Crazy for you ～引きこもり姫と肉食シェフ～

4.

一般病棟に移ったのはそれから一週間経っていた。尊は改めて自分の体について聞くことになる。

「精密検査では異常はなかったので、あと一週間ほど様子を見ましょうか。退院時にまたお話をしますが、やはり場所が場所ですから、後遺症が心配です。ただ転んで強打しただけでも、強い頭痛や全身の痺れが出る事があります。それでも多くは脳が揺さぶられた事によるもので心配ないものです。入院中はもちろんその都度おっしゃってくれて構いませんが、退院後は日常生活に不自由を感じるレベルならいらしてくださればと言う感じですね」
「そうですか」
「今はまだ麻酔の効果が残っていると思います、切れて来たら痛みが出るかもしれません、辛かったら我慢せずにナースコールしてくださいね」
「はい」

その後看護師とも話をしている様子を見て、莉子は不安になる。

（味覚障害の話は……してない……）

医師が言わないのならば、自分から言っていいものなのか、悩んだ。

昼食を終えると店の従業員が、初めて見舞いに来てくれた

「オーナー！」

二人のシェフとウェイターの一人、三人とも開店当初から居てくれる者達だ。
個室の隅にいる莉子を見て、三人とも笑顔になる。

「大丈夫ですか？」
「ああ、なんとかな。悪いな、店はどうしてる？」
「オーナーが被害に遭った翌日は開けました、オーナーが仕込みをしてくれた分があったので。で、その時常連さんには事件の話をして。ああテレビや地方紙の新聞には載ったみたいですよ、大方知り渡ってました。さすがオーナー」
「嬉しくない」
「あ、そうですか？　で、その時口コミも頼って暫く店を休むと知らせてもらって、予約が入ってらした方にも、改めて連絡しますとお知らせして、店頭にも張り紙をして。あ、その張り紙ですけど」

言うと、ウェイターが背負っていたリュックを下ろして、中から四つ折りになったA3サイズの紙を出した。

「ありがたいですね」

目を細めて言うシェフに、尊の頬も緩んだ。

「──ああ」

紙には尊が入院することになったため、しばらく休むと書かれていた。事件の事は敢えて伏せた。
その余白に、尊や店宛のメッセージが書き込まれていたのだ。心配、いつまでも待っているなど──ハートやキスマークもあるのは無視した。目いっぱいメッセージが書かれたそれらは二枚もあった。
三枚目はまだ貼られている。

「料理はなくていいから、店は開けて欲しいって声もあったんですが、オーナーの事だからそんな事は嫌がるだろうと思って開けてません。ただ誰かしら店には行って掃除とかはしてましたけど」
「そうか、ありがとう」

にこりと笑う尊の頼もしい笑顔に莉子は見惚れた。この人はちゃんと経営者なのだと判る。

「何度も店が休みになって悪いな。給料はちゃんと補填するから心配するなって伝えてくれ」
「それこそ、そんな心配しなくていいから、ちゃんと元気になって戻ってきてくださいよ」
「ああ」

皆が帰ると、尊は莉子を近くへ呼び寄せた。

「なあに？」
「やっと二人きりになれた、ここ来な」

そう言って自身の大腿を軽く叩く。

（え、そこに座れって事？）

そんな事は恥ずかしいと、莉子はちょこんと尊と並ぶようにしてベッドに腰掛けた。

「そんなとこじゃなくて」
「やだよ、誰か来るかもしれないのに」
「ノックくらいするだろ」
「ノックされたって」

すぐに尊の脚からどける自信などない。

「まあいいや」

尊は左腕を莉子の腰に回すと、ぐいっと乱暴に引き寄せる。
二人の体がぴったりと寄り添った。

「た、たたた、尊……！」
「やっと自由になったからな。ようやく莉子を好きにできる」

常に麻酔を投与されている状態では、半分寝たようなものだった。いくら莉子が来てくれても相手をするのは辛くてほとんど眠っていた。それを莉子は怪我が辛いのだろうくらいで気にもしなかったが。

やっとあらゆるコードやチューブからも解放された、退院はまだ先なだけに、できるだけ莉子との時間を大切にしたいと思うのは当然だろう。

「す、好きにするって……」

尊は何も言わずに、唇を莉子の首筋に押し付け、腰に回していた手は臀部を撫でた。

「……にゃん……っ！」
「にゃんって」
「だって、いきなり触るから……っ！」
「ずっとこうしたかったの。いろんなとこ触りたいって言ったろ」
「う、うん……でも……っ」

