キミと歌う恋の歌
アイ side
閉じ込められたまま、夜が来て、過ぎて、朝を迎えてしまった。
あれから2時間弱ドアを叩きながら叫び続けていたせいで、両手の側面が青黒くなり、喉も枯れてしまった。
掠れた声しか出ないことに気づいた時、これじゃ出られたとしても歌えないと焦ったけど、結局ドアの外からたまに怒鳴られるだけで、出してもらえる気配は一切なく、無意味な焦りだった。
秋の夜の寒さは、下着だけの姿にはこたえて、正方形の毛布にくるまってガタガタと震えながら夜を明かした。
毛布は物心ついた時から使っているもので、もう厚みも柔らかさも失って薄くなってしまったそれはあまり防寒には役立たなくて、眠れるような気分ではなかった。
私がどれだけ苦しくても、世界は変わらなくて、朝は当然に訪れる。
穏やかな鳥の鳴き声や小学生たちの賑やかな声に、心は沈む一方だった。
今が何時なのかもわからない。
昨日の夜から何も食べてないけど、お腹は空かない。
もう学校は始まっているのだろうか。
みんなは私が来ていないことに気づいただろうか。
怒っているだろうな。
何も言わずに大事なリハーサルをすっぽかしてしまった。
4人の顔を想像すると、自然と涙が溢れるから、あまり考えないようにしていたけど、どうしても頭に浮かぶのはそればかりだった。
壁にもたれかかって足を投げ出して座り、何もない向かいの壁を見つめる。
もう打つ手はない。
考えるのもしんどい。
やっぱり、私なんかが思い上がってしまったのが悪かったのだろうか。
用意されている席に座る人は初めから決まっているのに、私が調子に乗って権利もないのにその席に座ろうとしてしまったのが悪かったのだろうか。
白い壁にこれまでの思い出が蘇る。
全部レオが私の歌を褒めてくれたことから始まった。
まさかあの上野玲央と口を聞くことになるとは思わなかったな。
それで、みんなに認めてもらうために学校で歌ったんだ。
私にあんなことができるなんて、きっと家族の誰も信じないだろうな。
そして、メルと仲良くなった。あんなに可愛くて優しい子が初めての友達だなんて勿体なすぎる。
毎日みんなで必死に練習して、あんなに人と四六時中同じ空間に一緒にいたのは初めてだった。
結城さんたちに楽しみにしてるねって言ってもらえたのも嬉しかった。
聴いて欲しかったな。
ふいに思い立って、部屋の隅に重ねてあるノートを取って開いた。
幼い頃から書き溜めてきた歌詞ノートだ。
家や学校で悲しいことがあった時は、歌詞を書いて、歌を歌って、乗り越えてきた。
ページをゆっくりめくり続けて、最後のページを開いた。
明日歌うつもりだった歌詞だ。
何度も修正を重ねたせいで、ページ全体が真っ黒になっている。
歌詞を指でなぞりながら、部屋の外には聞こえない程度のか細い声で歌った。
______夕暮れ沿いの赤い君
ひとりぼっちで街を彷徨った
幸せよいつ来るの
夢は灯りに溶けてくよ
君は何も持たないから
世界に価値を求めたの
明日に答えを探してる
散々泣いたのに、それでも蛇口の壊れた水道管のように涙が無意識に溢れてくる。
小窓から見える空はもう赤く染まっていて、"今日"も終わりに近づいているのだと実感する。
「…ごめんなさい、」
誰にも届かない謝罪の言葉は空虚に消えた。
それからまた、しばらく時間が経ち、すっかり陽が落ちてしまったくらいの時、窓の外で人の怒鳴り声のようなものが聞こえた。
気のせいかと思ったが、耳を澄ませているとしばらくして同じような声が再び聞こえた。
小学生が家の近くで喧嘩でもしているんだろうか。
気になって、立って小窓の方に移動して、下を見下ろした。
小窓は家の前方の方についているので、ギリギリ玄関先まで視界にいれることができる。
見ると、驚く光景が広がっていた。
家の玄関先で声を荒げているのはレオで、その後ろに津神くんも立っていた。
自分の見たものが信じられなくて、思わず腰が抜けたように床に座り込んでしまった。
どうして2人がここにいるんだろう。
