キミと歌う恋の歌
見える景色の全てがスローモーションに映った。
夜空をこんなにじっくり眺めたのは久しぶりだ。
昔、夜中まで家を追い出されていた時、私を励ましてくれていたのはいくら目を逸らしても追いかけてくる月だったな。
思い出して、少しだけ笑った。
目の前の景色が一面の空からたくさんの葉っぱと木の枝に変わった途端、体感速度は速くなり、木の葉の茂った部分に体が落下した。
毛布を体にまとい、体を丸めていたが、葉っぱや小枝が当たって痛い。
落ちる勢いはだいぶ弱まったけど、止まることはできなかった。
太い幹に背中が当たって、地面に向かって体が投げ出され、地面がだんだんと近くなり、痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた。
しかし、いつまで経っても地面に叩きつけられることはなく、私の体は柔らかくて温かい何かに包み込まれた。
「っぶねー」
耳元でよく知った声が聞こえて、ゆっくり目を開けると、目の前にレオの顔があった。
レオは滑り込んできた形で私の下敷きになって、衝撃から庇ってくれていた。
そして、その少し後ろには津神くんが駆け寄ってきていた。
「レオ…津神くん…」
状況が飲み込めず、思わず呟くとレオはニコッと笑って、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前よくあんなとこから飛んだなー。すげえよ。体大丈夫か?」
そう言った後、レオは目線を下にして、だんだんと表情を暗くした。
視線が私の体に向かっていることに気づいて、はっと体を見下ろすと、酷いものだった。
毛布は木の枝に取られてしまったらしく、ほとんど裸同然の姿だった。
さらに、散々殴られたせいで体は至る所が青黒くなった上に、ガラスと枝を潜り抜けてきたことで切り傷がいくつもできており、出血もしている。
恥ずかしいものを見せてしまって申し訳ない。
津神くんも目を見開いて私の姿を凝視していた。
「ごめ、」
謝りながら慌てて、レオの上からどいたが、レオは何も言わずに、制服のブレザーを脱いで、私に渡した。
「これ羽織っとけ」
「え、でも汚れちゃう…」
「いいんだよ、そんなのどうでも」
「あ、ありがとう」
レオがあまりにも優しい表情で言うものだから、それ以上何も言えず、ブレザーに袖を通して前のボタンを一つだけとめた。
すると、津神くんもブレザーを脱ぎながら近づいてきて、座り込む私の太ももの上に乗せながら、「そのまま座ってじっとしてろ」とぶっきらぼうに言った。
ありがとうと言いかけた時、甲高い声がその場に響いた。
「ちょっと!何してんのあんた?舐めてんの?!」
姉だ。
今日は珍しく仕事は休みだったんだろうか。
急いで部屋を出て階段から降りてきたのであろう姉は顔を赤くしてこっちを睨みつけていて、後ろには母がオロオロと慌てふためいている。
まだ、父は帰ってきていないみたいだ。
姉は一直線にこちらに向かってスタスタと歩いてきて、目の前で思いっきり手を振り上げた。
ああまたかと、目を閉じかけたが、横から津神くんが姉の腕を掴み、レオが私を庇うように両手を広げて立った。
「なんなのよ!あんたたち、他人のくせに邪魔しないでよ!」
こんなに余裕のない姉を見るのは初めてだ。
顔を赤くして力任せに怒鳴っている。
「仲間が虐待されてるのに何もしないわけないだろ」
レオが冷静にそう言った。
まだ仲間と呼んでくれることに目頭がじんわりと熱くなった。
「はあ?!えらっそうに!ねえ!愛未!調子に乗るなよ。どうせこいつらもあんたをすぐ捨てるよ。いい顔してるのなんて今だけだから。あんたみたいな出来損ない誰も好きになんてならないから」
ご近所さんも何事かとわらわらと家の前に集まり始めてるのに、姉はヒステリックに怒鳴ることをやめない。
レオと津神くんを間に挟んで見る姉は、すごく小さく見えた。
あんなに恐ろしさという概念の具現化だった姉が今は全然怖くない。
姉の言葉にレオが真顔で詰め寄ろうとしたけど、腕を掴んで引き留めた。
もう逃げない。
人や環境のせいにして、奇跡を待って、受け身でばかりいるのはもうやめる。
私が自分で立ち向かわないといけないんだ。
そして、私が本当に怒らなければいけなかったのは私じゃない。
私を蔑ろにした家族と見て見ぬ振りした大人たちだ。
私は何も悪くない。
「別にいいよ、裏切られても見放されても構わない。
そう思えるほど、私はレオと津神くんとメルとタカちゃんのことが大好きだから。
殴るなら殴ればいい、好きなだけ詰ればいい、でももう私はアンタたちの思う通りにはならない!
