オトナの事情。
忘れないでくれれば、それで良い、なんて。
綺麗事を並べても、やっぱり私は欲張りで。
思い出されるのは、いつだったかの彼の言葉。
__1人で抱え込まなくて良い。逃げ出したくなったら、俺を呼んでよ。
何処へでも、連れてってあげるから。
私は貴方に、バカね、と言った。
この残酷すぎる運命から私を救い出せる人なんて、いないと分かってたから。
だけどね、本当は、嬉しかった。
この人なら本当に、私をどこかへ連れて行ってくれるんじゃないかって、そう思えたの。
あの時素直にありがとうって、言えたら良かったのに。
どうして言わなかったんだろう。
伝えたいことはたくさんあったのに、あの頃の私は臆病で、何も言えなかった。
なのに貴方は、分かってるから大丈夫って、いつも笑って許してくれた。
そんな貴方が、好きだった。
親族なんていない花嫁の、静かな控室には、時計の秒針だけが音を響かす。
もうじき、式場のスタッフが呼びに来る頃だろう。
そしたら二度と、私は自由の身になれないんだ。
…ならば最後にもう一度くらい、悪足掻きしても許されるだろうか。
実に4年ぶりに、その音を唇に乗せた。
『……ユキ君』
さようなら、私の初恋の人。
誰よりも、愛していました。
その名前は 私の口から、そっと空気に乗り移って、美しく綺麗に響いて、幻のように儚く消えた。