キミと歌う恋の歌
いつものように読書をして時間を潰そうにも集中できなくて、教室をぐるぐると行ったり来たりしていたが、ちらほらとクラスメイトが登校してきたところで席についた。


意味もなく机の傷を指でなぞったりしていると、廊下の方から歓声のような声が聞こえて思わず体をこわばらせた。


彼らが登校してきたんだろうか。


私のことなんて綺麗さっぱり忘れていたらいいな


そんなことを思いながらちらっと廊下の方に視線をやると、ちょうど目が合ってしまった。


まずいと思って、すぐに顔を背けたが、ちょうど登校してきたばかりのような上野玲央は教室まで聞こえるような音量で「いた!」と叫んだ。


机の下で手を握りしめ、さっきまでなぞっていた傷と見つめあっていたが、数秒後に目の前に上野と書かれた上履きが出現した。


「戸田愛水さんだよね?」


「…何で名前を」


フルネーム呼びに思わず顔を上げると、朝から眩いほどの笑みを浮かべた上野くんが目の前に立っていた。


「翔太に聞いたんだよ」


知り合いだったんだ…


親しげに翔太さんのことを呼び捨てにする上野くんに悪気のありそうな様子は伺えない。


彼は悪意を持って私を嘲笑しようなんて気はないのだろう。彼のことは全く知らないけどなんとなくそう思える。


だけど、こんなところで昨日の話でもされてしまったら他の人の耳にも入ってしまう、そんなことを思っていると


「私のバッグ」


上野くんの右手には見慣れた私の飾り気のない通学バッグが握られていた。


「ああそうそう。これ昨日忘れていったでしょ」


そう言いながら上野くんは机の上にバッグを置いた。


「あ、ありがとうございます」


「翔太は戸田さんの名前は知ってたけどクラスまでは知らなかったからさー全クラス探さなきゃって思ってたらここで目が合ってラッキーだったよ」


私はこんなに一言一句緊張していると言うのに彼は至って普通の態度で話してくれるから拍子抜けしてしまう。


ただ、教室中の視線がここに集まっていて、ここ以外の会話がパタリと止んでいるのにも気づいているからそう気は抜けない。


「てかおいソウジ!お前知らないって言ったよな」


突然上野くんは声を張り上げ、視線を向こうに向けた。


辿ると津神くんがちょうど机に鞄を置いたところで上野くんの顔を見て眉をしかめていた。


「…名前覚えてねえし」


低い声でそう言って津神くんは席に座り、あっという間にヘッドフォンを装着してしまった。


そして今になってドアのところに市川さんも立っていることに気づいた。


大きな瞳が私を捉えていることを意識するとどれほどみすぼらしく映っているのだろうと考えてしまう。


「クラスメイトの名前くらい覚えろよ。ったくあいつクラスで嫌な感じだろ?雰囲気悪くしてない?あ、俺は1年4組の上野玲央。よろしく」


上野くんは気にもせずこちらに話しかけてくる。


雰囲気を悪くしているのはむしろ私の方だというジョークは言えず、「はあ」と頷くことしかできなかった。


バッグは受け取ったのにまだ何かあるんだろうか。
曖昧な愛想笑いを浮かべながら様子を見ていると、上野くんは少し真面目な表情をして言った。


「まあいいや、ところでさ戸田さんに相談、というかお願いしたいことがあって。昼休み時間ある?」


「え、」


言葉の意味は理解できるのだが、うまく飲み込めずにおどおどと聞き返してしまう。


学校のアイドルの上野くんが誰からも見向きもされない私に一体何のお願いがあるというのだろうか。


臓器提供をしてくれとかだろうか。友達がいないからセンスのある冗談も思いつかない。


「どう?」焦っている間にも上野くんはずいっと顔を接近させて確認してくる。


私は仰け反りながら勢いに負けて「時間は大丈夫ですけど、」と答えると、上野くんはパァッと顔を輝かせた。


後光が差して見えるとよく言うが、彼の場合は本当に光を発していると思う。


闇属性の私は生気を吸い取られてしまいそうだ。


「じゃあ昼休みに第一音楽室にきてくれる?」


「は、はあ」


「それじゃまた後で!」


童話の王子様のように上野くんは颯爽と教室を出ていった。
市川さんもしばらく私をじっと見つめた後で上野くんを追いかけていってしまった。


突然訪れた非日常な出来事に頭が追いつかず、呆然としている間に先生が教室に入ってきて、ようやく騒めきが戻り容赦ない視線が私に降りかかった。


「どういうこと?」


「なんで玲央くんが?」


視線を浴びて刺々しい言葉を受けるのもそれほど珍しいことではないが、いつもほど気にして縮こまることはなかった。


とんでもないことが起きてしまった。
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