恋するような激しさで
△2手 Tempestoso(嵐のように)



人類は月にまで行けたというのに、この世界には大声で叫べる場所があまりに少ない。
このどうしようもない気持ちを、誰にも知られず思いっきり叫んで泣ける場所を求めて、私は古くなった校舎の廊下を走っていた。
それはまるで、逃げ水を追うように果てしない。

増築された新校舎から渡り廊下を通って旧校舎に入ると、日暮れが近い廊下は陰に沈んでいた。

『第二視聴覚室』というプレートを確認して、防音にしては薄いドアをそっと開けると、人影は見えなかった。
後ろ側から室内に飛び込み、錆びた蝶番がキイイイと音を立ててるのを聞きながら、持っていたタオルを口にあてる。

「わあああああああああああ!!」

タオルは声と涙をよく吸った。
ひとけのない校舎で、さらに古くとも防音壁の中なので、誰にも聞かれることはないだろう。

「うわああああああああん!!」

喉が痛むほど声を張り上げ、空気を求めて少しタオルをはずした。
更にもう一度、と肺を膨らませたその時。
ガタッ。
前方から物音がして、吸った空気をそのまま飲み込む。
恐る恐る机の間を移動すると、教卓の裏側でむくりと起き上がる人影があった。

寝ていたらしい。
左側を下に向けていたのか、ブレザーがそちら側だけ皺になっていて、モスグリーンのネクタイも左に寄っている。
襟に付けられた校章の色から、ふたつ下の一年生男子であることがわかった。

「…………ごめん」

半開きの目で私の涙を認めた彼は、とりあえず、といった雰囲気で謝った。

「……なんで?」

自分でも何を尋ねたのか曖昧な質問に、絡まった髪の毛も直さずに軽くあくびをした。

「ここ、寝やすくて最近よく来るんだ」

ここの教壇は足音を気遣ってか黒ずんだ赤いカーペットが張られてあって、傾きかけた太陽がその上にひだまりを作っていた。
緩慢な動きで座り直した彼は、ボーッとしたままその中にいて、出ていく気配はない。

あまりに驚いて涙は止まっていた。
あちこち振り回された感情は疲れたのか凪いでいて、泣き顔を見られた羞恥も感じなかった。
タオルで顔を拭いて同じひだまりの中に座っても、彼は特段気にした風でもない。

「女流棋士になりたいの」

夏至を過ぎたばかりの西日はまぶしくて、目線は自然と手元のタオルに落ちた。

「でも、才能ないの。研修会でも全然勝てなくて、この前とうとう降級しちゃった。小学生にまでバカにされたんだよ。もっともっと将棋の勉強しなきゃいけないのに受験だってあるし。志望校の判定もDだったから、受験勉強だって頑張らなきゃいけない。時間も脳も全然足りないよ!」
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