私は、私は世界一のバンドのボーカルになるの!」
昨日殴られたせいか、大声を出すと肺の辺りが痛かった。
だけど、そんなこと気にならないくらい、胸がスッキリしていた。
真っ直ぐと見つめた姉の瞳は大きく揺れていて、明らかに動揺していた。
「…アンタが、アンタなんかが私にそんな口聞いていいと思ってんの?!」
「うるさい!もう私はお姉ちゃんの言いなりにはならない!お母さんもお父さんももう知らない!そっちが私をいらないっていうなら私だってこんな家もういらないよ!」
「はあ?!アンタみたいな落ちこぼれをずっとこの家に置いてやってたのに!この恩知らず!」
声の張り合い、詰り合いで、他人から見たら醜いものだっただろう。
だけど、私にとっては忘れられない瞬間だった。
あの姉に初めて言い返したのだ。
さらに姉は激昂していたが、それをあしらったのはレオだった。
「もういい。これ以上お前らと話してても時間の無駄だ」
そう言って、レオは一旦膝を地面について、私と目線を合わせた。
「よく言ったじゃん、えらいぞ。
それで、どうする?警察呼ぶか。」
「いや!警察なんて呼んだら大事になっちゃう。私は絶対に明日歌いたい」
レオは私を気遣ってくれているのに、つい姉と怒鳴りあった時の感情に引っ張られて、大声を出してしまった。
しかし、レオは何も言わずに頷いて、姉に向かって強い口調で言った。
「アイの制服をもってこい、荷物もな」
「はあ?そんなことしてやる義理ないし。それに警察呼ぶとか言ってるけどそんなの無駄だからね、お父さんが」
私のお父さんのことを知っているのか、レオが唇を噛んだ。
しかし、今度は津神くんがポケットからスマホを取り出して、姉にレンズを向けた。
「ちょっ、あんた」
「この家に来てから今もずっとカメラを起動してる。警察が使えなくても世間はどうだろうな。
人気女優の妹に対する虐待疑惑、一般人が飛びつきそうなネタじゃねえか?」
表情を変えず、淡々と話す津神くんにわなわなと拳を震わせている姉。
どちらが優勢かはわかりやすかった。
そして、そこでようやく、外に野次馬も集まってきているのに気づいたようで姉は慌てて顔を逸らした。
地団駄を踏んで頭を掻きむしった後、家の中に戻り、少しした後で制服を玄関から外に投げ捨てたっきり戻ってこなかった。
ぽつんと取り残され、私を睨みつけている母に対して、津神くんがまたしても冷静に言った。
「余計なことしたら有無も言わさずこの動画SNSで流すから。
それから明日文化祭が終わったら、こいつのこれからについて話に来る。
顔揃えて待っとけよ」
それだけ言うと、津神くんは玄関先の方から制服をとり、私に手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「着替えたらいくぞ」
「あ、はい。」
頷くと、レオと津神くんが背を向けてくれたので、慌てて制服に着替えた。
ぴたりと隣り合った2人の様子を見ると、レオが揶揄うように津神くんを小突き、津神くんはそれを払いのけていた。
「あ、の、着替えました」
声をかけると、レオが近寄ってきて、私の手を取った。
「アイ、順番が遅れちゃったけど、昨日はお前なんかいらないなんて酷いこと言って本当にごめん」
目を伏せるレオはさっきまでの威勢のいい様子とは全然違っていて、思わず笑ってしまいそうだった。
「ううん、私こそ練習放り出してごめんなさい」
「許してくれるのか?」
「初めから怒ってなんかないよ」
「よかったー」
心から安心したようにレオが大袈裟にため息をついた。
少しばかり沈黙が流れて、目を見合わせた。
「帰るか、メルがそろそろ待ちきれずにここまでやってきそうだ」
「みんな怒ってないかな、私に」
「なんで怒るんだよ、みんな心配してるよ」
そう言ってレオはニコッと笑い両腕で私と津神くんの肩を引き寄せた。
「帰ろう」
もう私の帰る場所はここではない。
ここまでしてしまって明日から私はどうなるかわからないけど、とにかく今はみんなのいるところが私の帰る場所だ。
夜空をこんなにじっくり眺めたのは久しぶりだ。
昔、夜中まで家を追い出されていた時、私を励ましてくれていたのはいくら目を逸らしても追いかけてくる月だったな。
思い出して、少しだけ笑った。
