Crazy for you ~引きこもり姫と肉食シェフ~
「た……っ!」
体が反転し、尊は体で莉子の体を押さえ付けた。
「尊、なんで……!」
ご飯にしようと言っていたのに。
「珍しく可愛い笑顔だと思って。我慢できなかった」
「か、可愛いって……いつもは可愛くないみたい……っ」
「可愛いけどさ」
尊は臆面もなく嬉しそうに言う。
「無防備って言うか、心の底からの本気の笑顔って、あんま見たことないからさ」
言葉に莉子は頬を赤く染める。
「本気の……?」
「20何年も香子に抑圧されてて難しいだろうけど。もう自分を解放してやったら? いつまでも香子の言いなりになる必要なんかないだろ?」
「……香子の、言いなり……」
なっていたつもりはないが、香子の影にいる事しかないと思っていたのは事実だと思った。
「──うん」
「莉子は莉子で輝ける、俺はそんな莉子を好きになった」
言われて自然と笑みがこぼれた。初めて人を好きになった、その相手からも自分の存在を認めてもらえた。幸せが全てを満たしていた。
そんな幸せを噛み締めていると。
「ご飯はいいや。莉子食べるから」
そう言って尊は莉子の首筋に噛み付いた。
***
翌朝、香子はSNSに上がった画像に見入っていた。
それは尊の店の宣伝用のものだが、珍しく個人的な情報を載せていた。香子も知ってる、莉子の部屋で撮られた写真が貼りつけられていた。尊と、尊に肩を抱かれた莉子の写真だ。莉子は香子が見たことがないほど明るい笑顔を見せていた。
ダイニングテーブルには食べかけの食事があった、尊が作った夕飯だが香子にはどうでもいい。その写真を撮ったのは拓弥だ、昨夜夕飯を作ると呼び寄せ三人で食べた。その時撮らせて早速SNSに載せた。
「──なに、これ」
腹の底から怒りが込み上げてくる。自分を簡単にいなして振った尊にも腹が立つが、なにより自分に黙って尊と交際を始め、眩しいほどの笑顔で尊と並んで写真に納まっている莉子にはらわたが煮えくり返る思いがした。
昨夜、莉子のマンションに寄り道してやればよかった、と臍を噛む。朝まで居座ってやればよかったと。
『恋人です』
そんな文字が目に入って思わず読み始めてしまった。
『お店に足繁く通ってくださってる方はご存知だと思いますが、彼女は恋人です。莉子といいます。隠し撮りされた僕達の写真が近日雑誌に載るそうです。莉子のお姉さんはCaccoと言う名前で活動しているアーティストなので間違われてしまったようです。でも僕の恋人は莉子です』
根回しか──苛立ちが募った。
『どうか大きな騒ぎにしないでください、莉子はただただ普通の女の子です。僕達は静かに愛を育んでいます。出版社にもかけあったのですが、既に印刷も終わっていて発行するだけの状態なので削除も無理だと言われました、次回以降の号で訂正文を載せて下さるそうです』
『雑誌をお手に取ってくださることは構いませんが、嘘や憶測で固められた記事です、絶対信じないでください。こんな形でプライベートが晒される事に憤りは感じますが、過ぎてしまったことは諦めます。ただ僕が愛している女性は莉子だけです、それだけは真実です』
最後に店のSNSに個人的な事を載せたことの詫びが載って締めくくられていた。
「──先手必勝、とでも言うの?」
雑誌が店頭に並ぶ前に公言しておこうと言う意思がはっきりと感じられた。
尊の言葉への返信をいくつか見た。
『莉子さんって言うんでね! いつも仲良さそうだなって見てました、お幸せに!』
『今更恋人宣言ですかー!?(にやり)』
『誰かに似てるなあって思ってた! Caccoだったんだ!』
読んでスマホを握り潰したい衝動に駆られる。
(……私だってことにしておいてくれたらよかったのに……)
根暗な莉子より、自分の方がいいと思っている。現に今までにも莉子が好きだと言う男性を何人寝取って来たか。
ふと気付いた、関連なのか、『Rico』と言う名前を見つけた。まさかと開いてみて驚く。
この為に初めて開設したのだろうと思えた。最初で最後の投稿は、尊のページと同じ写真がアップされていた、正しく『莉子』であるアピールだろう。文字はないが、もう一枚写真が添えられていた。
