恋するような激しさで
将棋の女流棋士になる方法はいくつかあるけれど、養成機関である研修会でB2以上(級位はS、A1、A2、B1、B2、C1、C2、D1、D2、E1、E2、F1、F2とある)に昇級するルートが一番多い。
中学一年生で研修会入りした私はD1からC2に上がるところで足踏みした。
そして二年かけてようやく上がったところで大学受験と重なり、ふたたびD1に降級してしまったのだ。
受験勉強をしていると将棋の遅れが気になる。
将棋の勉強をしていると、受験生なのに、と自分を責めてしまう。
結果、どちらも身に付いていない。

「大学進学なんてやめて、将棋に人生をかければいいんだろうけど、もしなれなかったらって考えると怖いの。そんなどっちつかずな自分が一番大っ嫌い!」

大きな独り言だった。
話したいとも聞いてほしいとも思っていない。
地面に掘った穴に「王さまの耳は~」と叫ぶのと同じ種類のもの。

「そっか」

いるのかいないのかさえ意識していなかった彼は、一言そう言った。
宅配便の受領印をポンと押すのに似た軽さで。

やれやれやっと終わった、とでも言うように彼はリュックを拾って立ち上がった。
そのままドアに向かったが、「あ」と声を上げると、背負ったリュックを下ろしてごそごそ漁る。

「これ、あげる」

教科書や辞書を床に放り出し、底から取り出したのはコンビニでも10円で売ってる駄菓子のスナック。
半ば潰れたそれは全然欲しくなかったけれど、からっとした笑顔につられて手を伸ばした。

床に広げた荷物をかき集めて帰って行ったあと、私は初めて隣にいた彼を意識した。
世界史の教科書に乱雑な文字で書かれていた“秋吉想”という名前は、この学校で少しだけ有名なものだったから。


「ピアニスト?」

重い風に梅雨の訪れを感じる頃、新入生の中にピアニストがいると、友人が言った。

「伯母さんがヴァイオリニストの秋吉映実で、本人もコンクールで優勝したりしてるんだって。CD出したこともあるって聞いた」

「なんでうちの高校なの? 音楽科なんてないよね?」

「知らなーい。落ち目なんじゃないの? 同じ中学校の子でも、ピアノ弾いてるところ全然見たことないんだって。ケガで弾けなくなったって噂もあるらしいよ」

目立った容姿をしているわけでもなく、成績優秀なわけでもなく、スポーツが得意なわけでもなく、そしてピアノを披露するわけでもない彼のことは、日常の小さな噂話として校内に広まってそのまま消えていった。


教壇に座って、チーズ味スナックを食べながら、忘れていた噂話を思い出す。
“秋吉想”
嵐のように唐突な出会いだった。




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