目の前の景色が一面の空からたくさんの葉っぱと木の枝に変わった途端、体感速度は速くなり、木の葉の茂った部分に体が落下した。
毛布を体にまとい、体を丸めていたが、葉っぱや小枝が当たって痛い。
落ちる勢いはだいぶ弱まったけど、止まることはできなかった。
太い幹に背中が当たって、地面に向かって体が投げ出され、地面がだんだんと近くなり、痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた。
しかし、いつまで経っても地面に叩きつけられることはなく、私の体は柔らかくて温かい何かに包み込まれた。
「っぶねー」
耳元でよく知った声が聞こえて、ゆっくり目を開けると、目の前にレオの顔があった。
レオは滑り込んできた形で私の下敷きになって、衝撃から庇ってくれていた。
そして、その少し後ろには津神くんが駆け寄ってきていた。
「レオ…津神くん…」
状況が飲み込めず、思わず呟くとレオはニコッと笑って、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前よくあんなとこから飛んだなー。すげえよ。体大丈夫か?」
そう言った後、レオは目線を下にして、だんだんと表情を暗くした。
視線が私の体に向かっていることに気づいて、はっと体を見下ろすと、酷いものだった。
毛布は木の枝に取られてしまったらしく、ほとんど裸同然の姿だった。
さらに、散々殴られたせいで体は至る所が青黒くなった上に、ガラスと枝を潜り抜けてきたことで切り傷がいくつもできており、出血もしている。
恥ずかしいものを見せてしまって申し訳ない。
津神くんも目を見開いて私の姿を凝視していた。
「ごめ、」
謝りながら慌てて、レオの上からどいたが、レオは何も言わずに、制服のブレザーを脱いで、私に渡した。
「これ羽織っとけ」
「え、でも汚れちゃう…」
「いいんだよ、そんなのどうでも」
「あ、ありがとう」
レオがあまりにも優しい表情で言うものだから、それ以上何も言えず、ブレザーに袖を通して前のボタンを一つだけとめた。
すると、津神くんもブレザーを脱ぎながら近づいてきて、座り込む私の太ももの上に乗せながら、「そのまま座ってじっとしてろ」とぶっきらぼうに言った。
ありがとうと言いかけた時、甲高い声がその場に響いた。
「ちょっと!何してんのあんた?舐めてんの?!」
姉だ。
今日は珍しく仕事は休みだったんだろうか。
急いで部屋を出て階段から降りてきたのであろう姉は顔を赤くしてこっちを睨みつけていて、後ろには母がオロオロと慌てふためいている。
まだ、父は帰ってきていないみたいだ。
姉は一直線にこちらに向かってスタスタと歩いてきて、目の前で思いっきり手を振り上げた。
ああまたかと、目を閉じかけたが、横から津神くんが姉の腕を掴み、レオが私を庇うように両手を広げて立った。
「なんなのよ!あんたたち、他人のくせに邪魔しないでよ!」
こんなに余裕のない姉を見るのは初めてだ。
顔を赤くして力任せに怒鳴っている。
「仲間が虐待されてるのに何もしないわけないだろ」
レオが冷静にそう言った。
まだ仲間と呼んでくれることに目頭がじんわりと熱くなった。
「はあ?!えらっそうに!ねえ!愛未!調子に乗るなよ。どうせこいつらもあんたをすぐ捨てるよ。いい顔してるのなんて今だけだから。あんたみたいな出来損ない誰も好きになんてならないから」
ご近所さんも何事かとわらわらと家の前に集まり始めてるのに、姉はヒステリックに怒鳴ることをやめない。
レオと津神くんを間に挟んで見る姉は、すごく小さく見えた。
あんなに恐ろしさという概念の具現化だった姉が今は全然怖くない。
姉の言葉にレオが真顔で詰め寄ろうとしたけど、腕を掴んで引き留めた。
もう逃げない。
人や環境のせいにして、奇跡を待って、受け身でばかりいるのはもうやめる。
私が自分で立ち向かわないといけないんだ。
そして、私が本当に怒らなければいけなかったのは私じゃない。
私を蔑ろにした家族と見て見ぬ振りした大人たちだ。
私は何も悪くない。
「別にいいよ、裏切られても見放されても構わない。
そう思えるほど、私はレオと津神くんとメルとタカちゃんのことが大好きだから。
殴るなら殴ればいい、好きなだけ詰ればいい、でももう私はアンタたちの思う通りにはならない!