怒鳴っている相手は見えないけれど、もしかして私のことで家族の誰かと口論でもしているのだろうか。
どうしよう、そんなのダメだ。
怒った父や姉が何をするかわからない。
また迷惑をかけてしまう。
止めないと。
いつの間にか手が震えていて、足がもつれて転びかけながら立ち上がって、小窓の枠に手を置いた。
「やめて、やめてレオ!」
力いっぱいに小窓を叩きながら叫ぶけど、2人に聞こえる様子はない。
外の声は少しだけ届くけど、こちら側の声は届かないみたいだ。
どうしよう、どうしよう。
1日ずっと頭を動かさなかったせいで、何もいい案が考えつかない。
何もできずに部屋の中をぐるぐると歩き回っていると、
「…イ!聞こえるか!アイ!」
突然レオの声が鮮明に聞こえるようになった。
家の中に入ってきたんだ。
まさか玄関から押し入ったんだろうか。
扉の方に移動して、耳を扉に押し付ける。
レオの怒鳴り声が聞こえる。
誰かと揉み合っているみたいだ。
「出て行け」という声が何度も聞こえる。
だけど、制する声も振り切るレオの声が家中に響いた。
「アイ!どこだ!聞こえてるか!アイ!お前が苦しんでることに気づかなくてごめんな!お前はもしかしたら自分のことを責めてるのかもしれないけど!いいか!お前は何も悪くない!悪くないのに、お前のことを認めずに傷つけて閉じ込めるこんな奴らのいうことを聞く必要なんてない!俺たちと逃げよう!こんな家出ていこう!お前がいないと俺たちはダメだ!俺たちはお前が必要なんだ!!」
玄関から割と離れたこの部屋なのに、ビリビリと鼓膜を打つようなレオの叫び声は、真っ直ぐに私の胸に届いた。
「私は悪くない…」
思わずレオの言葉を繰り返した。
そんなこと言われたことがなかった。
いつも否定されて、罵倒されて生きてきた。
私に居場所がないのは私のせいだと思っている。
家族はみんな私に対して酷いけど、それは結局は私が何もできないのが悪いのだと…
指先が何かに当たってカサッと物音がする。
見ると、さっきまで眺めていた歌詞ノートだ。
全部、全部自分を責めた歌詞だ。
家族から言われた言葉で自分をそのまま表現した。
それ以外に私を表す言葉を知らなかった。
でも私は本当にそんな歌を歌いたかったんだろうか。
違う。
本当は叫びたかった。
私は、
何も悪くないって。
本当に悪いのは、私を理不尽に傷つけたあの人たちじゃないか。
歌詞を書いたページをぎゅっと握りしめた。
「アイー!」
「ちょっと!やめなさいよ!出て行って!」
レオの私を呼ぶ声と母と姉が怒鳴る声が聞こえる。
しばらくしてレオの声がだんだん遠くなっていく。
追い出されてしまったのかもしれない。
逃げ出すなら今しかない。
私の部屋の中で唯一、家具と呼べる小さな机を両手で抱えた。
何度か上下に動かしてみる。
なんとか振り回せそうだ。
小窓の外を見る。
ここからまっすぐ下に落ちたら地面にそのまま落下して怪我は免れないと思う。
だけど、思いっきり飛び出せば、少し離れた場所に植えてある木がクッション代わりになって勢いを緩和することができる気がする。
物は試しだ。
ここで諦めたらもう私はこの先何もできないだろう。
死んだように生きるくらいなら、挑戦して死ぬほうがずっとマシだ。
狙いを定めて、小窓の正面に立ち、深く深呼吸をした。
そして、机を持ち上げて、思いっきり振り下ろした。
鈍い音が響く。
ガラス窓がわかりやすく揺れた。
効果はありそうだ。
誰かに止められる前に急がないと。
全身の力を振り絞って必死に窓を叩き続けた。
初めは鈍い音だったのが、だんだんとミシミシという音に変わり始め、端の方に細かい線が入り始めた。
ドアの外で勢いよく階段を駆け上がる音がして、さらに叩く速度を速くする。
腕の感覚がなり始め、思わず「もう、無理…」と呟いた時だった。
パリーンという音が鳴り、ガラスが至る所に飛び散った。
顔や腕に鋭い痛みを感じる。
次の瞬間、ドアがバタンと開いて、振り返ると必死の形相の姉が肩で息をして立っていた。
姉がこちらに向かって駆け出すと同時に、私は床に放置していた毛布をとって体に巻きつけ、思いっきり窓から外に飛び出した。