それは二人が向かい合わせに額を合わせ、尊が口元まで持ち上げた莉子の指先にキスをしている写真だった。仲睦まじい、などと言うレベルではない、当てつけるような写真に、香子はスマホをソファーに叩きつけていた。
「……莉子……あんた……!」
奥歯が妙な音を立てた。半身を奪われる、そんな焦燥感が香子を蝕む。
***
雑誌が出版された晩。
「オーナー」
古株のウェイターが厨房の尊を呼ぶ。
「海野月子さんが来ましたよ」
「……はあ?」
閉店間際の為、既に皆片付けに入っている、そんな時の来店のみならず旧知の女の名前に尊は眉間に皴を寄せる。
そのままフロアに出た、月子はいつも莉子が利用する半個室で待っていた。もっとも座っているのは香子同様、上座の席だった。
「はあい、たけちゃん」
「たけちゃんって呼ぶな」
尊は不機嫌に返して、いつも莉子が座る下座の席に座る。
「何の用だ?」
「レストランでしょ、食事に決まってるでしょ、なーんてね」
月子だってラストオーダーの時間は知っている、店の閉店時間も。
店内にはまばらに客がいた、月子の登場にざわめいているのが判る。
「明日、鎌倉辺りを散策する番組を収録するから前乗りで大船にホテルを取ったからさ。ちょっと寄り道でたけちゃんの顔を見てやろうと思ってさ」
「いいご身分だな」
「なによ、ご機嫌斜めね。ああ、すっぱ抜かれたから? もうなによお、芸能人は嫌いだとか言ってたくせに、あんな大物と付き合ってたなんて!」
「芸能人が嫌いだなんて言ってない。俺は芸能人をやってる邦子が嫌いなんだ」
「ま、はっきり言うわね」
「それに、あれは香子じゃないからな」
「ええ!? どんな言い逃れよ!」
尊は大きな溜息を吐いた、先手を打ったつもりのSNSだが、そこにも「香子に妹などいいない」と言う書き込みは多かった。その他罵詈雑言が絶えず、結局今は全てを封鎖している。
「本当なんだよ、莉子は香子の双子の妹で」
「それが本当なら、なんでCacco本人がそれを言わないの? そんな情報、これっぽちも流れてこないわよ」
「──ああ」
香子は尊すら宣伝の材料にしようとしていると判る、そして決してゴーストライターである莉子の存在を知られたくないのだと。
「──あー、マジむかつく……!」
「ああ、狙われちゃったのか」
月子はふふんっと微笑んで言う。
「やかましい」
「色男も辛いわね」
「そんな事思った事もない」
「ええ!? そんな馬鹿な!」
「ひやかしなら帰れ」
「なによ、お茶くらい出しなさいよ」
「もう閉店なんだよ。どうせ面白がってきただけだろ」
「まあそうだけど。公になってどれだけ鼻の下伸ばしてるかなあと思ってさ」
からかって言うと、尊は遠慮なく月子を睨みつけた、さすがに言い過ぎたと月子は内心謝る。
「んじゃあさ。ちゃんとメディアに出て報告したらいいじゃない? 自分はCaccoの妹のリコだよって」
尊は大きな溜息を吐いた。
「それな──どうも香子の熱狂的なファンはいるらしい。こんだけ騒ぎが大きくなって、莉子に被害があったりしたら……現に俺が襲われたのも香子ファンの馬鹿だったし、そいつが莉子を攫おうとしたし」
「あらやだ、ホント? 怖いわねえ」
「だからあいつを表に出すのは……」
「誰を守りたいの?」
そんな言葉に、尊は月子を見た、月子は優しく微笑んでいる。
「自分が表に立って守ってやろうって頑張るのはいいけどさ。限度はあるでしょ? それで尊ばっか傷ついてたらリコちゃんも哀しむんじゃない?」
自分がそうだ、と月子は思う。自分を守ろうと尊だけが孤軍奮闘しているのは嫌だと。
「鎌倉の帰りに店に寄るわ。取材させてよ」
「テレビは手間がかかるから断ってんだよ」
「そんな事言わないで。リコちゃんも店の手伝いをしてるとかで紹介しましょ。明日は営業日だっけ? できるだけ遅い方がいい?」
「そもそも莉子が来るとは……」
引っ込み思案なのは判っている、それがテレビになど出るだろうか。
「現状は知ってるんでしょ? 姉と間違われて嫌なんじゃないの?」
「──嫌がってはいたけど」
