恋するような激しさで
「中学二年生の冬でした。店にスコアを注文して受け取りに行ったとき、お客さんが店のピアノを弾いてたんです。ヘッタクソでした。耳障りで早くその場から離れたくて、急ぎ足でその横を通り過ぎたんです」
彼が思い出し笑いをすると、同時に音もやさしくまるまった。
「小さな女の子が恋でもしてるみたいにその男性のことを見上げてたんですよ。それで、ヘッタクソのくせにますます自信たっぷりに弾くんです。調子に乗るからリズムも音色も悪くなっていくのに、全然気にしてないの」
曲が終わっても彼の笑いは収まらなかった。
クツクツと笑って、落ち着けるために一度深呼吸をした。
「俺は、ああなりたい。下手でいいからピアノを愛したい。彼があの子からもらったような拍手が欲しいんです」
毛羽立った赤いキーカバーを鍵盤に被せて、ピアノの蓋を閉じた。
「俺にはまだ『月の光』は弾けません。あの曲には、苦しい思い出しかないんです」
好きなものは仕事にしない方がいいと聞く。
私はいつか将棋が嫌でたまらなくなるかもしれない。
だけど不幸になるとわかっていても、堕ちてしまうのが恋じゃないか。
「そっか」
握りしめていたコーンポタージュ味スナックを差し出すと、切なげに笑って受け取ってくれた。