キミと歌う恋の歌
朝ごはんを食べて、支度を終えると、玄関のチャイムが鳴った。

「たぶん、タカだ」

と、レオが言って、玄関の方に連れ立って行くと、こちらで開ける前に扉がガラガラと開いて外からタカさんの顔がのぞいた。


「おはよー」


通学カバンを肩にかけて持つタカさんはいち早く私の顔をハッと見た。


「アイ!前髪切ったのか!」


「あ、は、はい!おばあさんに切ってもらって」


「めちゃくちゃ似合ってるよ!その方がいい絶対!うわあ、メルに早く見せたいな」


タカさんは朝日に負けないキラキラの笑顔で早口にそう褒めてくれた。


「てか、アイメガネなくて大丈夫か?」


腰掛けて、ローファーに足を通していると、後ろから心配そうにレオが声をかけてきた。


「あ、日常生活に支障はない程度には見えてるから大丈夫。むしろ人の顔とか鮮明に見えちゃったら余計緊張しちゃうからこっちの方がいいかもしれない」


「確かに、それはそうかも」


「レオは緊張とか無縁だろ」


「俺はな。タカは絶対緊張するんだからアイマスクでもしとけば?」


「緊張以前に弾けねえわ」


タカさんとレオの小競り合いに笑っていると、居間からおばあさんがスリッパの音を立てて出てきた。


「タカちゃんおはよう。今日は迎えに来てくれたのね」


「おはようございます。まあ、アイがいるから大丈夫かなって思ったんすけど、さすがに今日遅刻されたら困るんで一応」


タカさんとレオはいつも一緒に登校しているのかと思っていたが、この話ぶりだとそうではないみたいだ。

そういえば、レオは寝起きがすごく悪いと前言っていた気がする。
今日は側から見てもすっきり目覚めていたように見えたが、珍しいことなのだろうか。


立ち上がって爪先で軽く床を蹴って、しっかり履き終わると、おばあさんの方を向いた。


「本当にお世話になりました。ご飯もすごく美味しくて、本当に、あの、ありがとうございました」

たった一夜だけなのに、この家で過ごした時間は夢のようだった。
美味しいご飯も、明るい話の飛び交う食卓も、温かい湯船も、着心地のいいパジャマも、太陽の香りがする制服も、全部全部私には縁のないものだと思っていたから。
この家の一員なのかもしれないと錯覚してしまうほどに忘れられない時間だった。

このまま玄関から出れば、12時を回ったシンデレラのドレスのように全てなかったことになるのかと思うと、惜しくて寂しい。

深く頭を下げると、おばあさんは私の肩を少しさすってから抱きしめてくれた。

「私も文化祭見に行くから、貴方の歌を聞かせてちょうだい」

顔を上げると、おばあさんは優しく微笑んでくれていた。

おばあさんの顔を初めて見た時、レオとは全然似ていないと思ったけど、撤回する。

おばあさんの笑った顔はレオの笑顔にそっくりだ。
この人のもとで育てられたのだと納得ができる。


「はい!精一杯歌うので見ていてください」


おばあさんが頷いてくれたのを見てから、体を翻して外に出て待ってくれていたレオとタカさんを追いかけて私も飛び出した。

おばあさんは曲がり角を曲がるまでずっと大きく手を振ってくれていた。
それが嬉しくて私もチラチラと何度も振り返って手を振り返して、何度か電柱に衝突しかけた。


レオの家を出てから15分くらいのところに駅があった。


メルも一緒に行くのかと思ったけど、その様子はなく、3人のまま駅の改札を通り抜けた。


ホームで電車を待っていると、ローファーで地面を駆ける音が聞こえ、振り向くと、「おはよう!」という跳ねるような声が聞こえたと同時にものすごい勢いで何かに飛びつかれて、衝撃でつい後ろに倒れ込みそうになった。
驚きで固まっていると、空中で自分の体が止まっていることに気づいて、後ろを振り向くと、レオが右腕で私の背中を支えてくれていた。
そして、私の胸の中にこじんまりとおさまっている何かを見ると、いつもより一層高い位置でツインテールを作ったメルだった。


