オトナの事情。








忘れないでくれれば、それで良い、なんて。


綺麗事を並べても、やっぱり私は欲張りで。







思い出されるのは、いつだったかの彼の言葉。









__1人で抱え込まなくて良い。逃げ出したくなったら、俺を呼んでよ。
何処へでも、連れてってあげるから。











私は貴方に、バカね、と言った。



この残酷すぎる運命から私を救い出せる人なんて、いないと分かってたから。









だけどね、本当は、嬉しかった。




この人なら本当に、私をどこかへ連れて行ってくれるんじゃないかって、そう思えたの。





あの時素直にありがとうって、言えたら良かったのに。


どうして言わなかったんだろう。








伝えたいことはたくさんあったのに、あの頃の私は臆病で、何も言えなかった。




なのに貴方は、分かってるから大丈夫って、いつも笑って許してくれた。




そんな貴方が、好きだった。










親族なんていない花嫁の、静かな控室には、時計の秒針だけが音を響かす。





もうじき、式場のスタッフが呼びに来る頃だろう。

そしたら二度と、私は自由の身になれないんだ。





…ならば最後にもう一度くらい、悪足掻きしても許されるだろうか。







実に4年ぶりに、その音を唇に乗せた。












『……ユキ君』










さようなら、私の初恋の人。


誰よりも、愛していました。









その名前は 私の口から、そっと空気に乗り移って、美しく綺麗に響いて、幻のように儚く消えた。




< 168 / 184 >

この作品をシェア

pagetop