「じゃあ、そこは尊の愛の力で呼び寄せてよ。とりあえずプロデューサーには話しておく。それで本当に来れるかどうか決まるし、そもそも放送に乗るかも判らないけど……まあ、ゴシップなら食いつくかな」
言いながら立ち上がった。
「じゃあ、明日。改めてお店に電話するわ」
月子は尊個人の連絡先を知らない、もっとも拓弥あたりに聞けばあっさり教えてもらえるとは思っているが。
「悪いな」
「いいえ、大事な幼馴染だからね」
微笑んで店を出る、まだ残っている客が月子の存在にざわめいているのを背中に聞ながら。
「──本当にやんなちゃう、人がよ過ぎよね」
他人の恋路など、ましてや片思いしている男の恋愛など放っておけばいいのに。
尊の本気を見た、そんな風に愛される女を見てみたい、と言う気持ちも何処かにあった。
***
海野月子がやって来たのは20時半を回っていた。
「はあい、たけちゃん」
明るく言うが、尊は不機嫌だ。いつもならもう閉店準備もしているのに、数人のお客にも残ってもらっての撮影だった。尊の隣に立つ莉子は、現れた大女優に興奮気味だった。
「たけちゃんって言うな」
腕を組んだまま言う尊を、隣に立つ莉子は不思議そうに見上げる。
「たけちゃんって呼ばれてるんだ?」
「忘れろ」
幼馴染だとは聞いていた、それだけ仲が良いのだと判って莉子は納得する。
エプロンを着けて待つ莉子に、月子は驚く。
「──え、本当に、Caccoじゃないの? ってごめん、実物のCaccoに会ったことはないからよくは判らないんだけど」
だからこそ、よく似ていると思う。
莉子は困ったように微笑む。
「莉子だって言ってんだろ」
尊が半ば怒鳴る。
「双子とは言え、こうも似る?」
「邦子」
本名で呼ばれ、月子は首を竦める。莉子は初めて海野月子が芸名だと判った。
「ああ、ごめん。でも本当にそっくりだわ、これを間違えるなって言う方が無理よ?」
「何処がだよ、似てねえだろ。いや似てねえことはないけど、莉子は莉子だ」
そもそもが一卵性の双子なのだ、似てない筈はない。だからこそ莉子には尊の言葉が嬉しい。
「あらま愛の力ね、腹立たしい程の。まあ親は見分けられるって言うもんねえ。ああ、それで、その証拠みたいのは?」
言われて莉子は、身に着けていたエプロンのポケットから数枚の写真を出した。
「ごめんなさい、最近の……香子がデビューしたくらいからは二人で並んだ写真はなくて」
成人式に並んで撮ったものが最後だった。
「まあこれで十分Caccoが双子だとは判るわね。そうねえ、あそこまで有名人の姉を持つと、肩身が狭い感じ?」
「……ええ……まあ……」
莉子は言い濁す、尊がゴーストライターの件を話していないと判った。
「拓弥くんも嫌がってたもんね、尊がテレビとか出るの。兄弟が有名人になるって微妙なのね」
月子自身は一人っ子で、その辺りの事情は判らない。
それから撮影の打ち合わせをし、月子が久々に尊の店に寄りますと言う体で始まる。
「ようこそ、Le Bonheur(レ・ボナー)へ」
いつものようにウェイターがドアを開け迎い入れる。
「ぶらり途中下車で寄っちゃいました」
にこにこと女優の笑顔で月子は店内に入ってくる。
「急にごめんね、尊くん」
いつもは呼び捨てや「たけちゃん」だが、さすがにテレビの手前、少々繕う。厨房から出て来た尊も営業スマイルで応える。
「て、あ、え、あの後ろ姿は! 噂の恋人!? 嘘、あのCaccoが尊くんのお店手伝ってるの!?」
呼ばれて客にサーブしていた莉子は振り返った、笑顔にはなれず、引きつった顔を自覚しつつも立っていると尊と目が合った、優しく微笑まれて緊張が一気にほぐれる。
「もう、紹介してよ、尊くん」
月子が尊の二の腕を殴る様に突くのに、ほんの少し嫉妬する。
「ああ、莉子」
呼ばれてそんな気持ちも吹き飛んだ、するすると歩いて尊の隣に並ぶと、尊はすぐに莉子の肩に腕を回す。
「お付き合いさせてもらってる、花村莉子さんです」
言われて莉子はぺこりと頭を下げる。
「え、リコさん? カコさんでしょ?」
「それは──」
本来なら莉子が説明するはずだったが、莉子ではうまく喋れないと、周りの皆が判断してくれた、結果尊が代行する、莉子は隣でうんうんと頷いていた。