「お前、危ないだろ。何考えてんだよ馬鹿」


レオは私の体を押し上げてから、メルを強い口調で怒った。


メルは少し体を離してから、反省した顔で「ごめん、つい嬉しくて」と言ったが、すぐに私の顔をパッと凝視して、顔を輝かせた。

「アイ!前髪!かわいい!!」

興奮した様子で単語を叫ぶメルにレオは隣でわざとらしくため息をついている。


「切ってもらったんだけど、あの、どうかな」


「すっごい似合ってる!!世界一可愛いよ!!」


顔面国宝の女の子に言われてもあまり信用ならない褒め言葉だが、嘘偽りのない様子で褒めてくれるメルを見てると、少しだけ自惚れてもいいかなと思えてくる。


「おい、メル、嬉しいのはわかったから一旦アイに謝れ。ただでさえアイは満身創痍なんだぞ」


メルの興奮が落ち着いてきた頃にタカさんがメルの頭を軽く小突いてそう言った。


「ごめんね、アイ。痛かったよね。本当にごめん」


タカさんの言葉には素直に従い、ぺこりと頭を下げるメル。
隣でレオが憎らしそうにじとっと睨んでいるのは目に入ってないようだ。


「全然いいよ」と笑って返事をすると、メルは手足を交互に見た。


「結構酷いね…包帯ぐるぐる…」


「あ、ごめん、目立っちゃうよね。ステージではちゃんと取るから」


「いいよ、取らなくて。俺ちょっといいこと思いついたんだけどさ」


レオが横から会話に入ってきた。


「いいことって何よ」


「それはソウジが来てから…っとあ!ソウジ!」


レオが少しつま先を上げて、私の後ろに視線を向けて手を振った。


そちらを振り返ると、津神くんがヘッドフォンをつけてあくびをしながらこちらに歩いてきていた。

前髪、何か言われるかな、

少しだけ体をこわばらせていたが、津神くんはチラリと私を一瞥しただけで何も言わなかった。

他のみんなのように褒めてもらえるとはもちろん思っていないけど、少しだけ拍子抜けした。


「何だよ。朝からうるせーな」


津神くんはブツブツと不貞腐れながら、ヘッドフォンを首にかけた。


「あのさあ、これ俺らもつけね?」


レオが津神くんの肩に左腕を回して、円を作る形で近づき、その中央で右手に乗せてみんなに見せたものは、


「包帯?」


怪訝な顔で津神くんが言った。


レオが持っていたのは私が使った包帯の残りだった。


「アイが1人でこんなに包帯ぐるぐる巻きだったら違和感あるだろ?だから、俺らもそれぞれで巻いて、誤魔化そうぜ。ちょっとビジュアル系みたいにはなるけど、」


レオの提案に、それぞれ無言で顔を見合わせた。

正直今日目覚めてからは、あざも傷も結構痛くて、冷やしてくれる湿布や固定してくれる包帯を外すのは少し抵抗がある。
だけど、このまま出ると明らかに私が目立ちすぎるし、ちょっと痛々しく見てて不快になるだろう。
だから、提案は有り難いし嬉しいけど、みんなそれは迷惑なんじゃないだろうか。
私はまだ楽器を弾かないから、包帯をいくら巻いても特に支障はないけど、楽器を弾くみんなはそうじゃない。

「あの、気持ちは嬉しいけど」と言いかけると、メルが勢いよく手を打った。


「えーいいじゃんそれ!レオあんたたまには良いこと考えるじゃん」


「は?メルなんだその言い草は」


「うんうん、レオにしてはグッドアイディアだな。俺、賛成」


「おい、タカ?」


すっかりその気になってレオを弄るメルとタカさんの様子を驚いて見ていると、ふと何も言葉を発していない津神くんが目に入った。
眉毛を曲げて、レオの手のひらにある包帯をじっと見ている。


「あの、津神くんは嫌、だよね」


気を遣ったつもりで、おずおずと尋ねてみると、津神くんはパッとこっちを見て、不機嫌そうに言った。


「誰も嫌とか言ってねえだろ。別にいいよ」


「ソウジちょっと厨二病っぽいもんね!実は内心嬉しがってたりして」


「おい、今日はキーボードなしで行くぞ」


「まあまあまあ、落ち着けソウジ。メルもそんなこと言うな」








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