イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活

「だめか」
「いや、ダメじゃないよ」


だめじゃないけれど……避けられているのかと思ったからちょっと意外だったのだ。
あの夜、女性と会っているのを見かけた夜から、彼は私にキスをしなくなったから。

私が拒んだからだろうか。
でも、ほんのちょっと押し返しただけで激しく拒否をしたつもりはなかったから、ちょっと気が乗らないくらいに受け止めてくれるかと思っていた。

それとも、そんなことは無関係で、ただ単にそういうことをする対象が変わったから?
……他に、会っている女の人がいるから?

二杯目の、私のコーヒーがカップに入り、郁人が私にそれを差し出す。両手で受け取ると、なぜだかとても優しい手つきで、頭を撫でられた。


「郁人?」
「昼飯は外で食うか」
「……うん?」


距離を置かれているわけではない、みたいだ。
それがうれしくて、ぽっと心の中が温まる。

彼女の存在は気になる。だけどこの時間は失いたくない。

人を好きになると、こんなにも寂しくて、何も知らないことが不安になって、相手のことを心の奥まで知りたくなる。そういうものらしい。

失うリスクを払わずに、彼のことを知りたくなる。
そんなずるい感情が生まれてくる。傷つくリスクを負いたくなくて、煩わしいことには関わりたくなくて人付き合いを避けてきた、そんな自分を後悔した。
ちゃんと経験値を積んでいたら、こんな時にもうちょっとは、上手い方法を見つけることができるのだろうか。


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