風の歌
銀王、アルゼンタム国王の臣下であり、側近であるシーラ・メンシスは、頭を抱えていた。
昨日、王都をうろついていた不審者として捕らえられたあの奇妙な黒髪短髪の少女は、一体何者なのか。
シーラは、アルゼンタム国王の忠実なる臣下であり、唯一の理解者だった。
アルゼンタム国王が王位につくよりもずっと以前から、彼に仕え続けてきた有能な文官である。
彼が王位につくのを全力で支えてきたつもりだ。
幼少期のアルゼンタム国王に秘めたる、その類い稀なる手腕を誰よりも早く見抜いていた。
その甲斐あってか、アルゼンタム国王はシーラの想像通りの国王になった。
ただ、当のアルゼンタム国王自身がシーラをどう思っているのかは別として…。
銀王。
その呼び名通り、彼はまばゆいばかりの栄光と、麗しい見た目を持ち合わせながら、冷ややかで冷酷な国王だ。
シーラは幼少期の彼をよく知っていて、本来の彼の姿も知っている。
幼いアルゼンタムは、よく笑い、虫も殺せぬ心優しい子どもだった。
それが、ある事件がすっかり彼を変えてしまったのだ。
シーラでさえ、長らく彼の表情が変わるのを見てない。
「しかし…。あの娘をどうしたものか。初め、言葉がわからないふりをしているのかと疑ったが、あの様子では誠に言葉を理解していない様子…」
見たこともない紙の製法。これは羊皮紙とは程遠い。
それに、この記号…。
「なぜあの娘があれと同じ記号が書かれた書を持っていたのだ…? 」
事実を確認するには一つしか方法はない。
「おい、セリルを呼べ」
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あれから、どれくらい気を失っていただろうか。
僅かに頭痛のする頭で、花憐はゆっくり目を開いた。
びしょ濡れだった制服から、いつのまにか乾いた清潔な服に着替えさせられていた。
ここは、どうやら湿った固い牢の中ではないようだ。
小さな小窓からは暖かな日差しが差し込み、頬を揺らした。
花憐の横になっているベッド横の丸テーブルには、白い布を被せた器が置かれている。中から僅かに香ばしいパンの香りが漂う。
水はしばらく飲みたくはない。堀の中に無理矢理沈められた際に結構飲んでしまっていたからだ。
あんな死にそうな思いは二度とごめんだった。
「ガシャン」と外から鍵の外れる音がすると、木製の扉が開いた。
見たことのない男が顔を出した
。
「##########」
細身のその男は、少なくともここで出会った中では一番友好的なようだ。
優しげに笑みを浮かべ、どうやら部屋へ入る許可を求めているらしい。
花憐は反射的に頷いてみせた。
焦げ茶色のストレートの髪を首の後ろで一つにきっちりと結わえ、学者のように片眼鏡を鼻にひっかけている。
街人とは違う、貴族らしい出で立ちのその男は、自分を指さしながらゆっくりとこう言った。
「セ リ ル」
と。
花憐がそれが彼の名前だと理解したのは、その後彼が同じように三度程発音した後のことだった。
「あなたはセリルさんっていうの?」
花憐が彼に向かってそう訊ねると、彼は嬉しそうに大きく頷いた。
「わたしは、かれんって言います。か れ ん」
「カレン?」
自分の名前が伝わったことに感激し、花憐は思わず彼に手を差し出した。
一瞬びっくりした表情をしたセリルだったが、すぐその手をとり、にっこりと握り返してくれるのだった。
こうして、この小窓のある部屋で、花憐は毎日セリルに言葉を習うことになる。
地下の牢よりはずっといい。けれど、いつだって扉には鍵がかけられ、花憐が部屋の外に出ることは叶わなかった。
親切で優しいセリルは、とてもよい先生だった。とても熱心に花に憐に読み書きを教えてくれた。
勿論、ここがどこで、なぜ今こんなところにいるのか知りたい気持ちは強まるばかりで、日が暮れると無性に寂しさと不安が込み上げてくるのは毎日のことだった。
けれど、言葉さえ習得してしまえば、何かわかるかもしれない。そんな希望を胸に、花憐は必死で言葉を覚えようと努力を怠らなかった。
少なくとも、今こうして生かされ、セリルという先生まであてがって、花憐に言葉を習得させようとしていることは確かになのだ。
今すぐに命を奪われる心配はないようだと…。