風の歌


 このところ、なかなか一息つく暇もなかった。



 唯一、ほっとできる場所がこの城の外れにある池の畔とは皮肉なものだ。



 子どもの頃の思い出などはとうに忘れたつもりでいたが、時間ができたときにふと気がつけばここに足を運んでしまっている。



 まだ過去を引きずっている自分が心のどこかにひそんでいるのかもしれない、そんなことをぼんやりと考えながら、アルゼンタムは畔の側の木根元に腰をおろした。



 空が青く、小さい鳥が飛び回っている。



(空を見るのも久しいな…)



 ここには誰もいない。いつも側を離れないあのシーラでさえ、ここでは顔を合わす必要もない。



 ここはアルゼンタムにとって、唯一の安息の地とも言える場所かもしれなかった。







 しばらく目を閉じ、鳥の声を聞いていたら、ふと、呟くような歌声がすぐ近くから響いてきた。





「Almost heaven, West Virginia,

Blue ridge mountain, Shenandoah river,

Life is old there, older than the trees,

Younger than the mountains, growing like a breeze

Country roads, take me home

To the place I belong,

West Virginia, mountain mamma,

Take me home, country roads…」





 聞きなれない言葉。



 聞いたことのない旋律。



 歌の意味はアルゼンタムには理解できなかったが、その歌の響きが、ひどく懐かしような、不思議な感覚をおぼえる。



 とても綺麗な歌声だった。高すぎず、低すぎず、耳に心地のよいよく通る声。



(…誰が歌を?)





 アルゼンタムは、閉じていた目を開き、そっと歌声のした方に視線をやった。



 西の搭の麓で、白い布を頭からすっぽり被った小柄な誰かが、花摘をしながら歌っているようだ。



(ここには、セリルと特定の侍女しか出入りを許してはいない筈だが…)



 不審に思いじっとアルゼンタムはその人物を見つめた。



 場合によっては、すぐさまここで切り捨てなければならないかと、腰かけた際に外しておいた剣の鞘に手を伸ばす。





と、 白い布を被った人物は、再び歌い始めた。





「I hear her voice in the morning hour she calls me

Radio reminds me of my home far away

Driving down the road I get a feeling

That I should have been home yesterday, yesterday

Country roads, take me home

To the place I belong,

West Virginia, mountain mamma,

Take me home, country roads

Take me home, country roads

Take me home, country roads」







 本来ならすぐにでも身分を問い質し、その首に剣をつきつけてやらねばならないのだが、アルゼンタムは剣の鞘を離した。



 もっと聞いていたい。



 素直にそう思ったのだ。



 ここからではうつむき、花摘をする白い布を被った者の顔は、ちょうど陰になって見えない。



 ほんの少しの興味だった。



 どんな者があの歌を歌っているのか…。少しだけ垣間見えたなら、今日のところは何も見なかったことにして、見逃してやろう。



 アルゼンタムは、そんな柄にもないことを考え、木陰から立ち上がった。





 すると、何やら感じ取ったのか、白い布の主ははっとしたように布を深く被り直し、摘みかけた花もそのままに、慌てて逃げ出した。



 アルゼンタムは、あっという間に姿を消してしまった白い布の主の後を追ったが、西の塔の麓の辺りまで来たときには、影も形も見当たらなかった。





(何者かは知らないが、歌は悪くない…)





 風が吹き、摘みかけのピンクの花びらが舞う。

 アルゼンタムの銀の美しい髪も、静かに風にそよいだ。









※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※









 花憐の心臓は早鐘のように鳴っていた。



 塔の一番上まで、一度に駆け上がったこともあるが、何より搭の外で人に見つかってしまったということが、一番の原因だ。



「やばい! 見られた!! よく見えなかったけど、誰かに見られた!!」



 はあはあと肩で息をしながら、花憐は心臓を押さえた。



「セリル先生が、絶対人に見られちゃダメって言ってたのに、さっそく人に見られるなんて…、わたしってなんて間抜けなんだろ!!」



 大きな溜め息をつき、木の椅子に脱力して座り込んだ。



「わたしが外に出てるのがバレたら、先生にまで迷惑かけちゃうんだから! もうちょっと気をつけないと…」



 白い布をベッドの上に脱ぎ捨て、可憐は自分を戒めるかのようにそう呟くのだった。



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