悪魔の花嫁
露子は礼子の希望通り白い着物の幽霊役である。
ただ、白い着物をきただけでは白無垢のように綺麗で、誰も驚かないだろう、という礼子の指示で顔に血のりをべっとり塗られる。
「ちょっとやり過ぎじゃ無いかしら。」
 自分で指示しておきながら、礼子の美意識にそぐわなかったようだ。
 露子は少し気に入って、浮かれている。
 ちなみに礼子は受付係。
 赤い着物を着ている。
 外国人が無理に日本の着物を着ているような違和感があるが、礼子には赤い色が似合う。
 着物は正絹だし、羽織には絞りがところどころあしらってあり、美しい。
 さて、霜月祭は霜月神社の神事も兼ねているので、町中の人々がやってくる。
 霜月商店街は閉店休業状態になるので、当然、加悦や十全も店を閉めて観覧に来るという。
 十全と加悦は一体なにがあったのか、最近飲みに行く仲となったらしく、霜月祭にも二人で訪れた。
 190センチはある赤毛の大男と、金髪碧眼の外国人男性の二人連れはどこに行っても目立つ。
 露子のクラスのお化け屋敷にも二人で訪れ、受付の礼子と、クラスメイトの女子はキャーキャー騒ぐ。
 さて、血まみれの露子の顔を見た二人は開口一番。
「つ、露子ちゃん、どうしたのそれ、もしかしていじめられてるの?」
「いじめられてるだとう?どこのどいつだ。俺が食ってやるよ!」
 十全と加悦の反応に露子は慌てて宥める。
「幽霊役なの!バカね!」
「しかし、ひどいね、こりゃ、顔面真っ赤じゃないかよ。」
 加悦は自分の手ぬぐいで露子の顔を拭おうとするので慌てて避ける。
「だから血のりなのよ。あとで洗顔するからほっといてよ。」
 露子はそんなに酷い顔になってるのか、不安になってしまう。
 十全はくすくすと笑いながら頭をなでてくれる。
「ミスコンも見たよ。凄かった。何が凄いって、君のやる気のなさと周囲の温度差がね。明日は神事だろう?楽しみだな。巫女の衣装も綺麗なんだろうね。」
 露子は綺麗だと言われることは好きではない。 
 だけど、十全に言われるのは嫌いじゃない。 
 なんだか浮き立つような、しびれるみたいな、そんな気持ちになることがある。
 もっと頭をなでてほしい。
 まるで猫かなにかになったみたいに。
「明日も来てくれますか?十全さん。」
「午後までは仕事するけど神事がはじまる時間までには必ず。」
「はい。」
 露子と十全の様子を横目で見ていた加悦は「俺の前で、いちゃいちゃすんじゃねえよ」と毒づいていた。




     ¥




 霜月神社の櫓(やぐら)が校庭の中央に立てられている。
 櫓には霜月神社の巫女姿の狸が鎮座し、おみくじを販売している。
 横には絵馬掛けが設置され、簡易ではあるが、榊(さかき)の木も運び込まれている。
 櫓の向こう側には、屋形テントが用意してあり霜月神社のご神体が安置されている。
 神事はそこで行われるが、具体的に何をするのか露子は知らない。

 霜月祭最終日。
 露子はミス霜月に選ばれ、結局、巫女となることと相成った。

 茶道教室で巫女装束に着替えをされる。
 部屋は、十二畳はあるかという大きな茶室である。
 日当りは良い。
 窓からは松の巨木が見え、旅館の客室にでもいるかのような錯覚を覚える。
 白衣に緋袴、千早を上から羽織る。
 薄手の白絹に薄く模様が描かれている。
 長い黒髪を後ろの生え際から下で束ねて一まとめにし、和紙でまとめた上から水引でしばって髪留めにする。
 頭には花簪を挿す。
 よく見るとこの花簪は生花(せいか)であったのでその手の込みように露子は驚く。
 これは古来より花や小枝を頭に指して木々の霊力を取り込もうとした事の名残とされる。
 そこまで説明され、露子は事態の深刻さに少しおののく。
 ちなみに着替えを手伝ってくれたのは狸の奥さんであった。
 二足歩行でしかも人間と同じ程度の背丈である。
 後ろから見れば熊か何かと間違えそうであるが、狸特有の、愛嬌のある顔は表情豊かだ。
「狸が眷属なんておかしいでしょう?でも霜月神社の神様は変わったお方だから。お山で行き場の無かった私たちを眷属にしてくださったの。あなたもご守護を受けているからわかるでしょうけど、たいへんに愛情深いお方なんですよ。」

