キミと歌う恋の歌
おばあさんは、父が受け入れただけでは表情を変えず、腕組みをしたまま静かに言った。


「それでは、まずアイさんに今ここで謝ってもらえます?」


父は力無く顔をあげて、ゆらりと私の方に視線を向けた。


その目には向けられた私でなくてもきっとわかるほどに、憎しみの気持ちがこもっている。
ずっと下の存在だと思ってきた、ともすれば同じ種類の生物だとも思っていなかったであろう対象物に頭を下げるなど、父にとっては言語道断だろう。


たまたま生まれてしまった役立たずに、最低限生きていけるだけの手をかけてきてやったと言うのに、なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのかと、彼は本気で思っている。


そうやって生きてきたからだ。
生まれてきた時からきっとそうだったのだ。


数回会ったのみの祖父母も同じような人間だった。


だから父はちっとも悪いとは思っていない顔で、頭を下げる。


「これまで悪かった」とその場限り、形ばかりの謝罪の意を唱える。


「何見てるんですか?貴方たちも早く謝りなさい」


私に頭頂部を見せる姿をぽかんと見つめる母と姉をおばあさんが急かした。


2人とも父と全く同じ表情を浮かべて、錆びついたロボット人形のように不自然な動きで頭を下げた。


私を見下ろしてきた3人の頭が今この時、私より床に近い場所にある。


だけどそんな姿を見たって私の気持ちは昂ることも、スッキリすることもなかった。


別に彼らは心から申し訳ないだなんて一ミリも思ってないし、頭を上げればまた私をキッと睨みつけるだろう。


一体私のこれまでの人生は何だったのだろうと、答えのない問いが浮かぶばかりだった。


「アイちゃんどうする?」


しばらくして、おばあさんが問いかけてきた。


どうする、
どうすることができるんだろう。


こんなもんじゃ許せない
土下座しろ、とでも言うのか


だけど、彼らがどんなに謝罪の姿勢を見せたところで私の気持ちが晴れ渡ることはない。


「…もういいです」


私が一言そう言うと、彼らは弾かれたように頭を上げた。


姉は涙目で顔を真っ赤にして、唇をかみながら私を睨んでいた。


「それじゃあこれからは大人同士で話し合いましょう。貴方たちは先に帰ってなさい。今からタクシーを呼ぶから」


おばあさんはふっと息を吐くと、テキパキと主にレオに向かって指示をした。


これ以上私をこの家に長居させまいとする気遣いだろう。


レオと津神くんも無表情だったが、おばあさんの言うことを聞いて、移動を始め、居間のドアを開けて私を呼んでいる。


だけど、私はまだ帰れない。


「あの、家族だけにしてもらえませんか」


椅子から立ち上がり、自分でも情けないくらい弱々しい声でそう打診をした。


座っていたおばあさんは少し目を丸くしてこちらを見つめ、レオと津神くんは口々に「なんで!」「やめとけよアイ」と声を上げた。


家族の表情は見ていない。


しかし、おばあさんは否定したりせず、すぐに「わかった」と頷き、席を立ち上がると、私の肩にポンッと手を置いて、2人を連れて居間を出て行った。


今この部屋には父と母とその子ども2人だけだ。


手が小刻みに震えて、足がすくむ。
未だ彼らの顔を見ることはできない。


拳をギュッと握りしめる。


が、そんな勇気を打ち砕くように、父が唾を吐くように雑な物言いで言った。


「なんだ、強くなったつもりか?人の力に頼って。お前はいつまで経っても情けないな」


そうだ、
私は自分が強くなったつもりでいるのかもしれない。
みんなに守ってもらって、たった一つ成功体験を作れたくらいで。

本当はみんながいなくなるだけで震えの止まらない弱虫のくせに。


呼吸が荒くなって、心臓がキュッと縮む。


でも大丈夫だ。


もう私は1人じゃない。
1人で強くなる必要なんてないんだ。


目を閉じて、レオ、津神くん、メル、タカさん、翔太さん、教頭先生、おばあさん、今日のステージからの景色、一つ一つゆっくり思い浮かべる。


そして、やっと私は父親の目をまっすぐに捉えた。


ああ、もう大丈夫だ。

震えはなくなった。


「…理想通りの…娘になれなくてごめんなさい。


なんて、もう言わない。


私のことを認めて愛してくれる人たちができたから、もう自分で自分のことを貶したりなんか絶対しない。


私はちゃんと愛されるべきだった。
こんなの絶対間違ってた。
私の16年間…返してよ」


初めは侮蔑の表情で見ていた父だったが、私の物言いにぎょっとしたように目を見開き、不服そうに舌を鳴らした。


母に目を向けると、動揺したように目が泳いでいる。



「恨む、憎い
一生かけて呪いたいくらい」


口にした初めての人を攻撃する言葉に自分でもぞくっと背筋が冷える。

誰かを傷つける言葉なんか使ったのは初めてだった。
これくらいは許してほしい。


「でも、もう憎むのも恨むのも今日でやめる。
そんなの何も産まないってわかってるから。


今まで家に置いてくれてありがとうございました。
…さようなら」


一方的な私の言い分で、彼らは言い返して貶してくるかとも思っていたけど、直立不動で何も言葉は発しなかった。


こんなものかと少し笑えたが、もうここにいる必要はない。
言いたいことは全て言った。


踵を返して、ドアに手をかけたところで、勢いのある足音がものすごいスピードで近づいてきた。


近づいてきた人物は私の肩を掴んで力一杯に揺らして、ドアの方に突き飛ばした。


背中をドアで打ちつけた衝動で思わず目を閉じたが、その目を開くと、唇を振るわせて泣いている姉が見えた。

「なんで、!あんたがあんたなんかがいたから、うちの家族は、あんたさえいなかったら!完璧だったのに」

絶叫する姉。


ドアの向こう側でレオと津神くんがこちらの様子を心配して声をかけているのもわかる。


子どものように顔を真っ赤にして泣く姉を傍観する。


どうして私たちはこうなってしまったんだろう。

朧げな記憶が幻想のように蘇って、儚く消える。

もう何をしたって遅すぎる。
どうにもならないのだ、


「…ごめんなさい、お姉ちゃん」

そっと告げると、もたれかかっていたドアが外側から開き、2人が駆け寄ってくる。

津神くんは早くも姉に対して怒鳴りつけているが、「大丈夫だから」と制止して、部屋を出る。

床にへたり込む姉の姿にはもう目を向けない。

もう見ない。



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