恋を忘れたバレンタイン
 いつもより、重そうに動く。無理しているのが分かる。
 それでも、皆の机に配るチョコ。

 俺は、義理チョコでさえもらえない。彼女の頭の片隅にも存在しない事に虚しくなる。


 彼女が、部下の山田さんに飲み物を買いに行かせた。絶対におかしい。彼女は、部下にどんな小さな事でも私用を頼むような事はしない。

 それに山田さんが買って来たのは、ほっとレモン。彼女を気遣ってのものだと思った。


 俺は、彼女が気になり、仕事に集中出来ない事態になっていた。


 定時を過ぎても彼女は帰らない。
 早く帰って休めばいいのに…… 

 俺は、イライラし始めたが、もしかして、帰れないのか? 
 そんな気がして、彼女へ視線を向けた。


 座ったまま、チョコを転がす彼女をこのままほっておく事が出来なかった。

 気が付けば体が勝手に動き出していた。。
 近づいてどうしようと言うのか自分でも分からない。


 体中に汗が滲み出しているのが分かる。

 彼女の手にするチョコを見る。この際、バレンタインの力を借りてしまえ。


「そのチョコ、俺にもらえませんか?」

 心臓はバクバク、今にも飛び出しそうだ。
 こんなにカッコ悪い自分は初めてだ。


「えっ?」

 当然、彼女は驚いた顔を向けた。
 もう、一歩。

 「そのチョコです」

 彼は、もう一度言った。


「ええ、いいわよ。余り物でごめんなさい」

 彼女が、差し出してくれた事に正直嬉しくて顔が緩む。
 チョコを受けとる指が、彼女の手の平に触れた。

 その瞬間、高まった俺の心が勝手に言葉を口にさせた。


 「このチョコ、本命って事にしてもらえませんか?」


 言ってしまったものの、彼女の反応が怖い。

 だが、彼女は、ふふっと笑って言った。


「沢山の本命の中の一つに入れて頂こうかしら?」

 何だよ! こんなに必死で言ったのに。


 だが、そんな事より彼女の無理して笑みを見せる姿に、一気に自分の行動を止められなくなった。
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