あれから2時間弱ドアを叩きながら叫び続けていたせいで、両手の側面が青黒くなり、喉も枯れてしまった。
掠れた声しか出ないことに気づいた時、これじゃ出られたとしても歌えないと焦ったけど、結局ドアの外からたまに怒鳴られるだけで、出してもらえる気配は一切なく、無意味な焦りだった。
秋の夜の寒さは、下着だけの姿にはこたえて、正方形の毛布にくるまってガタガタと震えながら夜を明かした。
毛布は物心ついた時から使っているもので、もう厚みも柔らかさも失って薄くなってしまったそれはあまり防寒には役立たなくて、眠れるような気分ではなかった。
私がどれだけ苦しくても、世界は変わらなくて、朝は当然に訪れる。
穏やかな鳥の鳴き声や小学生たちの賑やかな声に、心は沈む一方だった。
今が何時なのかもわからない。
昨日の夜から何も食べてないけど、お腹は空かない。
もう学校は始まっているのだろうか。
みんなは私が来ていないことに気づいただろうか。
怒っているだろうな。
何も言わずに大事なリハーサルをすっぽかしてしまった。
4人の顔を想像すると、自然と涙が溢れるから、あまり考えないようにしていたけど、どうしても頭に浮かぶのはそればかりだった。
壁にもたれかかって足を投げ出して座り、何もない向かいの壁を見つめる。
もう打つ手はない。
考えるのもしんどい。
やっぱり、私なんかが思い上がってしまったのが悪かったのだろうか。
用意されている席に座る人は初めから決まっているのに、私が調子に乗って権利もないのにその席に座ろうとしてしまったのが悪かったのだろうか。
白い壁にこれまでの思い出が蘇る。
全部レオが私の歌を褒めてくれたことから始まった。
まさかあの上野玲央と口を聞くことになるとは思わなかったな。
それで、みんなに認めてもらうために学校で歌ったんだ。
私にあんなことができるなんて、きっと家族の誰も信じないだろうな。
そして、メルと仲良くなった。あんなに可愛くて優しい子が初めての友達だなんて勿体なすぎる。
毎日みんなで必死に練習して、あんなに人と四六時中同じ空間に一緒にいたのは初めてだった。
結城さんたちに楽しみにしてるねって言ってもらえたのも嬉しかった。
聴いて欲しかったな。
ふいに思い立って、部屋の隅に重ねてあるノートを取って開いた。
幼い頃から書き溜めてきた歌詞ノートだ。
家や学校で悲しいことがあった時は、歌詞を書いて、歌を歌って、乗り越えてきた。
ページをゆっくりめくり続けて、最後のページを開いた。
明日歌うつもりだった歌詞だ。
何度も修正を重ねたせいで、ページ全体が真っ黒になっている。
歌詞を指でなぞりながら、部屋の外には聞こえない程度のか細い声で歌った。
______夕暮れ沿いの赤い君
ひとりぼっちで街を彷徨った
幸せよいつ来るの
夢は灯りに溶けてくよ
君は何も持たないから
世界に価値を求めたの
明日に答えを探してる
散々泣いたのに、それでも蛇口の壊れた水道管のように涙が無意識に溢れてくる。
小窓から見える空はもう赤く染まっていて、"今日"も終わりに近づいているのだと実感する。
「…ごめんなさい、」
誰にも届かない謝罪の言葉は空虚に消えた。
それからまた、しばらく時間が経ち、すっかり陽が落ちてしまったくらいの時、窓の外で人の怒鳴り声のようなものが聞こえた。
気のせいかと思ったが、耳を澄ませているとしばらくして同じような声が再び聞こえた。
小学生が家の近くで喧嘩でもしているんだろうか。
気になって、立って小窓の方に移動して、下を見下ろした。
小窓は家の前方の方についているので、ギリギリ玄関先まで視界にいれることができる。
見ると、驚く光景が広がっていた。
家の玄関先で声を荒げているのはレオで、その後ろに津神くんも立っていた。
自分の見たものが信じられなくて、思わず腰が抜けたように床に座り込んでしまった。
どうして2人がここにいるんだろう。
怒鳴っている相手は見えないけれど、もしかして私のことで家族の誰かと口論でもしているのだろうか。
