キミと歌う恋の歌
どんなにノロノロとゆっくり歩いても10分しかかからない翔太さんの店までの道は、全力疾走すると5分とさらに短かかった。


店の前に着いて、膝に手を置き、ガクガクと震える足を見ながら息を絶えず吐き続ける自分が情けない。


隣の上野くんは飄々とした様子で、呼吸を整えてる。


しばらくしても、まだ下を向いたままの私を少し心配そうに上野くんが声をかけてくれた。


「大丈夫?」


全然、平気です、


そう答えようと思ったのに、なぜか私は心の底からおかしくなって、無意識に笑い声がこぼれていた。


「はは、」


「どうした?」


「走るってきついけど、気持ちいんですね。


知らなかった…」


いつも人の表情を窺って、自分の言葉一つにさえ緊張していた私が、この時始めて緊張せずに上野くんとしっかり向き合って話せた気がする。


それはきっと嘘偽りない、私の正直な気持ちだったからだ。


汗がうなじをツーッと流れているのを感じる。
呼吸はいまだに落ち着かないし、
心臓は激しく鳴っている。


だけどすごく気持ちいい。


爽快感ってこういう時に使うんだって、納得した。


その時、前にいた上野くんが私のメガネをさっと外した。


途端に、目の前の上野くんはすりガラス越しに見ているようにぼやけて、その輪郭ははっきりしない。


そんな行動の意図がつかめず、動揺していると、さらに上野くんは手を近づけてきた。


近づいてくる手は、一瞬あの人の手に見えた。


私の頬を殴りつけるあの人の。


思わず、目をぎゅっと閉じてしまったが、私の顔に触れるその手の感触はすごく優しかった。


そしてふわっと私の前髪が持ち上げられた気がして、慌てて目を開くと、上野くんは目を細めて笑っていた。


「アイさあ、メガネじゃなくてコンタクトにしなよ。あと前髪切りな」


「え?」


「その方が、笑った顔ちゃんと見える」


おでこに当たる上野くんの指から伝わる暖かさのせいだろうか、胸の奥も温かく感じる。


だけど、つい首を振って反論してしまった。


「…い、いや私の笑った顔なんて不気味だから…」


「は?なんで?」


姉に言われたから、そんな事はさすがに言えずもごもごと口を動かしていると、上野くんは私の前髪をそのまま流して耳にかけた。


「笑って、アイ」


「い、いやそんな急に言われましても」


「いいから、早く!」


「は、っはい」


上野くんの勢いに押されて、とにかく口角をギギギと鈍い音を鳴らしそうなくらい無理やり上げてみた。


上野くんの目にはどれだけ不細工な私が映っていることだろうか。


恐ろしくて想像もしたくないや。


「うん、それがいいよ」


いや、嘘でしょ。


思わずそう言ってしまいそうだった。


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