放送ではここで莉子が持ってきた写真がインサートで入る手筈だ。
体が反転し、尊は体で莉子の体を押さえ付けた。
「尊、なんで……!」
ご飯にしようと言っていたのに。
「珍しく可愛い笑顔だと思って。我慢できなかった」
「か、可愛いって……いつもは可愛くないみたい……っ」
「可愛いけどさ」
尊は臆面もなく嬉しそうに言う。
「無防備って言うか、心の底からの本気の笑顔って、あんま見たことないからさ」
言葉に莉子は頬を赤く染める。
「本気の……?」
「20何年も香子に抑圧されてて難しいだろうけど。もう自分を解放してやったら? いつまでも香子の言いなりになる必要なんかないだろ?」
「……香子の、言いなり……」
なっていたつもりはないが、香子の影にいる事しかないと思っていたのは事実だと思った。
「──うん」
「莉子は莉子で輝ける、俺はそんな莉子を好きになった」
言われて自然と笑みがこぼれた。初めて人を好きになった、その相手からも自分の存在を認めてもらえた。幸せが全てを満たしていた。
そんな幸せを噛み締めていると。
「ご飯はいいや。莉子食べるから」
そう言って尊は莉子の首筋に噛み付いた。
***
翌朝、香子はSNSに上がった画像に見入っていた。
それは尊の店の宣伝用のものだが、珍しく個人的な情報を載せていた。香子も知ってる、莉子の部屋で撮られた写真が貼りつけられていた。尊と、尊に肩を抱かれた莉子の写真だ。莉子は香子が見たことがないほど明るい笑顔を見せていた。
ダイニングテーブルには食べかけの食事があった、尊が作った夕飯だが香子にはどうでもいい。その写真を撮ったのは拓弥だ、昨夜夕飯を作ると呼び寄せ三人で食べた。その時撮らせて早速SNSに載せた。
「──なに、これ」
腹の底から怒りが込み上げてくる。自分を簡単にいなして振った尊にも腹が立つが、なにより自分に黙って尊と交際を始め、眩しいほどの笑顔で尊と並んで写真に納まっている莉子にはらわたが煮えくり返る思いがした。
昨夜、莉子のマンションに寄り道してやればよかった、と臍を噛む。朝まで居座ってやればよかったと。
『恋人です』
そんな文字が目に入って思わず読み始めてしまった。
『お店に足繁く通ってくださってる方はご存知だと思いますが、彼女は恋人です。莉子といいます。隠し撮りされた僕達の写真が近日雑誌に載るそうです。莉子のお姉さんはCaccoと言う名前で活動しているアーティストなので間違われてしまったようです。でも僕の恋人は莉子です』
根回しか──苛立ちが募った。
『どうか大きな騒ぎにしないでください、莉子はただただ普通の女の子です。僕達は静かに愛を育んでいます。出版社にもかけあったのですが、既に印刷も終わっていて発行するだけの状態なので削除も無理だと言われました、次回以降の号で訂正文を載せて下さるそうです』
『雑誌をお手に取ってくださることは構いませんが、嘘や憶測で固められた記事です、絶対信じないでください。こんな形でプライベートが晒される事に憤りは感じますが、過ぎてしまったことは諦めます。ただ僕が愛している女性は莉子だけです、それだけは真実です』
最後に店のSNSに個人的な事を載せたことの詫びが載って締めくくられていた。
「──先手必勝、とでも言うの?」
雑誌が店頭に並ぶ前に公言しておこうと言う意思がはっきりと感じられた。
尊の言葉への返信をいくつか見た。
『莉子さんって言うんでね! いつも仲良さそうだなって見てました、お幸せに!』
『今更恋人宣言ですかー!?(にやり)』
『誰かに似てるなあって思ってた! Caccoだったんだ!』
読んでスマホを握り潰したい衝動に駆られる。
(……私だってことにしておいてくれたらよかったのに……)
根暗な莉子より、自分の方がいいと思っている。現に今までにも莉子が好きだと言う男性を何人寝取って来たか。
ふと気付いた、関連なのか、『Rico』と言う名前を見つけた。まさかと開いてみて驚く。
この為に初めて開設したのだろうと思えた。最初で最後の投稿は、尊のページと同じ写真がアップされていた、正しく『莉子』であるアピールだろう。文字はないが、もう一枚写真が添えられていた。
