Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~

トラウマだった。

遠く離れた埼玉の地元でも尊の店は有名だった。三年前のオープン直後から雑誌に取り上げられる機会も多く、テレビに出たこともあるからだ。最初こそ大好きな兄が話題になって自慢だったが、一度店に行ったら他のお客に取り囲まれたのだ。

尊が厨房から出て来て、拓弥と親し気に話していた。そして二人はよく似ている、兄弟なのは一目瞭然であれこれ質問責めに遭い、挙句に口説かれるかと思われる状況にまでなる。

その状況は尊の耳には入っている。

「──そうか、そうだな……じゃあ……」

莉子とでも来れば、と言いかけてやめた。もしもの時には紹介することにもなるだろうが、今はまだ莉子の存在を知られたくはなかった。どちらも共に兄、姉がいる者特有の依存上手な『末っ子気質』なのは感じられた、つまりは二人が惹かれ合う事はないだろうとは思うが、万が一がなくとも限らない。

「……ああ、そうだ、お前、いつ飲み会だって言ってたっけ?」

実際には拓弥はまだ未成年だ、だが大学の先輩、同輩達と居酒屋などへは行く。サークル仲間で月に一回程度親睦会と言う名の元行っていた。

「んー、明後日!」
「──だよな」

木曜日で、店も定休日の日だった。

「朝飯だけあればいいな?」
「うん」

よしよし、と尊は内心計画を立て始める。


***


都内のホテルの一室、仕事がしたいからと事務所に頼んで取ってもらった部屋で、香子はバスローブ姿で一人酒を呑んでいた。右手にはコップ、左手には楽譜を持っている。

室内には音楽が流れていた、小さな再生機から流れる音楽は莉子が作った楽曲だ、そのチェックをしている。 そこへドアをノックする音が響く。ここで待ち合わせをしているのだから来た相手など判っている、香子は緩慢な動作でソファーから立ち上がると、来訪者を確認もしないで開けた。

「よお、香子(かこ)」

やってきたのは、香子が所属する芸能事務所、橘プロの社長、橘始(たちばな・はじめ)だ。

「おいおい、随分無防備な恰好でお出迎えだな」
「待ってたからよ」
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