Stockholm Syndrome【狂愛】
沙奈と暮らし始めてから、何日が経っただろう。
ベッドのそばで沙奈の柔らかく豊かな黒髪に触れ、彼女と出会ってからの三ヶ月間の日々を思い起こした。
映画を見て、ホットケーキを焼いて、勉強を教えたり、しりとりをしたり。
沙奈は、あの日……チアキのことを教えた日から、自発的に僕に話しかけてくれるようになった。
僕は沙奈を誰よりも理解している。
誰も僕らを邪魔する者はいない。
「……最近、髪が傷んできたの」
ベッドの上で、沙奈がひとりごちるように呟いた。
「僕が切ろうか」
「できるの?」
「ときどき友達の髪を切ったりしてたし、他の人より手先は器用なつもりだよ。ハサミも持ってる」
生前、僕の髪を切ってくれていた母の形見。
そういえば、以前はよくこの家に来ていた彼も、あの日以来訪れることはなくなった。
どんな髪型にする?と聞くと沙奈は目隠しの下、少し迷ったような、ためらうような表情で、短く、と言った。
「短くするのか?綺麗な髪なのに」
「……飽きたの、この髪型。
だから……あなたの手で、切って」
「そう。確かに、沙奈には短い髪も似合いそうだね。用意をするから待ってて」
……床はクッションフロアだし、髪を切るのは沙奈の部屋でいいか。
沙奈の髪を捨てることなんて僕にはできないから。
好きな人の髪を切る、という行為に心を弾ませながら部屋に鍵をかけ、自室へと足を運んだ。
……散髪ハサミは確か、クローゼットの中。
クローゼット内に入れたタンスの最下段の引き出しに手を伸ばすと、ふと母の顔が浮かんだ。
不倫に悩まされ、病に侵されながら、それでも最後は父に看取られて死んだ母。
——母は幸せだったのだろうか。
母の思いは、大人になってもわからないまま。
取ってを引き、雑多な物の奥に手を伸ばすと、赤い布に包まれた細長い物が当たった。