「露子ちゃん、最近、いい性格になってきたねえ。あの悪魔のひとの影響かねえ。おじいちゃん、すこし寂しい。」
老爺はしみじみ言う。
「学園祭ですけど、私、今回はあまり関わっていないんです。もちろん人手がなければお手伝いぐらいいくらでもしますけど。私、働く事好きなんですもん。でも十全さんが最近寂しがりっていうか、この前の加悦さんからプロポーズされたあたりから急に。だから、今日もなるべく早く帰って上げようかなって。」
露子は盛大にのろけたことに気づいていない。
老爺は目を細めて、孫娘のように思っている子どもの成長を喜んだ。
「いい子だねえ、露子ちゃん。霜月神社の神様も露子ちゃんのこと、もの凄く気に入ってるから、もし露子ちゃんがミス霜月になって祭事に出てくれればお喜びになること間違いなしなんだけどなあ。」
「嫌ですよ、ミスコンなんて、恥ずかしいもの。」
露子は本気で嫌な顔をする。
そんなこんなで、社務所に到着。
荷物をどさどさと置くと、奥の間から子狸たちが二足歩行で走ってきた。
子狸たちは皆一様に赤い前掛けをかけて、腹に墨で一、二、三、四、五、とそれぞれ書いてある。
子狸は、五人兄弟らしい。
この前掛けが無ければ、見分けるのも苦労であろう。
露子はこの神社で育ったのに、こんな妖怪がぞろぞろいたなんて、まったく知らなかった。
「露子さまお帰りなさい!」
「露子さま、待っておりました!」
「露子さま!」
「露子さま!」
「露子さま!」
子狸はゾロゾロ出てきて、それぞれが話しかけてくる。
ぴょこぴょこ動く様は、なかなかに可愛いものだ。
「私全然知らなかったわ。五歳まで、こんなところで暮らしてたんだ。」
露子は子狸の一匹を抱き上げてみる。
柔らかくて猫の子のように彼女にすり寄る。
露子はしばらく子狸の背中の毛を撫でていたが「良い襟巻きになりそうだわ」という露子の言葉に恐れをなしたか、子狸は走って逃げてしまった。
「目が変わったんだろうねえ。あの悪魔さんはかなり力が強いみたいだから。露子ちゃんが近くに居るうちに影響されて見えないものが見えるようになったんだね。いやあ、うれしいよ。儂も元は人間だったんだが、このとおり、生きながらあやかしになってしまった身でね。」
老爺は茶色の尻尾をピョコンと出して見せる。
「ええ! おじいちゃんまでそうなの? もう! 私、何を信じて生きてけばいいのかしら。」
露子は柔軟な思考回路をもった少女であるが、ここ最近の自分を取り巻く世界の変貌ぶりには、時々頭痛がする思いだ。
「じゃあ、何か困ったことがあったらお手伝いしますから。おじいちゃん、あんまり無理しないでね。」
露子は去り際にもう一度鳥居を振り返ってみる。
社の屋根には狸が並んでいて、此方に向かって手を振っていた。
¥
と、いう話をしたのが先日のこと。
露子は学園祭のミスコンにクラスメイトの満場一致で出場が決定する。
こういう催しで真剣になるのは恥ずかしいお年頃である。
いっそ男子がいれば、女装してミスコンなんていう楽しい催しになったであろうか。
露子は自分の容姿がもう十分美しいことは知っているので、これ以上目立つことはしたくない。が、クラスメイトの邪気の無いニコニコ顔で「絶対一番で優勝しちゃうね!露子ちゃん」なんて嫌みなく言われてしまえば辞退することも憚れる。
学園祭はもうすぐだ。
校庭には白いテントと櫓(やぐら)が組まれ、簡易の祭壇が出来上がっている。
商工会のおじさんたちがテントを用意しているのが教室の窓から見える。
露子のアンニュイな憂い顔がいっそう美しく、クラスメイトは、感嘆のため息であった。
「露子さんってなんでそんなに綺麗なんでしょうね。ほんとうお姫様みたいだわ。」
声をかけてきたのはクラスメイトの雛菊礼子(ひなぎくれいこ)である。
露子は、実はこの礼子が苦手だ。
礼子も十分に美人であるが、露子をライバル視している節がある。
雛菊礼子はイギリス人の祖父を持つ、いわゆるクオーターという女の子で、長くウエーブのかかった薄茶色の長い髪、赤いリボンで髪を纏めていて、目はぱっちり二重でグレーの瞳の目鼻立ちの派手な美人だ。
礼子もなかなかの美人であるが、露子の濡れたような美しい髪や整った容貌、白い肌、美貌では勝てないことは理解している。
露子はなにかと礼子に絡まれるので、内心嫌気が指している。
ミスコンなどと美を競わせるような催しに参加したくない理由の一つがこの礼子の存在であった。
「ねえ、あなたがミス霜月に選ばれることは、もう決定したも同然だから、私一つ面白い噂を教えてさしあげるわ。」
礼子はにやりと笑う。
「何?噂って。」
「ミス霜月に選ばれた女子生徒は、霜月神社の巫女として祭りの最後の儀式に参加することになる。汚れなき乙女を神へ捧げる儀式の一旦を簡略化させたもので、単なる学園祭ではなく、商店街も一丸となっての神事となる。ここまでは露子さんもご存知よね。だけど、いわゆる汚れなき処女(おとめ)を神へ捧げる儀式だもの。もし選ばれたミス霜月が純血でなかったばあい、神様にぱくっと食べられてしまうのよ。」