心の準備が、である。

「いいな、莉子……あったかい……」

首筋を食みながら言われて、莉子は抵抗を忘れる。
触れる尊の体の温もりが心地よかった。尊もあったかいと言っていた、きっと同じ気持ちなのだろうと思うと嬉しくなってくる。 何故だか呼吸が深くなってくる、目を閉じて心地よさに身を任せていると。

尊の右手が莉子の乳房に触れた。

「──え……っ、駄目……！」
「ちょっとだけ」

そう言って尊は腰を抱く左腕に力を込めて、莉子を逃がすまいとする。

「ちょ、ちょっと……って……！」

莉子はただ身を固くするしかなかった。
尊の手は優しく莉子の乳房を撫でる。丸みを確認するようになぞり、敏感な部分に爪を立てた。

「……ん……っ」

抑えた声に、尊の口元に笑みが浮かぶ。

「も……やめ……」

言いながらも深い呼吸が漏れた時、ドアがノックされる。

「え……はい！！！」

莉子が元気に返事をして尊を押し離した、尊も素直に離れたが、

「……っつぅ……」

言って後頭部を押さえて前のめりになる。

「え、あ、ごめ……！」

その痛みは演技ではない、傷はまだ癒えていない。
莉子がおろおろする間に、看護師が入って来た。

「藤堂さん、警察の方が──どうしました？」

痛がる尊に気付いた。

「いえ……大丈夫です」

尊は涙目ながらも答える、莉子が何度も謝るのを横目に見ながら看護師は警察の来訪を知らせた。

「どうします？　辛いならまた後日でも」
「いえ、折角来てくれたなら」
「お巡りさんも仕事だから、何度でも来てくれるわよ？」

優しく気遣ってくれたが、尊は聴取を受ける、犯人を早く捕まえてほしいからだ。

看護師と入れ違いに入って来たのは、二人の私服警官と、制服の警官も二人いた。
制服の警官は見覚えがあった、尊の店の被害状況を見てくれた者だ。

「この度は大変な被害に遭われましたね」

大貫と自己紹介した中年の私服警官が、本当にそう思っているであろう口調で言う。

「ええ。まあ、いいこともありましたけど」

にこやかに言う尊に、警官たちは「はあ」と気の抜けた返事をする。尊はベッドの脇の椅子に座る莉子をちらりと見た、莉子も不思議そうに尊を見る。

「単刀直入にお聞きしますが。お心当たりは？」
「さっぱりです。まあそれは特定の誰か、と言う意味ですけど。不特定多数ならば、それなりの恨みは買っていると思います。店のオープン間もなくからメディアに取り上げてもらって繁盛店の仲間入りをさせてもらって。それを面白くない連中がいる事は知っています」

店の宣伝にSNSも使っているが、そこに悪意のある書き込みはある。

「でもあの時は気配もなくいきなり背後からでしたので、正直男か女かも判りません」
「そうですか……藤堂さんがお持ちだった売上金もその場に残っていましたので、物取りでもないのです。建物全体で嫌がらせが続いていると聞きました。藤堂さんが退院されても危険に晒される可能性があるので、警備を付けようと思いますがよろしいですか？」
「そこまでですか？」
「我々もプロでしてね。襲われ方が明らかに殺意があると認定しました」
「──殺意」

呟いたのは莉子だ。

「何らかの鈍器のようです、それはまだ発見されていません。それを単に振り下ろすのと、横殴りに頸部を狙うのとでは違うでしょう。一撃必殺を狙った可能性が」
「先日の店内を荒らした犯人は、男性の単独犯の可能性があるので、同一犯であろうと思われます」

これは制服警官だ。靴跡を調べたと教えてくれた。

「受傷箇所や程度から見ても、恐らく長身の男性と予測します。防犯カメラから何人かの容疑者は絞れています。藤堂さんが退院されるまでに確保できるよう頑張りますので」

大貫が穏やかな笑みで言う、尊も笑顔で礼を述べた。
病室を出て行く警官を莉子が見送り、中へ戻ると笑顔の尊と目が合う。

「──何？」

いやらしい笑みに、莉子は恐る恐る聞いていた。

「さっきの続き」

尊は自身の唇を指先で叩きながら言う。

「し、しませんっ」
「なんでだよー、今まで随分我慢してたんだぜー？」
「我慢なんかしてなかったじゃんっ」

何度唇を奪われた事か。

「あんなの挨拶の内だろ」
「日本じゃあんな挨拶しないもん！」
「あーじゃあ、ご褒美。治療頑張ってるご褒美」
「痛いんでしょ！？」
「莉子がキスしてくれたら治る」
「絶対嘘！」
「嘘か確かめようよ」
「しないもん、絶対しないもん！」

