風の歌
「あの娘はどんな様子だ?」
シーラは、庭の木陰で一息ついているセリルに声をかけた。
「おや、シーラさん。貴方がこんなところで声をかけてきてくださるとは」
セリルはにっこりと笑った。
「あの子は不思議な子ですよ。とても純真で利口だ。このひとつきで、随分読み書きを覚えてしまいましたよ」
これは、セリルの素直な感想だった。耳がいいのか、言葉の修得も異様に早く、教え始めた当初はひどく驚いたものだ。
「名前は確か、カレンと言ったか?」
セリルは頷いた。
「彼女の名前はカレン。今は単語を並べたような片言ではありますが、少しずつ言葉を発し始めています」
シーラは少し考え込んだ様子で言った。
「わたしが言って、彼女から話を聞くことはできるか?」
真剣なシーラの表情を読んで、セリルは溜め息をついた。
「…まだ複雑な会話は無理でしょう。それに、あなたは確か、彼女を拷問した張本人ではありませんでしたっけ?」
ばつが悪そうに口髭をかくと、シーラは小さく呻いて黙り込んだ。
「妙なことを訊きますが、カレンを西の離れの塔に幽閉していることは、陛下はご存知なのですか?」
セリルはカレンの幽閉されている塔を見上げる。
「陛下には、言葉が通じないことを申し上げた上で、聞き取り調査の為現在言葉を学ばせているとご報告している」
ふっと口元を緩ませ、セリルは意味ありげな笑みを含ませた。
(いつものアルゼンタム陛下であれば、問答無用で殺している筈…。
聞き取り調査の為などで、簡単に思い止まるとは思えないが…)
「セリル、何か言いたげだな。」
セリルの含み笑いに眉根を寄せながら、シーラは言った。
「なるほど。貴方が彼女の命綱を握っているんですね」
全てを悟ったかのように、セリルは塔に向かって歩き始めた。
「そんな出すぎたことはしていない。わたしはただ、殺すのは情報を聞き出してからでも遅くないと、陛下に進言しただけだ」
シーラの言葉に含まれた意味を察し、セリルはますます微笑むのだった。
「では、わたしはこれで失礼致します。カレンに言葉を修得させるという大仕事を任されているものですので」
そう言って、セリルはシーラに一礼すると、再び歩き始めた。
(…つまりは、こういうことですね。あの子は貴方にとって、今死んで貰っては困る存在と。ならば、わたしもより一層励まねばなりまんね。教え子をみすみす死なせることなど、したくはありませんから)
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花憐は塔から差し込む月明かりを見上げていた。
昼間、なんとか覚えたこちらの単語を繋げ、セリルに言葉を伝えた。
「セリルせんせい、わたし、わからない。」
セリルはわからない単語があると思ったようで、
「なにがわからないんだい?」
と、花憐の学習用に用意した羊皮紙を広げながら聞き返した。
「ここ、くに、なまえ、わからない」
セリルははっとしたように花憐を見返した。
「この国は、アエテルニタス王国です」
「あ、あえてる…?」
「ア エ テ ル ニ タ ス です。永遠の王国、という意味です」
首を傾げ、懸命に何かを考えようとしている花憐に、セリルはほっと胸を撫で下ろした。
この子はどこぞの国の間者ではない、そう直感した為だ。
純真そのもののように見えるこの少女が、万が一どこぞの国の手の者であったならば、セリルは銀王にその旨を伝えなければならない立場にあった。
しかし、その不安は今ここで払拭されたのだった。
「では、今度は、わたしからカレンに質問です。カレン、君はどこから来たんだい?」
困ったようにセリルを見た後、花憐ははっきりと答えた。
「わたし、くに、にほん」
「ニホン? 聞いたことのない国名だな。そうだ、これを見て」
セリルは、いつも懐のポケットに入れて持ち歩いている世界地図を取り出した。彼女に、出身国を指さして示させようと考えたのだ。
ところが、目を丸くしたまま花憐は固まってしまった。
「ニホンというのは、どの辺りにあるのかな?」
そう言って覗き込んだ花憐の表情はひどく動揺していた。
「カレン、どうしたんですか? もしわからないのなら、無理しなくて…」
「セリルせんせい、にほん、ない。ちず、にほん、ない…!!」
そう言って、花憐が急に動揺して泣き出した為に、この日の授業はこれまでとなったのだった。
そんな昼間の出来事を思い出し、花憐はどうしようもなく泣きたい気持ちになった。
「アエテルニタス王国って一体どこにあるのよ! なんで地図に日本が載ってないのよ! あんなヘンテコな地図見たことないし!!」
花憐は大声で叫んだ。
「中世ヨーロッパかどこかへタイムスリップしてきたんじゃなかったら、一体ここはどこなのよーーーー!!!!!」