悪魔の花嫁
しかし、十全の張り巡らせた西洋の結界の力は強く、また、露子自身もそこから出で来ないので加悦は、攫う事も拐かすこともできないでいる。
「加悦さんのお気に入りの露子ちゃんも、おひさまローンで働いているんだってねえ、そりゃあ、消費者金融だなんて悪どい印象を持ってるけど、最近じゃあほら、気軽に利用できるってコマーシャルでも流れてるし、そんなに悪いことをしてる訳じゃ無いんじゃないだろうか。現に露子ちゃんの様子も悪くないし、待遇もいいんじゃないかい?やっぱりお金は大事だからねえ」
 穏健派の犬神の佐藤は茉莉花茶(まつりかちゃ)をすする。
「ああ、張さんとこのお茶は美味しいねえ。香りが違う。やはり本場の味って奴かね。」
 犬神、佐藤のおっとりとした加勢にも加悦は聞く耳を持たない。
「金がいるなら銀行で借りればいいんですよ、正式にローン組めば貸してくれるんだから、とにかく俺はアイツは気に食わねえ、露子ちゃんだって可哀想だ。今の時代に人身売買だなんて。俺はとにかく、許しませんぜ!」
 加悦は茉莉花茶をいっきに飲むと、そのまま円卓を出て行ってしまった。
 残った商工会のメンバーは揃ってため息一つ。
 今回の議題はまた、先送りである。



     ¥



 露子は悩んでいた。
 学校には今まで通り通っている。
 霜月女学院高等部(しもつきじょがくいんこうとうぶ)。
 霜月市一の名門女子学院である。
 露子はその美貌から、また社長令嬢という立場から他の生徒にも一目置かれ、生徒会長を努めていた。
 しかし、家業断絶のうえ、消費者金融でのアルバイト。
 とても生徒会役員としてのつとめを果たせそうもない。
 役員としての仕事はさほど無いが、他の生徒の模範と成るべき露子が生徒会をおろそかにしてアルバイトに精を出すというのもよいことではないだろう。

「という訳なので、私の代わりに副会長の楓(かえで)さんにお願いしようかと思いまして。」
 放課後、露子は生徒会室の椅子の真ん中に座って、役員全員の顔を見ながらゆっくりと事の顛末を話した。
 もちろん悪魔と消費者金融でのバイトの件は伏せているが。
「如月会長!そんなのひどすぎます。お父様が蒸発なさったのも、アルバイトを始められたのも全部会長のせいでは無いじゃないですか!わたし、そんなの許せません。」
 副会長の楓は、おかっぱ頭の白皙を揺らしてわめく。
 他の役員達もお穣様らしくおろおろと狼狽えているばかりだ。
 百合のごとく可憐な女子生徒が数名集まって涙を流す光景は美しいな、と生徒会顧問の松下耕造(まつしたこうぞう)は思った。
 ちなみにこの松下、河童の妖怪である。
 頭には河童の皿が乗っているが、生徒に河童であることがバレたことはない。
「楓君、仕方の無い事だよ、ご家庭の事情なのだから。如月君も楓くんの補佐をしばらく頼めるだろうか」
 松下は頭の皿を撫でながら露子に優しく頼む。
「もちろんです。」
 露子はにっこりと笑う。
 顧問の松下は露子の隠れファンであり、生徒会での彼女の凛々しい采配(さいはい)には毎度脂下がっていたのであった。
「という訳なので、新しい役員選挙はこの生徒会内で行うという事でよろしいですね?」
「ああ、もちろんだ。君の言う事で何か間違いが起きた事なんて一度だってないのだからね。ああ、お皿が湿っているな、君たち今日は早く帰りなさい。雨がふるよ。」
 松下は顧問でありながら露子の言う事には何一つ反論しない。
 彼女はこの年にして有無を言わせぬカリスマ性を持っている。
 きっと社会に出ても成功するのはこういう娘なのだろうかと飛躍して考える。
 松下は頭の皿をまた少し撫でながら生徒たちを送り出した。
 生徒会で美しい自分を演じきった露子はため息をひとつ吐いて家路を急ぐ。
 露子が生徒会室を出たあと、雲行きが怪しくなってきた。
 なんだか天候がよくない。
 早く事務所に戻らなければ、露子は夕闇迫る道を走った。
 小雨が降り始めたので、露子は焦る。
 朝から天気予報で午後から天気が崩れると聞いていたのに、露子は携帯傘を持ってこなかったのだ。
 どうせ事務所にいけば置き傘がある、そんな風に思って。
 学校から商店街までほんの数分なのだと、高をくくっていた自分に後悔しながら、走る。
 とうとう、雨が本格的に降り始めてしまった。
 露子の綺麗な髪や顔に雨の露が流れる。
 十月の雨はさすがに冷たい。
 商店街に到着する頃には全身濡れネズミの様相であった。
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