莉子はベッドに近づこうとすらしない、尊は小さく舌打ちした。

「──ああ、マジで、早く自由の身になりたいもんだ」

今はまだ麻酔の余韻が残っているようだ、立ち上がる気力すらない。


＊＊＊


消灯時間が幾分過ぎた病室で。 尊はようやく深い眠りに入っていた、その顔を覗き込むのは女性の影。

「──尊」

そっと呼びかけると、尊はまつ毛を揺らす。

「……莉子……？」

薄暗い中存在を確認しようとすると、大きな声がした。

「リコ？　誰それ、新しい恋人？」

遠慮のない声に、尊ははっきりと目が覚める。

「誰だ……って、お前！　邦子！？」

体を起こしかけて、後頭部の痛みに枕に顔を埋める。

「あら、大丈夫？　まだ入院だって言ってたもんね」

女は笑いながら読書灯を点けた、その明かりに照らされ女の綺麗な顔がはっきりと判る。

「なんでお前が……！　とっくに面会時間も終わってるだろう！？」

莉子もとうの昔に帰宅したのに。 女は長い髪を払って、ふふんと微笑む。

「私を誰だと思ってるの？　付き合いたい女ナンバーワン、抱きたい女ナンバーワン、結婚したい女ナンバーワンなどなどの様々な一位を獲得し、既に殿堂入りも果たした女優、海野月子（うみの・つきこ）よ！！！」
「うるせーんだよ、クニちゃん」
「その名前で呼ばないでっ！」

海野月子、本名、海野邦子は、今や引く手数多の女優である。
幼少の頃から女優になると公言していた。中学を卒業すると芸能界に入る為に上京、しかし何年も鳴かず飛ばずだった。

転機は、オーディションで勝ち取ったハリウッド映画の小さな役だった。常に主人公の脇には居るが台詞は二、三しかない役だったが、著名な監督が手掛けた映画で世界中で大ヒットした。それにより注目されて今や押しも押されぬ日本を代表する女優にまでなった。
その映画の配役が決まった頃と、尊の店のオープンに時期が重なった。たまたま月子が取材の折にちらりと尊の店の話をしたのがきっかけで繁盛店になったのは事実だ。

「尊が暴漢に襲われたってニュースで見てさ、すぐに見舞いに来たかったけど面会謝絶だって言われて諦めてて。あ、おじさんや拓ちゃんに聞いたのよ。んでやっと一般病棟に移ったって聞いてさ。でもさ、私も一応有名人じゃん？　見舞いになんか来て騒ぎになっても悪いから、病院に頼んでこんな時間に入れてもらったのよ」
「そりゃありがとよ。見た通り元気だ、もう帰れ」
「久々に逢いに来た幼馴染に、随分な冷遇じゃない！？」

尊とは父親同士が仲が良く、家族で尊の実家の中華料理店にもよく行った。外で仲良く遊ぶような事はなかったが、店に行けば尊がよく手伝いをしていたので、食事が終わると店内で遊んだりはしていた。

「あ、ねえ、リコって誰？」
「うるせえなあ、誰でもいいだろ」
「恋人？　たけちゃん面食いだから、また美人なんだろうなあ」
「美人？　ああ、美人なんだろうな」
「なにそれ、謙遜？　ねえ、恋人なの？　寝言で言っちゃうくらいだもんね」
「寝言？」
「私が呼んだら、うーんリコぉ、だって」
「ああ、そう」

そっけなく言って顔をそむけたが、薄暗い中でもその顔がほんのり赤く染まったことを月子は見逃さない。

「まさか、片思い？」
「うるせえ」
「嘘、たけちゃんが、片思い！？」

含み笑いで言う月子を、尊は睨み付ける。

「たけちゃんって呼ぶな。ったく、拓弥と言い、俺をなんだと……」
「だって小学生からでしょ、入れ食いだったの」
「──うるせえよ」

二人は小学校、中学校と一緒だった。尊は小学校高学年で既に中学生の恋人がいたと噂がある。勿論その頃は相手から言い寄られて、なのだが、尊に口説かれたいと言う女がわんさかいたのを月子は知っている。