悪魔の花嫁
「ごめんなさい。私、よく覚えていなくて、たしか、鏡をぼんやり見ていた所までは覚えているのだけれど。それにしても礼子さん、心配し過ぎではない?」
 露子は明るく笑ってみせる。
「あれから三日も経っているのよ、露子さん。」
 礼子はその笑顔に、恨みがましいような目をする。
「三日!」
 神代の時間は人間界の時間とかなり違うらしい。
 どうやら本当に神隠しだったようである。
「あなた、今朝、茶道教室に倒れていたの、茶道部の方が見つけて下さって。不思議だわ。花簪はしおれていなかった。あなたあの日のまま、その巫女衣装で倒れていたのよ。」
 礼子はまだ涙ぐんでいる。
「そう、ごめんなさい。心配をかけたのね。」
 礼子はがばっと立ち上がると、涙をぐいぐいと乱暴に拭く。
 そして露子の体をぎゅっと抱きしめると叫ぶ。
「私、あなたしか、お友達がいないのよ! だから、勝手に居なくなったりしないで。私、わたし、本当は、あなたのことが大好きなのだわ。」
 なんと、礼子は私のお友達だったようだ。
 衝撃とともに、もうなんだかとても可愛い礼子の背をポンポンと叩く。
「大丈夫、礼子さん。私もうどこにもいかないわ。大切なお友達を心配させてしまってごめんなさいね。」
 礼子はいつまでも離れなかったが、ようよう落ち着いたのか、ことのあらましを説明しはじめた。
「貴方が居なくなった後商店街中で探したの。もちろん、あのヤクザの黒服の方々もそこら中にゾロゾロ出てきてそれはそれは、恐ろしかったわ。商店街の鈴木さんておっしゃるお兄さん、あの方もお店をお休みしてまで、探しまわってくださったの。神主様も随分青い顔なさってたわ、もうすぐあなたの後見人って方がいらっしゃるから、もうすこし横になっていてちょうだい。私はこれから、授業に出るけれど、もし気分が悪いのだったら直にそのブザーを押して保健士の先生を呼ぶのよ! さ、はやく横になって。無理をしないで!」
「はあい。」
 露子はなんだか、幸せな気分だ。
 皆に心配されて、愛されている。
 神様の仕業だろうが、なんだろうが、もういいじゃないか。
 私もこの縁を大事にしよう。
 私も、皆を愛すればいいのだ。

「露子ちゃん!」
 礼子が去った後、がらっと扉を凄い勢いで開けたのは十全だ。
 緑の目が爛爛と輝き、飴色の髪の毛は乱れている。
「大丈夫か。」
 なんというか、乱れている。とても。
 いつもきっちり、かっきり綺麗にしている十全にあるまじき姿だ。
 なんだか、汚い。
「大丈夫です。私。帰ってきました。」
 十全は露子の手を握って、じっと此方を見る。
 ふたりして見つめ合う。
 十全の瞳は綺麗だ。
 猫の目に似ていると気がついたのはいつだったろう。
 緑に金色の光彩。瞳の中心は赤い光りが煌めく。
 美しい。
 十全は本当に綺麗な男だ。
 でも、
「十全さん、顎のところ、少し無精髭(ぶしょうひげ)が生えてます。悪魔でも髭なんて生えるんだ。」
 露子はクスクス笑う。
「君が居なくなって、僕は頭がどうにかなってしまったみたいだ。どうか、もうどこにも行かないでおくれ。僕は寂しがりなんだよ。だから、露子ちゃんはずっと一緒にいてくれなければいけない。こんなことはもう起きないと約束しておくれ。僕はこの三日間、死んでしまいそうに心配したんだ。」
「はい、もちろん、もうどこにも行きません。だって私、借金もあるし、おひさまローンのアルバイトですからね。」
 露子は笑いながら茶化す。
 十全は少し、ポカンとしたかと思うと、落胆したように肩を落とす。
「帰ろうか。露子ちゃん。疲れただろう?向こうの世界に人間が行くと魂が不安定になって、戻ってくると凄く疲労するんだよ。立てないだろう?」
 露子は確かに体が怠いな、と感じる。
 起き上がるのもおっくうだ。
 十全は布団を剥ぐと、露子の体を抱き上げる。
 露子はお姫様だっこで十全の赤いスポーツカーまで運ばれた。
 すこし恥ずかしいながらも、貴重な体験である。
 偶然廊下などで居合わせた女子生徒たちはきゃーきゃーと騒ぐ。
 露子は十全しか見ていないので気にして居なかったが、金髪の王子様に白雪姫が運ばれる様子は大変絵になるのであった。
 学校は早退扱いになるらしい。
 霜月市で女子供が神隠しに遭うことは、稀にあるようだ。
 古く信仰の息づく土地ならではと言ったところか。
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