イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活
再び、彼女が射るような視線を女性に向けた。どうにか視線で気づいてもらおうというのか、鬼気迫る形相だった。
普通に、声をかけに行けばいいのに。
やがて扉が閉まって、止まっていた電車がゆっくりと走り出す。加速して移動しづらくなる前に、あの女性に気づいて席に座って欲しいのだろう。
意を決した彼女が一歩踏み出すが、もう遅かった。
声を出そうと口を開けたが、立ち止まる。妊婦の女性の方へ視線を戻せば、反対の隅の方に空席を自分で見つけたらしい。くるりと背中を向けて、歩いていった。
数秒、固まっていた彼女は、やがてすごすごと席を陣取っていたバッグを持ち上げた。
しかし、座る気にはなれなかったようで、そのまま小さく背中を丸めて元のポジションに戻ってしまった。
そんなに恥ずかしがることでもないだろうに。声をかけようとするのもあの様子では随分勇気が要っただろうに、残念ながらタイミングが合わなかった、ただそれだけのことだ。
不器用な一面を見つけて、なぜかしばらく彼女の後頭部から目が離せなかった。
髪から覗く耳が真赤になっているのを、鉄仮面というには随分可愛らしい女性だと口元が緩んだ。