悪魔の花嫁
露子は父と暮らした屋敷を出た後、キャリーバッグにささやかな荷物を詰め込むと、このマンションにやってきた。
 モデルルームのような室内には観葉植物がずらりと並び、モノトーンで統一された室内は美しい。十全はとにかく飄々とした男であるが、露子のことは気に入った様子で、一室を彼女のために与えた。
 他の部屋のシックなモノトーンとは違い、露子の部屋は白とクリーム色を基調にしたロココ調の柔らかなデザインの部屋であった。
 柔らかなクリーム色のレースのカーテンがひらひらと美しい。
 露子のためにわざわざ改装した部屋は、露子の趣味にあうかどうか、ではなく、露子の容姿がとけ込むように彼の美意識に基づき設計されている。

 結局、一度も使われたことのないであろう、システムキッチンで露子は肉じゃがを煮込む。
「私、何やってるんだろう。」
 露子は運命に翻弄(ほんろう)されながらも、何一つ自分で決定することもなく今まで生きてきた。露子の人生は誰かに翻弄されるばかりで、なにひとつ自身で立ち向かったことはない。悪魔の高利貸しの商売に加担するのだって、露子は流されるままに勤めているのだった。
 そしてその人生を振り返って、自分の不甲斐なさに腹が立つ。

「私って、なんでこう。」
 露子はため息が癖になってしまった。

「露子ちゃんは、自分が嫌いなんだね。」

「え。」

 突然後ろから響いた声に露子は驚く。
 柱の陰から十全はひょいと顔を出した。
 綿のシャツに黒のスラックスを履いて、いつもは後ろに撫で付けている飴色の髪がお額を覆っている。
 前髪を降ろすと、少し、若く見えるから不思議だ。
 そして無駄に綺麗な男である。
 その整った容貌は時に子どものように崩れて笑うことを露子は知っている。
「そんな風に悩む子って、真面目なんだよね、基本的にさあ。気にしなくたっていいのに。運命にあらがったつもりで、結果そのシナリオ通りに物事が進んで、結局なにもできない群衆の愚かな事。露子ちゃんはそんな愚かな考えは捨てて、僕と楽しく暮らせばいいんだよ?」
「楽しく暮らすって。あんな悪魔の商売に荷担して、私きっと地獄に落ちるわ。」
 露子の表情は暗い。
「地獄なんてどこにもないさ。あるとすれば人の心の中だ。」
 十全は続ける。
「それに、商売をするのは悪いことではない。
ある宗教では、富や物質主義は避けるべき悪、さらには戦うべき悪である。
貪欲は、他の大罪と同じく、神に背く罪である。
金銭を愛することは、すべての悪の根である。
富への欲求は信仰の足かせである。
煩悩を捨て去るため、清貧の誓いを立てる必要があると云う。」
 まるで宗教家のように朗々と十全は説く。
 低く、それでいて透明感のある声は歌うようにリビングに響く。
 悪魔は弁論も巧みだ。
「私もそう思うけど。」
 露子は下を向いてつぶやく。
「君はこの資本主義の現代日本に生まれて、霜月神社の境内にて生を受けて、それで尚、蓄財に罪があると言うのかい?」
 十全は心底不思議といった顔をする。
「そうじゃないわ。私は、お金に困っているひとに付け入って、魂を奪うってことに罪悪感を感じるの。」
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