Stockholm Syndrome【狂愛】
沙奈が息を呑む気配がした。
感じられていた息遣いすら消え、沈黙が輪を描くように広がっていく。
「……何も覚えてないよ。僕が殺したのか。押した感触もなかった。その部分だけがいつまでも空白のままなんだ」
最初は、その瞬間を見ていた運転手の証言で僕が殺したんじゃないかと疑われた。
けれど、防犯カメラの映像には自ら飛び込んだようにも見えるチアキの姿が録画されていたらしい。
目撃者もおらず、真実はわからない。
僕らが騙していたクラスメイトたちの証言で僕の疑いは晴れたけれど、しばらくの間、身体中を蝕む震えが止まらなかった。
目の前で死んだチアキ。
僕が愛している人。
僕が、あいしていた人。
「多分、チアキが死んだ瞬間だよ。僕の、チアキへの愛が消えたのは。残ったのは、僕をなぶったことに対する憎しみだけ」
沙奈は言葉を、発さない。
「……これがチアキの話さ。あれ以来、僕は自分の顔が嫌いでしかたがないんだ。できることなら誰にも見られたくないし、だから僕は顔を見せない」
沙奈の目にかけられた赤いサテンの布が灯りに反射して白く光った。
……いつまでも残り香を漂わせるチアキが憎い。
だけどもう、触れることもできない。
「……沙奈は、こんな僕が怖い?」
僕は、そばで寝ている沙奈に尋ねた。
沙奈は言葉を探しているように口を開きかけては閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「そんなに人を愛せるあなたは、すごいと思う」
「……なにが?」
「私なら、そこまで誰かを好きになれないから」
「……付き合っていたのに?」
素直に浮かんだ疑問を問いかけると沙奈は心なしか苦い笑みを作った。