恋を忘れたバレンタイン
 彼のマンションに着くと、八時を回っていた。

 マンションに入ると、彼も安心したのか焦りを見せなくなった。


 何もないキッチンに、不自然に小さな鍋が一つある。あの夜、うどんを作るためだけに買ったらしい。


 適当に惣菜を並べ、ワイングラスにワインを注ぐ。
 私としては満足だ。


「美優」

 突然彼に、名前で呼ばれ、体がビクッとなる。


「何よ。突然名前で呼ばないでよ」


「別にいいじゃん…… 会社じゃないんだから……」

 彼の言葉づかいが変わった。
 完璧なプライベートモードに入った事を示している。


「で、どうしたのよ?」


「俺さ、今度の研修で海外事業の認定合格したんだ」

 ワインを飲みながら、さらっと言う。うちの会社は、海外にも支社があり取引も行っているが、海外事業へは会社独自の認定が必要で、それはかなりハードルが高い。


「えっ、凄いじゃない! おめでとう」

 私は、ワイングラスを上げた。

 本当に、心の底から凄いと思う。



「だから……」

 彼の、言葉が止まる。
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