キミと歌う恋の歌
本番まで1週間を切ってからの日々のスピード感はそれまでと比べ物にならないほど早かった。
学校も文化祭一色に変わり、通常授業はなくなり、準備に全時間をかけるようになった。


私たちは学校での準備を終えたら、翔太さんのお店か、他のスタジオを借りて22時近くまでひたすらに練習を続ける毎日だった。
姉が海外ロケで家を空けていてよかった。
これほど帰りが遅くなることはこれまでなかったから、不審に思われる可能性は高く、勘付かれるかもしれなかったからだ。


翔太さんから受け取ったお金はこれまで払っていなかった分を計算して皆んなに返して、それからのスタジオ代を払ったらもう残りわずかだった。
文化祭終了までは十分に足りるけど、その後はどうすればいいのか頭を悩ませていた。


今日は本番の2日前だ。
明日には学校でのリハーサルを控えている。
しっかり練習時間を取れるのは今日で最後だった。
今日は翔太さんのお店で練習に打ち込んでいた。


そんな日に、いやそんな日だったからこそなのか。
とうとう私はあのどこまでも優しいレオを本気で怒らせてしまった。


「アイ、お前いい加減にしろよ。やる気あるのか?何度やっても一向によくならないし、よくしようって気があるのかどうかわからない」


何度目かわからない通しの練習を終えた直後、スタンドマイクを挟んで私の目の前にスタスタと歩いてきたレオは低い声で言った。


「ごめんなさ、」


これまで見たことのないレオの冷たい無表情に足がすくんで、謝罪の言葉にも詰まってしまう。

津神くんはいつもと変わらない表情でこちらを見ていて、メルは怯えた表情で縋るような目でタカさんを見ていた。

当のタカさんは慌てたように椅子から立ち上がって駆け寄ってきて、レオの肩を叩いた。


「レオ、ちょっと落ち着け」


だが、タカさんの言葉にレオが耳を貸すことはなく、言葉を続けた。


「落ち着いてるよ俺は、ずっとな。だから何度もアイに聞いた。大丈夫か、無理すんなよって。
その度に大丈夫、何もないって言ったよな?全然平気じゃない顔で。
そんなに俺たちが信用できないか?なあアイ」


ただ拳を握って俯くことしかできない。
レオは何も怒りに任せて怒っているわけじゃない。
合理的に、論理的に怒りの理由を話している。
全てレオの言う通りだ。

レオは何度も、うまくいかない私に心配の言葉をかけてくれた。
それでも私は何もないと断り続けた。
心を閉ざし続けた。


「なんで何も話さない?
話してくれないと俺らもどうすればいいかわからない。
バンドは1人のもんじゃないんだよ。助け合わないといいものなんて作れるはずがない。
バンドの一員の自覚がないんだよお前は」


わかってる、
わかってるよ。

だけど、でも、どうしたらいいのかわからないの。
辛いって言ったら調子に乗るなって言われたの。
私のことも見てって言ったらお前みたいな落ちこぼれ誰も興味ないって言われたの。
私はずっとひとりぼっちだって言われたの。
やめてって言ってもやめてくれないの。
痛いって言ったって、楽しそうに笑われるだけなの。
助けてって言っても応えてくれないの。
本当の気持ちなんて訴えたって誰もきいてくれないから、隠して自分でも気づかないふりをしないとやっていけないの。


「ここまで言っても、何も話さないんだな。

なあ、もうお前いらない。
あの時見つけたお前は間違いだった」


唾を吐くようにレオがそう言った。

もうレオの顔なんて怖くて見れなかった。

見れないまま、私はそこを走って飛び出していた。


「え、おい!アイ!?」


後ろから翔太さんの焦る声が聞こえたけど無視して走った。

全力で走った。
荷物も持たず、メガネが邪魔だから取ってポケットに入れて、家とは逆方向に向かって走り続けた。
外はもう真っ暗で、視界が悪いからぼやっと見える街灯の光を頼りにした。


どれだけ時間が経っただろうか。
足がもつれ、心臓がバクバクと痛み出したところで、走りを止め、道に座り込んで呼吸を整えた。


灰色の地面に手をつくと、ひやっとして冷たかった。


こんなことしてどうするつもりなんだろう。


私があの時すべきことは走って逃げることではなく、全力で謝ることだったのに。
明後日が本番だと言うのに自分のことながら一体どうするつもりなのか。
もう信用は完全に失った。
みんなが私に絶望しているだろう。
どうしてあんな奴を仲間になんかしてしまったんだろうと。
津神くんはほら言った通りだろうと言ってるかもしれない。

せっかくできた居場所を自分の手で手放してしまった。
結局私は環境に問題があったわけではなく、私自身に問題があったのだ。
どこに行ったって誰を相手にしたって変わらない。
私は欠陥品なんだ。

涙も出なかった。
自業自得だから当然だ。

うまく呼吸ができず、膝も地面につき座り込んだその時だった。


「戸田さん?」


肩を振るわせて見上げたその先にいたのは教頭先生だった。


「教頭先生…どうしてここに」


ここがどこかわからないのは私だったけど。


「いやあ、学校の生徒が問題を起こして謝りに行ってたんですよ。そしたらもうこんな時間になっちゃって」


「そうなんですか…お疲れ様です」


教頭先生は腰を下ろして私と目線を同じにした。


「戸田さんはこんなところでどうしたんですか?バンドは順調ですか?」


触られたくなかったところを正確に突かれて、顔を下げた。


私の背中を押してくれた教頭先生は度々朝の時間や学校ですれ違った時に最近はどうですか?と進捗を聞いて楽しみにしてくれていた。

上手くいかず飛び出してきたなんて言ったらがっかりさせてしまうだろう。


「その顔はあまり芳しくないようですね」


誤魔化そうとしたのに、それよりも前に教頭先生に見抜かれてしまった。

否定することもできなくて、顔を上げられない。


「戸田さん。初めからうまく行く人なんてそういませんよ」


先生は背中を押してくれたあの日と変わらぬ穏やかな声でそう言った。


「でもうまくいかないと困るんです。もう本番は明後日なのに。
それに、私は他のメンバーの気持ちを無下にして自分のことしか考えられなくて、
もうどうしたらいいか、」


「他のメンバーの気持ちを無下にしてる人はそんな風に話しませんよ。
いいですか戸田さん。
あなたは自分に自信がなさすぎる。」


「だって私なんか、」


「私なんかというのはあなたを信頼している人に対して失礼だからやめなさい」


初めて聞いた教頭先生の強目な口調に驚いて顔を上げると、先生はまるで菩薩のように微笑んでいた。


「上野くんと話しましたよ。この前彼が私のところにお礼を言いにきてくれたんですよ。
戸田さんを説得してくれてありがとうございますってね。説得と言われると少し壮大な気もしますが」


そういえば、前にレオにどうしてバンドをやる気になってくれたのかと聞かれて教頭先生のことをちらっと話したことがある。

でもまさか、お礼だなんて思いもしなかった。


「その時聞いたんです。調子はどうですかってね。
上野くんは今、少し戸田さんの調子が悪いみたいだけど絶対乗り越えられるって信じてるって言っていました。
信頼し合える仲間がいると言うのは本当に素晴らしいことですね。」

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