露子はあっけに取られて声も出ない。
「純血、の意味わかるでしょう。」
礼子の笑い顔が魔女のようで、露子は恐れをなした。
女子校は怖いところなのだ。
¥
さて、場所は変わって十全と露子のマンションである。
「露子ちゃんミスコン出るんだ、じゃあ、優勝間違いなしだね。」
十全はてらいの無い笑顔で明るく笑う。
「厭なんです。私、目立つの嫌いだし、出たら出たで優勝しちゃうの分かってるから。」
露子は頬を膨らませてソファーに座った十全の膝に凭れる。
「う~ん。世間の女の子達全員を敵にまわすようなことを平然と言う子だね、君は。まあ、たしかにそうなるんだろうけど。」
十全は苦笑いで露子の絹糸のような黒髪をなでる。
艶のある一枚の布のようにサラサラと流れる髪に目を細める。
美しい。
「でも、私が綺麗なのだって、神様のご守護のおかげなんです。だから、私の力でも、私の持ち物でもない。少しコンプレックスだったりするんですけど。そういう風に褒められるの苦手なんです。」
露子は十全を恨みがましいような目でじっと見つめる。
「神様のご加護は事実だと思うけど、露子ちゃんの容姿に関しては生まれながらのものみたいだけどね。ほら、霜月神社の神主のおじいさん、あの人に前会った時、そんなこと言ってたよ。だから、そんなに卑下することじゃないよ。きっと君の本当のお母さんかお父さんが凄く美形だったんじゃないかな。で、奇跡的に露子ちゃんは生まれた、と。」
露子は腕に煌めくプラチナのブレスレットの1カラットのダイヤをいじりながら何となく腑に落ちない顔だ。
そうかと思えば、全く関係のないおねだりがはじまる。
「ダイヤよりルビーの方が良かったかも。誕生石だし。」
「露子ちゃん、ほんと、いい性格になったね。」
「ルビーの指輪って可愛いと思いません?ピンクゴールドで真ん中にルビー。多分私に凄くに合うと思う。私可愛いし。あ、私、薬指9号です。」
十全は飽きれつつも、露子には弱いのだ。
「はいはい、お姫様。」
膝にもたれた露子の小さな顎を持ち上げる。
「買ってあげるからお兄さんとキスしよう。」
「嫌。というかお兄さんって年じゃないでしょう。悪魔なんですから。」
露子はだんだん十全のあしらい方を覚えてきた。
「露子ちゃん、愛に年も種族も関係ないさ。それに僕は結構君のこと好きなんだけどなあ。どうすれば相思相愛になれるだろうか。」
露子は十全の膝の上に乗って頬に口づける。
サービスのつもりなのかもしれないが、十全にとっては蛇の生殺しだ。
「学校にもつけて行きたいし、デザインはシンプルなのがいいです。」
露子は意にも介さない様子で続ける。
十全はがっくり肩を落とす。
「カタログを取り寄せるよ。」
十全はもう、それしか言えなかった。
「そういえば、今日、厭な噂をきいたんです。選ばれたミス霜月が純血でなかったばあい、神様にぱくっと食べられてしまうって。」
「ええ?露子ちゃん純血じゃないの?ショック。」
露子は真っ赤になって十全の腹のあたりをグーで殴る。
十全は大げさに痛がって倒れる振りをするので、露子の溜飲(りゅういん)は下がらない。
「汚れなき乙女を神へ捧げる儀式なんて、なんだか仰々しいじゃないですか。だから私、不安なんです。」
露子は下を向く。
長い睫毛が頬に濃い陰を作る。
どんな表情でも彼女は美しいな、と十全は感嘆する。
「大丈夫だって。何かあったら神様なんて僕がやっつけてあげるから。そうか、じゃあ、霜月祭までは露子ちゃんに不埒なまね出来ないね。」
「当たり前です。」
露子は十全の膝から、ひらりと降りる。
くるっとまわるとフレアスカートがひらり。
バレエ選手のように綺麗に立つ。
「私、神様のご守護についてはコンプレックスもあるんですけど、女の子ですもん。綺麗でいたいし、綺麗な自分は好きなんです。というわけなので、霜月祭までの今日からのメニューはビタミンたっぷり野菜重視の献立になります。十全さんの大好きな揚げ物は食卓に上がりませんから。」
十全の悲鳴を尻目に露子は夕飯の買い出しに鈴木青果店に向かう。
きっと加悦は気まずそうな顔をしながらも、お野菜を沢山おまけしてくれるだろう。
¥
霜月祭でのクラスでの催しはお化け屋敷に決まった。
正直、お化けだの妖怪だの、山ほど見てきた露子は気が乗らない。
今でも机の上には緑の小鬼が居て、露子の教科書を眺めては、ほう、だの、へえ、だの何事か一匹で喋っている。
この小鬼は加悦の眷属であるが、露子を気に入ったのか、はたまた加悦の差し金か、露子につきまとっている。
どうせ憑(つ)きまとうのならもっと可愛い妖怪ならよかった。
露子は緑色の小鬼の腹を指で突く。
小鬼は非力なので、すぐに引っ繰り返って机の下に落ちた。
机の下を見ても、もう姿は無い。
どうせ何処にでも出てくるのだ。
露子はもう気にも止めない。