Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~
「ああ、莉子。もうそんな時間か」

尊は頭を掻きながら言った。

「泥棒!?」
「んーどうだかな。まだ無くなった物まで確認できてない。とりあえず器物破損は確実で」

その言葉に莉子はうんうん、と頷いた。

「ご覧のありさまで、今日の営業は諦めた。ごめんな、ご飯用意できなくて」
「そんなのいいよ!」
「現場検証終わったら、清掃業者に来てもらって片付けるけど。夜は莉子んち行こうか?」
「え、大変なんじゃ……」
「むしろ暇だよ、しばらくは店も開けられない、厨房も滅茶苦茶でね」
「ええっ!?」

植木の土はコンロにも掛けられ、シンクに油が流されていた。冷蔵、冷凍庫の中身も全て出されて概ね使い物にならなそうだった。食材も機材も、かなりの物を買い直すことになりそうだ。

「ただの物取りではないでしょうね」

警官の一人が声を上げた。

「嫌がらせか営業妨害か……先日のボヤもありますから」
「ボヤ!?」
「ああ、それは一階の店舗な」

それでも、と莉子は思う。何かが起きているのは判った。

「尊……」

不安げに言うと、尊は足元を気を付けながら莉子に近づいた。

「大丈夫だよ、心配すんな」

優しい声に頷くと、そっと髪を撫でられて引き寄せられた、素直に抱き寄せられ、尊の胸に顔を埋める。

「俺が夜行くって言っても、昼ご飯はちゃんと食べろよ。コンビニ弁当でもいいから」
「んもう……ちゃんとなんか作るよ……」

ご飯くらい炊こうかな、などと思っていると。 尊の大きな手がそっと莉子の頬を撫でた。心地よさを感じて身を任せると優しい力で上を向かされる。
何を、と思っている間に、唇を奪われた、莉子の耳には誰かの「あ」と言う声が聞こえた。 一瞬で離れた唇を隠すように俯く。

「じゃあ、夜な」

莉子は顔も上げられずに何度も頷きながら踵を返した。
戻って来た尊に、警官の一人が声を掛ける。

「あの、個人的な質問で恐縮ですが……あの人は、歌手のCaccoさんですか?」

そんな質問に驚いた、何度も会っているウェイターも「誰かに似ている」だったのに、ほんの少し見ただけでそれを見抜いた、やはりその道のプロなのだからだろうか。

「いえ、彼女はCaccoの妹なんです」
「ああ、妹さん、どうりでよく似ています」
「ファンですか?」

話のついでに聞いていた。

「ファンと言うほどの事ではないですが、よく聴きます。済みません、出歯亀根性で……やはり有名人同士だとお付き合いに発展するのかと思いまして」
「いいえ、俺は有名人なんかじゃ」

そんな風に思われるのか──少し面白くなかった。
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