イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活
「歩実も飲むか」
「うん。ありがとう……あ、ちょっと待って」
今は、もう十一時。
朝起きてから淹れたコーヒーは、ほんのすこし残ったまますっかり冷えていて、そのカップを持って私もキッチンへと向かった。
「このカップに入れる」
さっと流し台で水洗いをして、コーヒーメーカーの側に向かう。
ごぽぽぽ、と郁人のカップにコーヒーが注がれ始めたところで、強い香りがキッチンに漂った。
郁人が差し出した手に、私のカップを手渡そうとして、指先が触れてどきりとする。
たったそれだけのことなのに、ほんの数秒、私たちの間に妙な空気が生まれた。
俯いた私の旋毛に、彼の視線が注がれているような気がして、どうしていいのかわからなくなる。
早くカップを私の手から取り上げてくれたらいいのに、私も早く自分の手を引っ込めればいいのにできなかった。時間にして数秒なのだけど、頭の中で流れる秒針の音はひどくゆっくりだ。