どうしよう、そんなのダメだ。
怒った父や姉が何をするかわからない。
また迷惑をかけてしまう。
止めないと。
いつの間にか手が震えていて、足がもつれて転びかけながら立ち上がって、小窓の枠に手を置いた。
「やめて、やめてレオ!」
力いっぱいに小窓を叩きながら叫ぶけど、2人に聞こえる様子はない。
外の声は少しだけ届くけど、こちら側の声は届かないみたいだ。
どうしよう、どうしよう。
1日ずっと頭を動かさなかったせいで、何もいい案が考えつかない。
何もできずに部屋の中をぐるぐると歩き回っていると、
「…イ!聞こえるか!アイ!」
突然レオの声が鮮明に聞こえるようになった。
家の中に入ってきたんだ。
まさか玄関から押し入ったんだろうか。
扉の方に移動して、耳を扉に押し付ける。
レオの怒鳴り声が聞こえる。
誰かと揉み合っているみたいだ。
「出て行け」という声が何度も聞こえる。
だけど、制する声も振り切るレオの声が家中に響いた。
「アイ!どこだ!聞こえてるか!アイ!お前が苦しんでることに気づかなくてごめんな!お前はもしかしたら自分のことを責めてるのかもしれないけど!いいか!お前は何も悪くない!悪くないのに、お前のことを認めずに傷つけて閉じ込めるこんな奴らのいうことを聞く必要なんてない!俺たちと逃げよう!こんな家出ていこう!お前がいないと俺たちはダメだ!俺たちはお前が必要なんだ!!」
玄関から割と離れたこの部屋なのに、ビリビリと鼓膜を打つようなレオの叫び声は、真っ直ぐに私の胸に届いた。
「私は悪くない…」
思わずレオの言葉を繰り返した。
そんなこと言われたことがなかった。
いつも否定されて、罵倒されて生きてきた。
私に居場所がないのは私のせいだと思っている。
家族はみんな私に対して酷いけど、それは結局は私が何もできないのが悪いのだと…
指先が何かに当たってカサッと物音がする。
見ると、さっきまで眺めていた歌詞ノートだ。
全部、全部自分を責めた歌詞だ。
家族から言われた言葉で自分をそのまま表現した。
それ以外に私を表す言葉を知らなかった。
でも私は本当にそんな歌を歌いたかったんだろうか。
違う。
本当は叫びたかった。
私は、
何も悪くないって。
本当に悪いのは、私を理不尽に傷つけたあの人たちじゃないか。
歌詞を書いたページをぎゅっと握りしめた。
「アイー!」
「ちょっと!やめなさいよ!出て行って!」
レオの私を呼ぶ声と母と姉が怒鳴る声が聞こえる。
しばらくしてレオの声がだんだん遠くなっていく。
追い出されてしまったのかもしれない。
逃げ出すなら今しかない。
私の部屋の中で唯一、家具と呼べる小さな机を両手で抱えた。
何度か上下に動かしてみる。
なんとか振り回せそうだ。
小窓の外を見る。
ここからまっすぐ下に落ちたら地面にそのまま落下して怪我は免れないと思う。
だけど、思いっきり飛び出せば、少し離れた場所に植えてある木がクッション代わりになって勢いを緩和することができる気がする。
物は試しだ。
ここで諦めたらもう私はこの先何もできないだろう。
死んだように生きるくらいなら、挑戦して死ぬほうがずっとマシだ。
狙いを定めて、小窓の正面に立ち、深く深呼吸をした。
そして、机を持ち上げて、思いっきり振り下ろした。
鈍い音が響く。
ガラス窓がわかりやすく揺れた。
効果はありそうだ。
誰かに止められる前に急がないと。
全身の力を振り絞って必死に窓を叩き続けた。
初めは鈍い音だったのが、だんだんとミシミシという音に変わり始め、端の方に細かい線が入り始めた。
ドアの外で勢いよく階段を駆け上がる音がして、さらに叩く速度を速くする。
腕の感覚がなり始め、思わず「もう、無理…」と呟いた時だった。
パリーンという音が鳴り、ガラスが至る所に飛び散った。
顔や腕に鋭い痛みを感じる。
次の瞬間、ドアがバタンと開いて、振り返ると必死の形相の姉が肩で息をして立っていた。
姉がこちらに向かって駆け出すと同時に、私は床に放置していた毛布をとって体に巻きつけ、思いっきり窓から外に飛び出した。