それは二人が向かい合わせに額を合わせ、尊が口元まで持ち上げた莉子の指先にキスをしている写真だった。仲睦まじい、などと言うレベルではない、当てつけるような写真に、香子はスマホをソファーに叩きつけていた。
「……莉子……あんた……!」
奥歯が妙な音を立てた。半身を奪われる、そんな焦燥感が香子を蝕む。
***
雑誌が出版された晩。
「オーナー」
古株のウェイターが厨房の尊を呼ぶ。
「海野月子さんが来ましたよ」
「……はあ?」
閉店間際の為、既に皆片付けに入っている、そんな時の来店のみならず旧知の女の名前に尊は眉間に皴を寄せる。
そのままフロアに出た、月子はいつも莉子が利用する半個室で待っていた。もっとも座っているのは香子同様、上座の席だった。
「はあい、たけちゃん」
「たけちゃんって呼ぶな」
尊は不機嫌に返して、いつも莉子が座る下座の席に座る。
「何の用だ?」
「レストランでしょ、食事に決まってるでしょ、なーんてね」
月子だってラストオーダーの時間は知っている、店の閉店時間も。
店内にはまばらに客がいた、月子の登場にざわめいているのが判る。
「明日、鎌倉辺りを散策する番組を収録するから前乗りで大船にホテルを取ったからさ。ちょっと寄り道でたけちゃんの顔を見てやろうと思ってさ」
「いいご身分だな」
「なによ、ご機嫌斜めね。ああ、すっぱ抜かれたから? もうなによお、芸能人は嫌いだとか言ってたくせに、あんな大物と付き合ってたなんて!」
「芸能人が嫌いだなんて言ってない。俺は芸能人をやってる邦子が嫌いなんだ」
「ま、はっきり言うわね」
「それに、あれは香子じゃないからな」
「ええ!? どんな言い逃れよ!」
尊は大きな溜息を吐いた、先手を打ったつもりのSNSだが、そこにも「香子に妹などいいない」と言う書き込みは多かった。その他罵詈雑言が絶えず、結局今は全てを封鎖している。
「本当なんだよ、莉子は香子の双子の妹で」
「それが本当なら、なんでCacco本人がそれを言わないの? そんな情報、これっぽちも流れてこないわよ」
「──ああ」
香子は尊すら宣伝の材料にしようとしていると判る、そして決してゴーストライターである莉子の存在を知られたくないのだと。
「──あー、マジむかつく……!」
「ああ、狙われちゃったのか」
月子はふふんっと微笑んで言う。
「やかましい」
「色男も辛いわね」
「そんな事思った事もない」
「ええ!? そんな馬鹿な!」
「ひやかしなら帰れ」
「なによ、お茶くらい出しなさいよ」
「もう閉店なんだよ。どうせ面白がってきただけだろ」
「まあそうだけど。公になってどれだけ鼻の下伸ばしてるかなあと思ってさ」
からかって言うと、尊は遠慮なく月子を睨みつけた、さすがに言い過ぎたと月子は内心謝る。
「んじゃあさ。ちゃんとメディアに出て報告したらいいじゃない? 自分はCaccoの妹のリコだよって」
尊は大きな溜息を吐いた。
「それな──どうも香子の熱狂的なファンはいるらしい。こんだけ騒ぎが大きくなって、莉子に被害があったりしたら……現に俺が襲われたのも香子ファンの馬鹿だったし、そいつが莉子を攫おうとしたし」
「あらやだ、ホント? 怖いわねえ」
「だからあいつを表に出すのは……」
「誰を守りたいの?」
そんな言葉に、尊は月子を見た、月子は優しく微笑んでいる。
「自分が表に立って守ってやろうって頑張るのはいいけどさ。限度はあるでしょ? それで尊ばっか傷ついてたらリコちゃんも哀しむんじゃない?」
自分がそうだ、と月子は思う。自分を守ろうと尊だけが孤軍奮闘しているのは嫌だと。
「鎌倉の帰りに店に寄るわ。取材させてよ」
「テレビは手間がかかるから断ってんだよ」
「そんな事言わないで。リコちゃんも店の手伝いをしてるとかで紹介しましょ。明日は営業日だっけ? できるだけ遅い方がいい?」
「そもそも莉子が来るとは……」
引っ込み思案なのは判っている、それがテレビになど出るだろうか。
「現状は知ってるんでしょ? 姉と間違われて嫌なんじゃないの?」
「──嫌がってはいたけど」
「じゃあ、そこは尊の愛の力で呼び寄せてよ。とりあえずプロデューサーには話しておく。それで本当に来れるかどうか決まるし、そもそも放送に乗るかも判らないけど……まあ、ゴシップなら食いつくかな」
