キミと歌う恋の歌
部屋を出ると、おばあさんが「よく頑張ったわね」と頭を撫でてくれた。

感謝の言葉や、本当に一緒に暮らしていいのかという疑問とか、伝えたい言葉はいくらでもあるのにうまく出てこなくて、私は力無く笑うことしかできなかった。


「もうタクシー呼んでるから。少ししたら来るはずよ。気をつけて帰ってね」


「すみません。本当に、何から何まで、」


「いいのよ。あ、アイちゃん何か持っていくものがあるんじゃない?2人に手伝ってもらいなさい」


おばあさんはそう言って、また居間のドアを閉めた。


取り残された私たちだったが、レオは重い空気を切り替えるように不自然な程に明るい声を出した。


「荷物、手伝うよ。部屋はどこ?」


「ああ…」


持っていくものなどあるのだろうか。
あの小さな部屋の中に。


うちの家やレオの家の脱衣所よりも狭い私の部屋を見られるのが恥ずかしくて、少し言い淀んだが、もう今更取り繕えることなどないだろう。


思い直して、階段の上を指さして、登り始めた。


登ってすぐのところにある扉を開き、中に入る。


窓ガラスの破片はまだ散らばったままで、昨日の情景が鮮明に蘇る。


「ごめん、ガラスが散らばってて危ないからそこで待ってて」


中から2人に声をかけると、2人は部屋を凝視し、あんぐりと口を開けて立ち尽くしていた。


「あは、せ、狭いよね。この部屋元々、スペースが余ったから作った物置なの」


特にフォローにもならないが、そう説明しながら、ガラスがかろうじて散っていない範囲に膝をつき、数少ない物たちを整理し始めた。


通学用のバッグ、そして、これまで溜めてきた歌詞ノート、夏用の制服の一色を重ねて、これくらいでいいかと部屋をぐるりと見渡した。


足を伸ばすこともできない狭い部屋。
それでも私が家の中で唯一気を休めることができる逃げ場だった。


涙も悔しさもこの部屋が受け止めて、包み込んでくれた。


そんな存在をこんな散らかったままにしておくのは心が痛んで、歌詞ノートを使って、ガラスを払って一つの場所に集めておく。


さすがに窓の割れたまま放置しておけば、雨は振り込んでくるし、近所からの見栄えも悪いから、どうせ掃除はされるだろう。


きっと私のいた痕跡も消されて、本来通り物置の用途で使われるのかもしれない。


それでも私は16年間確かにここで生きてきた。


床に手をそっとついて、心の中でありがとうと唱えている間に、レオが部屋の中に入ってきていた。


気づいてその顔を見ると、にこりと笑って「これだけでいいのか」とまとめた荷物を見て尋ねた。


「あ、うん」


頷くと、レオはそれを全部片方の腕に抱えてくれて、もう片方の手で私の腕を掴んで引っ張りあげた。


「大丈夫。この部屋に帰りたくなったらばあちゃんに言えばいいさ、俺らが全力警護でついていってやる。な、ソウジ」


「は、急に巻き込むなよ」


ドアの方に向かいながらレオが言うと、津神くんが不機嫌そうに返事をした。


しかし、その後で津神くんは改めて唇を尖らせて言い直した。


「まあ、あいつら腹立つから別にいいけど」


「はは、ほんっとお前素直じゃないよなー。何なの、素直になれない病気なの?」


「うるせえな。もう行くぞ」


2人がにぎやかに小競り合いをしながら階段を降りていく。


その背中を私は後ろから見ている。


後ろから足音がしないのに気づいたのか、レオが振り返り、津神くんも足を止めてこちらを見た。


「どうした、アイ?」


「ボーッとすんなよ」


ずっと部屋の外は怖いことばかりで、物音を立てないように、存在に気づかれないように、細心の注意を払って生きてきた。


だけど、それももう終わりだ。


口角を上げて「ふふっ」と笑い声を漏らし、勢いよく階段を駆け降りた。


私の体重を乗せた床がギシギシと音を立てる。


「大丈夫!」


2人の顔を見てそう言うと、レオは笑って、津神くんは不審そうな顔をしてまた階段を降り始めた。


家を出ると、すでにタクシーが目の前に到着していた。


津神くんが助手席に座り、私が後部座席の奥に乗り込み、レオが乗るとドアが閉まった。


行き先を告げると、早速出発して、夜の星空の下を穏やかに車が揺れる。


小さくなっていく私の家をじっと見つめる。


レオはああ言ってくれたけど、あの家にはもう二度と戻らないだろう。


不必要な程に大きくて美しい、童話のようなお屋敷。
厳しい王様と、美しいお妃様、聡明な王子様に、可愛らしいお姫様。
物語に私は登場できなかった。


でももういい。
外に出ればあの家だって広すぎる世界のたった一部分に過ぎない。


私の輝ける場所は他にある。


もう家を見るのはやめて、揺れに体を任せていると、だんだんとまどろんできて、いつの間にか私は夢の中に吸い込まれていた。


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