Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~
***


莉子はパソコンを落として、椅子の背もたれに寄りかかった。

天井に目が行って、ふと昼間の事を思い出す、それだけで顔中が熱くなった。

(き、キス、なんて……!)

軽く重なるだけのキスだが、他人に触れられた記憶すら薄い莉子には刺激が強すぎた。

(どうしよう、明日はどんな顔をして逢ったらいいの? 行くのやめようかな……!? それに、私は藤堂さんの事……!)

どう思っているのか、今ひとつ自信が持てなかったが。

(好き、なのかな。暇さえあれば思い出してる、藤堂さんの顔を思い浮かべながら歌詞考えてる。これは、好きだから、なの?)

考えて、吹き出していた。

「──好きかどうか、考えちゃうような女が、好き好き言ってる歌詞を書いてるなんて──」

想像や理想だったりする世界に浸って考えた歌詞だ、そんな歌詞をみんな揃って共感するだの、よく判るだの言って褒めてくれる。
まあこの場合、褒められているのは香子であって、香子は恋多き女として知られている、香子自身も冗談半分に「実体験です」などと言っているが。

「……藤堂さん……」

名前を呼ぶと、耳の奥で藤堂が莉子の名を呼んでくれるような気がした。それにすら嬉しくて心臓がドキドキし始める。

「──逢いたいのに……逢いたくないよ……」

その場所を知らせる心臓を、シャツの上から掴んでいた。
あまり考えすぎて、おかしくなりそうだった。


***


今日も莉子はちょこんとLe Bonheur(レ・ボナー)の店内に座る。 何の兆候もなく尊がフロアとの間仕切りの入口に現れて、莉子は息を呑む。昨日のキスを思い出して全身が熱くなるのを、視線を外して誤魔化した。
尊は笑顔のまま、今日も莉子の前にプレートを置く。

「ん……? 今日のお肉はなに?」

見た目では莉子の知識にある材料に行きつかなかった。

「あれ、判る? これね、ウサギさん」
「──え!?」

さすがに青ざめて向かいに座ろうとする尊を見た。

「はは、別にペットショップで買ってきたのを捌いた訳じゃないからね。ちゃんと問屋さんから仕入れてるから安心して。ディナーの予約をしてくれた人が食べたいって言うから多目に仕入れて、莉子にも食べてもらおうと思ってさ」
「でも、ウサギかあ……」

ナイフもフォークも手に取れず、皿の上でトマトソースをまとったウサギの脚を見つめた。

「鶏肉よりさっぱりしてる感じかな。その分ソースとの相性はばっちりだと思うよ?」

それでも躊躇する莉子に、尊は話しかける。

「命を頂くんだ、殺された動物の為にもちゃんと食べて」

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