言いながら立ち上がった。
「じゃあ、明日。改めてお店に電話するわ」
月子は尊個人の連絡先を知らない、もっとも拓弥あたりに聞けばあっさり教えてもらえるとは思っているが。
「悪いな」
「いいえ、大事な幼馴染だからね」
微笑んで店を出る、まだ残っている客が月子の存在にざわめいているのを背中に聞ながら。
「──本当にやんなちゃう、人がよ過ぎよね」
他人の恋路など、ましてや片思いしている男の恋愛など放っておけばいいのに。
尊の本気を見た、そんな風に愛される女を見てみたい、と言う気持ちも何処かにあった。
***
海野月子がやって来たのは20時半を回っていた。
「はあい、たけちゃん」
明るく言うが、尊は不機嫌だ。いつもならもう閉店準備もしているのに、数人のお客にも残ってもらっての撮影だった。尊の隣に立つ莉子は、現れた大女優に興奮気味だった。
「たけちゃんって言うな」
腕を組んだまま言う尊を、隣に立つ莉子は不思議そうに見上げる。
「たけちゃんって呼ばれてるんだ?」
「忘れろ」
幼馴染だとは聞いていた、それだけ仲が良いのだと判って莉子は納得する。
エプロンを着けて待つ莉子に、月子は驚く。
「──え、本当に、Caccoじゃないの? ってごめん、実物のCaccoに会ったことはないからよくは判らないんだけど」
だからこそ、よく似ていると思う。
莉子は困ったように微笑む。
「莉子だって言ってんだろ」
尊が半ば怒鳴る。
「双子とは言え、こうも似る?」
「邦子」
本名で呼ばれ、月子は首を竦める。莉子は初めて海野月子が芸名だと判った。
「ああ、ごめん。でも本当にそっくりだわ、これを間違えるなって言う方が無理よ?」
「何処がだよ、似てねえだろ。いや似てねえことはないけど、莉子は莉子だ」
そもそもが一卵性の双子なのだ、似てない筈はない。だからこそ莉子には尊の言葉が嬉しい。
「あらま愛の力ね、腹立たしい程の。まあ親は見分けられるって言うもんねえ。ああ、それで、その証拠みたいのは?」
言われて莉子は、身に着けていたエプロンのポケットから数枚の写真を出した。
「ごめんなさい、最近の……香子がデビューしたくらいからは二人で並んだ写真はなくて」
成人式に並んで撮ったものが最後だった。
「まあこれで十分Caccoが双子だとは判るわね。そうねえ、あそこまで有名人の姉を持つと、肩身が狭い感じ?」
「……ええ……まあ……」
莉子は言い濁す、尊がゴーストライターの件を話していないと判った。
「拓弥くんも嫌がってたもんね、尊がテレビとか出るの。兄弟が有名人になるって微妙なのね」
月子自身は一人っ子で、その辺りの事情は判らない。
それから撮影の打ち合わせをし、月子が久々に尊の店に寄りますと言う体で始まる。
「ようこそ、Le Bonheur(レ・ボナー)へ」
いつものようにウェイターがドアを開け迎い入れる。
「ぶらり途中下車で寄っちゃいました」
にこにこと女優の笑顔で月子は店内に入ってくる。
「急にごめんね、尊くん」
いつもは呼び捨てや「たけちゃん」だが、さすがにテレビの手前、少々繕う。厨房から出て来た尊も営業スマイルで応える。
「て、あ、え、あの後ろ姿は! 噂の恋人!? 嘘、あのCaccoが尊くんのお店手伝ってるの!?」
呼ばれて客にサーブしていた莉子は振り返った、笑顔にはなれず、引きつった顔を自覚しつつも立っていると尊と目が合った、優しく微笑まれて緊張が一気にほぐれる。
「もう、紹介してよ、尊くん」
月子が尊の二の腕を殴る様に突くのに、ほんの少し嫉妬する。
「ああ、莉子」
呼ばれてそんな気持ちも吹き飛んだ、するすると歩いて尊の隣に並ぶと、尊はすぐに莉子の肩に腕を回す。
「お付き合いさせてもらってる、花村莉子さんです」
言われて莉子はぺこりと頭を下げる。
「え、リコさん? カコさんでしょ?」
「それは──」
本来なら莉子が説明するはずだったが、莉子ではうまく喋れないと、周りの皆が判断してくれた、結果尊が代行する、莉子は隣でうんうんと頷いていた。
放送ではここで莉子が持ってきた写真がインサートで入る手筈だ。