キミと歌う恋の歌
「えーいいから連絡先!あ、これスマホ?」


へらへらと笑いながら、涼介という先輩が私のポケットに向けて手を伸ばしてきた。

スマホに付けていたメルとお揃いで買ったキーホルダーがポケットから飛び出していたようだ。

慌てて後ろに下がってポケットを庇おうとしたが、先輩は手を引っ込めない。



嫌だ、とにかくもうここから離れたい



ぎゅっと目を閉じた時だった。


「もう授業が始まりますよ」


背後から聞きなれた声が聞こえてハッと振り返った。


そこには穏やかな表情を浮かべて、手を後ろで組んだ教頭先生が立っていた。


「戸田さんは移動教室なんじゃないかい?そろそろ行かないと遅刻してしまうよ」


「あ、は、はい」


頷きながら、ちらっと腕時計を見たが、まだ授業の開始までしばらく時間がある。
私が困っているのを理解して、機転を効かせてくれているのだろう。


「君たちは何か戸田さんに用事があるのかな?」


そう言って、教頭先生が彼らに目を向けると、3人はバツが悪そうに顔を見合わせて何も言わずにその場を立ち去っていった。


ほっと胸を撫で下ろして、「ありがとうございました」と告げて頭を下げると、教頭先生は表情を変えずに首を振った。


「なんだか話すのが久しぶりな気がするね。最近は、朝早く登校していないだろう?」


「あ、そ、その、友達と一緒に登校するようになって」


レオの家に居候させてもらっていることは学校にバレると面倒なことになりそうだということで内緒にしている。

教頭先生はすごく信頼できる人だけど、やはり教師という立場である以上全てを打ち明けるわけにはいかない。

だけど、わざと秘密を作るのもなんだか胸が痛くて、どもりながらの受け答えになってしまう。


「そうか!それはすごくいいことじゃないか」


心から嬉しそうにニコニコと顔を綻ばせる教頭先生に、私はすぐに頷き返すことができなかった。


いいこと、そう、いいことなんだ。

なのに、私はここ最近ずっと心から笑えていない。


「…?あまり嬉しそうではないね」


教頭先生はそれに気づいたようで、心配そうに首を傾げた。


「い、いや、その」


打ち明けるべきか少しだけ悩んだが、私よりたくさんの年数と経験を積んでいる教頭先生なら私の思いつかなかった道を示してくれるかもしれないと思い直した。


「と、友達と喧嘩?というか、その、怒らせてしまって。私どうしたらいいかわからなくて」


「ほう」


教頭先生は真剣な表情で顎をさすった。


そして、「うーん」と少し唸った後、「喧嘩はいいことじゃないか」とあっけらかんと言った。


「へ?」


「僕も長年教師をしてきたが、高校生にもなると喧嘩とか、言い合いなんて滅多にしないものだよ。
エネルギーを使うものだからね。
合わないと思えば、静かに距離をとって離れていく。それで終わりだよ。
それでもたまに喧嘩をする生徒たちもいる。
だけど、その子達は揃ってみんな卒業後もずっと縁の続いている一生の友人であることが多いんだよ。
喧嘩なんて誰もしたくないものさ。
それをわざわざエネルギーを使って、ぶつかり合うってのはね、本当に仲が良くて、ぶつかってでもこれからも関係を続けていきたいという思いがあるからできることじゃないかと僕は思うよ。
だから、戸田さん、君はそんな友人を巡り会えたことを誇りに思っていいんだよ」


教頭先生が微笑みながら話すその内容は、私にとってすぐには受け入れ難い話だった。

喧嘩とか、言い合いは良好な関係を築けてないからこそ起こりうるものだと思っていた。
それがむしろ仲の良い証拠だとか、誇っていいとか。
適当なことを言っているんじゃないかと疑ってしまう。


「ふふ、何言ってるんだこいつとでも言いたげな顔だね」


私の心の中を見透かしているかのように教頭先生はそう言って笑った。


「い、いやそんなことは」


慌てて否定したけど、あながち間違いではない。


「うーん、その友人とは言い争いをしたのかい?」


「い、いや、その、えっと、私がその子の気を煩わせるようなことを無意識でしちゃったみたいで、不機嫌にさせてしまって、でも私はその、その子の言い分が納得できなくて余計なことを言ってしまって、それで、その子を怒らせてしまったというような感じで」


「ふうん、戸田さんはどうしても譲れなかったということかい?」


真っ直ぐに目を見つめられて、身がすくむ。


あの日のことを思い返す。
私が余計なことを言って、メルを怒らせてしまったことには間違いない。
もっとメルの言葉の意図や思いを聞いて、ちゃんと話し合えばよかったのだ。


でもやっぱり私は自分の言葉自体は間違いではないと思うのだ。
メルと、バンドのメンバーとだけ仲良くするために私はあの家から出て自由な身になることを選んだわけではない。
もっと新たな人と話して、新しいことを始めて、知らない世界に足を踏み入れるために自由が欲しかった。
だから、メルの言うとおりにするだけじゃ、あの家に縛りれていた時のままだ。


「譲れなかった、です。どうしても」


教頭先生の目をまっすぐ見返して、はっきり返事をすると教頭先生は微笑んだ。


「君のそんな目は初めて見たな。うん、それでいいんだよ。友人にも主張があったけど、君も君で譲れなかった。自分の芯があった。対等で素敵な関係じゃないか」


ずっとこの件は自分が悪いと思ってきたから、そんな風に言ってもらえて少しだけ気持ちが軽くなった。


「でも、どうやったら、仲直りできるんでしょうか」


「それはしっかり目を合わせて話し合う以外にないよ。逃げちゃダメだ」


「でも、その、私はまだその友人のこと何もわかってないから、また悪化しちゃったらとか、」


「戸田さん。お互いの全てを知り合うだなんて家族でも無理だよ。知り合っていく努力をすることが関係を築くということだよ」


「でももし、友達が触れてほしくないこととか、聞かれたくないことに私が触れてしまったらどうすれば」


「うーん、聞かれたくないこと、ではなく言いたいけど言えずにいることだったとしたらどうだい?」


「言えずにいる…」


「うん。僕らは読心術なんて扱えないからどう頑張ったって他人の気持ちなんてね、わからない。君が断定している友人の情報だって全くの間違いであることもある。だから、自分の口で聞いて話すんだ。友達と向き合うために必要なのは誠意だけだよ」


そうだ、
さっき気づいたばかりじゃないか。

メルを取り巻く世界は私が思っていたものと全く違っていて、ずっとずっと残酷に見えること。
そんな世界でメルが何を思っていたかなんてもう何も想像もつかない。


私が結局1人でモヤモヤと考え込んでいたって仕方ないんだ。


私はとにかく今すぐメルに会いたい。


力いっぱいに抱きしめたい。


私の気持ちも知って欲しい。
メルの気持ちも知りたい。



「教頭先生…あの、私きゅ、急にすっっごく体調が悪くなったので、家に帰ってもいいですか?」


上目遣いに教頭先生を見ながら、私はせめてもの努力としてお腹に手を置いて少し苦しげな表情を浮かべてみた。


そんな私を見て、教頭先生は目を大きく見開いた後、大きな声で笑い始めた。


「君がそんなことをするなんてね。驚きだよ」


目尻の涙を擦りながら、教頭先生はそう言った後、「一回限りだからね」と声のボリュームを下げて告げた。


ガバッと頭を下げて、私は廊下を逆方向に全力で走り出した。





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