キミと歌う恋の歌
お店に入ると、翔太さんが救急箱を抱えたまま、店の中央にある小さなソファに座るように言った。
1人でも歩けるのに、タカさんはわざわざ私をソファの前まで運んでしゃがみ込み、少しお尻を後ろにずらすだけで座れるように気を遣ってくれた。

風邪を引いたこともないし、もちろん看病なんてしてもらったこともないので、重症人のような扱いは正直息苦しい。


「酷い傷だな…」


救急箱を隣に置いて、床に膝をついて私を真正面から見た翔太さんはぽつりと漏らした。


「これ打撲の跡だよな?制服の下にもあるのか?」


「あー…少しだけ」


「嘘つくな。制服の下の方が酷かっただろ」


私の言葉はレオによって一蹴されてしまった。
打撲は殴られてたことによってできたものだと、もうこの場にいる全員がわかっているのだろう。
それでも、誤魔化せるものなら誤魔化したかった。
別に私はみんなに家族を断罪して欲しいわけでもなんでもない。

レオの言葉に眉を顰めた翔太さんは、「ちゃんと動かせるか?骨折とか…」と聞いた。


骨折なんてしてたら明日の歌の出来は最悪だ。

だけど、その心配は全くなかった。


「全然大丈夫です。傷は確かに多いですけど、痛みはいつもとそんなに変わらな、」


一度壊れると、気づかれないようにと気を張っていたものが一気に崩れてしまう。
安心してもらえるようにと正直に言った余計な言葉が、みんなの表情を暗くしてしまった。

みんなはとびきり優しいからこんな風に言うと、そんなつもりはなくても不幸のアピールのようになってしまって、気を遣わせてしまう。


「あの、ごめんな、」
反射的に謝りかけた時、目の前の翔太さんの頬に一筋の涙が伝っていることに気づいた。
びっくりしたけど、涙の理由もわからなくて、触れることができない。
いつも笑顔の翔太さんしか見たことがないから、どうすればいいかわからない。
おろおろとみんなの方を見て助けを求めるけど、誰もまるでそんな翔太さんが目に入っていないかのように、目を伏せている。


耐えきれず、トイレに行くとでも嘘をついてその場を離れようかと悩み始めた時、ようやく翔太さんが口を開いた。


「ごめんな、アイ」


涙声で絞り出した言葉は謝罪だった。


何も理解ができなかった。
私が翔太さんに対して謝ることはあっても翔太さんが私に謝ることなんて一つもない。
今だって私の家の事情に翔太さんは一切関係ないのに、営業終了後の店の中で怪我の手当てをしようとしてくれている。

「な、なんで、謝るんですか?」

どれだけ頭を巡らせてもわからないから、素直に尋ねると、翔太さんは時々声を詰まらせながらぽつりぽつりと話した。


「お前が家で苦しんでいることを、俺はずっと前から知っていたのに見て見ぬ振りをした。
お前に本当に必要なのはあの家からの救済だったのに、俺は自分のことばかり考えて、
お前に慕われることで俺は悪くないって必死に思い込んでた。
本当に悪かった。
謝って許されることじゃないけど、


ごめんな、アイ」


私の前で深々と頭を下げるのは、高校に入るまで私の唯一の味方だった翔太さんだ。
約10歳歳の離れた彼は私にとって"大人"で、子どもの自分とは一線引いて捉えてしまっていた。
翔太さんだって、私と同じ人間なのに。
私の存在がずっと翔太さんの善意を苦しめていたのだ。

何も気づかずにいた自分が悔しい。
こんなに優しい人に自分を責めさせてしまっていたという事実が歯痒かった。


「翔太さん、頭をあげてください。
謝ったりしないで。

私は翔太さんのおかげで今も生きてるんです。
翔太さんがいなかったら歌に出会えなかった。
とっくに生きる気力も失ってた。

私の大好きな翔太さんを否定しないで。
私は翔太さんに見つけてもらえて本当によかった。
1番の幸せだって思ってるんです。
お願いだから、そんなこと言わないで…」


翔太さんはわかっていない。
私がどれほど翔太さんに助けられてきたか。

私のことを通報した家族が街を追い出されてから益々みんなの私を見る目が変わった。
可哀想なものを見る目から、疎ましいものを見る目に変わった。
どこを歩いてもまとわりついてくる視線が怖くて仕方なかった。

それでも翔太さんだけは嘘偽りない笑顔を向けてくれた。
それだけであの時の私には十分すぎるほどだった。
居場所なんてどこにもないのだと諦めかけた幼い私にとって、唯一の救いだったのだ。

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