 狸はひらひらした白いエプロンをひらめかせて私を神事の場へ連れて行く。
 屋形テントは紫の布で仕切られ外から中が見えないようになっている。
 生徒や観客はテントの周りに集まってお祓いを受ける。
 祭典に先立って神主のお祓い、宮司一拝、献饌(けんせん)、大祓詞奏上(おおはらいしそうじょう)、祝詞奏上(のりとそうじょう)、そして御祈祷に玉串拝礼(たまぐしはいれい)。二拝二拍手一拝。露子の役割はこれだけだ。
 昔は巫女舞(みこまい)などもさせられたとのことだが、露子にはとても出来ない。
 露子はなんだか肩が凝って疲れてしまった。
 実際に忙しかったのは露子ではなく準備をした狸達や神主の老爺であるが。

 さて、簡易に移設されたご神体は鏡である。
 銅鏡のようであるが、くすんでいて鏡を覗いても何も映らない。
 緑色の錆が全体に薄く蔓延ってとても綺麗とは言えない。
 古来から代々受け継がれてきた宝物だ。
 こんなに汚いけど、神代からの神物なのね、と露子は関心する

 露子がもう一度、鏡を覗き込んだ途端、急に周囲からざわめきや、人いきれが消え、しんと、音がしなくなった。

「え?」

 今まで隣でニコニコ笑っていた狸たちも神主の老爺もいない。
 露子はテントから出て、校庭に立つ。
 あたりは夕闇の逢魔が時(おうまがとき)。
 明るくも暗くもない。
 おぼろに薄暗いばかりでそこには誰もいなかった。
 ただ、藍色の空が広がる。
 露子はぼうっとそこに立ち尽くす。

「なにこれ、私どうしちゃったの?」

神隠し。

 そんな単語が頭の中をぐるぐる廻る。
「神主さま! おじいちゃん! みんな! 十全さん!」
「みんな何処に行ったの?」
 焦った露子は叫ぶ。
 校庭には誰一人いないのだ。

「巫女や、巫女や、おいで。おいで。」

 綺麗な女の人の声がする。

 声は屋形テントの中から響いてくる。
 露子はゆっくりと屋形テントの中に戻る。
 臨時に設置してある祭壇は左右に榊があり、水引幕の向こうには先ほど見た銅鏡。
 不思議なことに、先ほど曇って見えた銅鏡は新品のように綺麗に輝いている。
 緑色に錆びていたはずの銅鏡は、此方を映した。
 鏡には自分の顔が映るが、なんだかいつもと違う気がする。
 これは誰だ?
「うつくしい我が姫。覚えておるかえ?我が娘。」
 声は鏡の向こうから聞こえる。
 鏡に映った自分は、柔らかな笑みで話しかけてくるのであった。
 しかし、よく見ると自分ではない。
 露子は髪の毛を後ろで縛っているはずであるが鏡の中の露子そっくりの女はだらりと洗い髪を流して花冠を乗せているようだ。
 着ている衣装は飛鳥時代の絵巻物みたく古風で、露子は、彼女がいつの時代の人間なんだろうと呆然とする。
 きっと神代の時代とこの鏡はリンクしているのだろう。
「お前は私の社の捨て子じゃ、我の社にて生を受けたのじゃから我が娘同然。お前は大事な我の子であるよ。」
 やさしい声に露子はなんだか涙がでそうになる。
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