私は、私は世界一のバンドのボーカルになるの!」
昨日殴られたせいか、大声を出すと肺の辺りが痛かった。
だけど、そんなこと気にならないくらい、胸がスッキリしていた。
真っ直ぐと見つめた姉の瞳は大きく揺れていて、明らかに動揺していた。
「…アンタが、アンタなんかが私にそんな口聞いていいと思ってんの?!」
「うるさい!もう私はお姉ちゃんの言いなりにはならない!お母さんもお父さんももう知らない!そっちが私をいらないっていうなら私だってこんな家もういらないよ!」
「はあ?!アンタみたいな落ちこぼれをずっとこの家に置いてやってたのに!この恩知らず!」
声の張り合い、詰り合いで、他人から見たら醜いものだっただろう。
だけど、私にとっては忘れられない瞬間だった。
あの姉に初めて言い返したのだ。
さらに姉は激昂していたが、それをあしらったのはレオだった。
「もういい。これ以上お前らと話してても時間の無駄だ」
そう言って、レオは一旦膝を地面について、私と目線を合わせた。
「よく言ったじゃん、えらいぞ。
それで、どうする?警察呼ぶか。」
「いや!警察なんて呼んだら大事になっちゃう。私は絶対に明日歌いたい」
レオは私を気遣ってくれているのに、つい姉と怒鳴りあった時の感情に引っ張られて、大声を出してしまった。
しかし、レオは何も言わずに頷いて、姉に向かって強い口調で言った。
「アイの制服をもってこい、荷物もな」
「はあ?そんなことしてやる義理ないし。それに警察呼ぶとか言ってるけどそんなの無駄だからね、お父さんが」
私のお父さんのことを知っているのか、レオが唇を噛んだ。
しかし、今度は津神くんがポケットからスマホを取り出して、姉にレンズを向けた。
「ちょっ、あんた」
「この家に来てから今もずっとカメラを起動してる。警察が使えなくても世間はどうだろうな。
人気女優の妹に対する虐待疑惑、一般人が飛びつきそうなネタじゃねえか?」
表情を変えず、淡々と話す津神くんにわなわなと拳を震わせている姉。
どちらが優勢かはわかりやすかった。
そして、そこでようやく、外に野次馬も集まってきているのに気づいたようで姉は慌てて顔を逸らした。
地団駄を踏んで頭を掻きむしった後、家の中に戻り、少しした後で制服を玄関から外に投げ捨てたっきり戻ってこなかった。
ぽつんと取り残され、私を睨みつけている母に対して、津神くんがまたしても冷静に言った。
「余計なことしたら有無も言わさずこの動画SNSで流すから。
それから明日文化祭が終わったら、こいつのこれからについて話に来る。
顔揃えて待っとけよ」
それだけ言うと、津神くんは玄関先の方から制服をとり、私に手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「着替えたらいくぞ」
「あ、はい。」
頷くと、レオと津神くんが背を向けてくれたので、慌てて制服に着替えた。
ぴたりと隣り合った2人の様子を見ると、レオが揶揄うように津神くんを小突き、津神くんはそれを払いのけていた。
「あ、の、着替えました」
声をかけると、レオが近寄ってきて、私の手を取った。
「アイ、順番が遅れちゃったけど、昨日はお前なんかいらないなんて酷いこと言って本当にごめん」
目を伏せるレオはさっきまでの威勢のいい様子とは全然違っていて、思わず笑ってしまいそうだった。
「ううん、私こそ練習放り出してごめんなさい」
「許してくれるのか?」
「初めから怒ってなんかないよ」
「よかったー」
心から安心したようにレオが大袈裟にため息をついた。
少しばかり沈黙が流れて、目を見合わせた。
「帰るか、メルがそろそろ待ちきれずにここまでやってきそうだ」
「みんな怒ってないかな、私に」
「なんで怒るんだよ、みんな心配してるよ」
そう言ってレオはニコッと笑い両腕で私と津神くんの肩を引き寄せた。
「帰ろう」
もう私の帰る場所はここではない。
ここまでしてしまって明日から私はどうなるかわからないけど、とにかく今はみんなのいるところが私の帰る場所だ。