悪魔の花嫁


 この感情の揺れのない人生で、露子は今初めて少し揺れている気がする。
 それはやはり十全の存在だろう。
 彼はあらゆる面で規格外のようだ。
 露子を女性として扱うのもそうだし、十全と出会ってから露子の世界はあきらかに広がった。
 商店街のタバコ屋のおばちゃんは巨大な招き猫だったし、よくみると酒屋のおじさんも、もうどうみても信楽焼(しがらきやき)の狸にしか見えない。
 八百屋さんのお兄さんはどうやら「鬼(おに)いさん」だったらしく、額に一本角が生えている。そういえば彼の髪の毛も染めているにしては赤過ぎる。
 生徒会顧問の松下先生だって、頭にお皿を載せているのに今日気がついた。

 なんで今まで気にも留めなかったんだろう。
 妖怪を見る目。
 露子は自分の目が変わった事に気がついた。

「十全さん、あなたのせいで私の世界は随分変わってしまった。」

 露子は少し恨みがましく思うのと同時に、こんな世界を待っていたのじゃないかしら、と思う。
 露子は平凡な人生に少し。
 ほんの少しだけ、うんざりしていたのだ。

 恵まれた美貌。
 資産家の養女。
 頭脳明晰で人望厚い生徒会長。
 努力で手に入れるべきものを労せず手に入れた。

 神社に捨てられた娘。
 露子の家庭環境を聞けば少しの同情も買える。
 だけど、露子は違う生活を夢見ていたのだから。
 だから、十全を憎む気にならない。
 十全は悪魔だけど、悪い奴じゃない。
 親切で優しい悪魔だ。
 だったら。

「露子ちゃんタオルここに置いとくから。」
 バスルームの向こうから声がする。
 もうすっかり慣れ親しんだ彼の声だ。
「ねえ、十全さん。私、あなたのこと嫌いじゃないの。ほんとうよ?」
 十全は息を詰めるのを感じる。
「私の事、どうしてこんなに優しくしてくれるの?あなたはいったい何を考えているの?」
「露子ちゃん、いろんな事があって疲れてるんだね。ごめんね。今日は夕飯ピザでも取ろうか。台所仕事もしなくていから、ゆっくりしてよ。そうだ、明日は土曜日だし、どこか出かけようか。楽しみだねえ。」
 十全は誤摩化すようにぺらぺらと喋る。
 露子は人の気持ちに鋭いところがある。
 この感覚の鋭さは思春期に頂点に達し、年を減るごとにすり減ってしまう。
 露子は年頃のあらゆる少女と同じように敏感であった。
 


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 十全の本名はジェルゼン•ソーン。
 西洋の富を司る悪魔、マモンの眷属(けんぞく)である。
 キリスト教徒は〈マモン〉という名を、富や強欲を卑しめる侮蔑語(ぶべつご)として、聖書文学において貪欲や不正な世俗的利得(せぞくてきりとく)を表わす語として用いるようになった。
 これは新約聖書における偽りの神として擬人化された。
 悪徳としての過度の物質主義や強欲を指す言葉として用いられることも多い。

 ジェルゼン•ソーンは最初、西洋圏で人間と同様に金融街で働いていた。

 まず、金融の世界は、物々交換からはじまった。
 市場ができ、日本は稲、中国はコヤス貝、古代ローマは塩が、物々交換の代りになった。

 次第に現物がなくとも、取引きができるようになり、株式市場が生まれる。
 するとどうだろう、人々の欲は中世よりももっと膨れ上がった。
 形が無い取り引き、現物がなくとも富は生まれ、欲望はさらに加速する。

 大戦の後、ジェルゼン•ソーンは欧米に渡った。
 一七九二年、材木の取引のために投資家(とうしか)が集まり非公式に取引所を開設した。これがニューヨーク証券取引所のはじまりである。二十世紀に入ると繁栄に従い、世界の金融の中心として発達する。

 人間の欲望は尽きない。どんどん膨れ上がる。
 その様子を見るのは楽しい。
 ジェルゼン•ソーンは長い間、ウォール街の投資家たちの魂を食らうことで生きてきた。投資家たちの栄光と破滅。
 破滅した魂の芳醇で甘美なこと。
 例えるのなら、熟成された葡萄酒の如く。
 しかし、だんだんと飽きてくる。
 長いジェルゼン•ソーンの生。
 彼は自分に妻が居ない事が退屈の原因であると考えた
 知り合いの悪魔には妻帯(さいたい)しているものも多くいる。
 夫婦で楽しそうに狩りを行う様は面映ゆいようで、羨ましい。
 自分だって見目麗しい優秀な悪魔だ。
 花嫁ぐらいきっと簡単に見つかるはずだ。

 さて、花嫁を見つけに、どこへ行こう。

 悩んだ末、彼は東方へ向うことにした。
 東方屈指の金融市場へ。
 そこで新鮮な魂を食らおう。
 美しい東洋の女神を妻としよう。

 そこでは人間と古の神々とが背と背を合わせるように渾然一体と成って暮らしていると聞いた。
 そこには堕落を誘い、魂を奪う我ら悪魔のような存在はいないと云う。
 人間らをそそのかすのは、妖怪と呼ばれるあやかしの類いだ。
 彼らには絶対神は居ない。
 信仰の中に絶対神がいないという事は、絶対の悪も無いということだ。
 白と黒を分けない国民性。善悪への関心が希薄であるのだ。
 信仰は人々の心に生きているが、絶対の邪神も善神も居ない。
 そのあいまいな宗教観、曖昧な善悪の中では、自分の力も弱まるであろうことは予想がついた。
 ジェルゼン•ソーンは西洋文化の悪霊である。
 しかし、この国ではその力は薄まり、迫害もまた形を変えるだろう。

 彼は疲れていたのだった。
 つまり、彼は退屈していたのである。
 ほんの少しだけ、うんざりしていたのだ。

 ジェルゼン•ソーンは恋をしたことがない。
 恋をしてみたいと思った。
 初めて、誰かを大切に思う気持ちを知ってみたいと思ったのだ。
 東洋の信仰豊かな地で、ゆっくりと花嫁を探そう。
 そして、人間みたいに暮らしてみたい、人を愛して、土地に根を降ろし、生きたい。
 彼はそんな風に考えてこの地へ根を降ろしたのであった
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