野獣は時に優しく牙を剥く

 噂では有名スポーツ用品メーカーの創業者である谷堅志郎の孫にあたるらしい。

 御曹司と言われれば納得できる。
 彼の品の良さは生まれ持った家柄なのだと。

 エレベーターが55階に着いて歩を進めると彼は1つのドアの前で立ち止まった。
 そして澪を見て最終確認とばかりに告げた。

「引き返すのなら今のうちだよ。
 どうする?」

 澪は苦し紛れに彼を見上げて睨みつける。

「引き返しません。」

「……後悔しなきゃいいけど。」

 視線を前方へと戻した谷がドアを開けるのを見て緊張から思わず喉が鳴った。

 彼は気付かないフリをしたのか、それとも聞こえなかったのか、ガチャリと開いたドアを押して澪を中へと促した。

 背中の辺りに嫌な痛みを感じたが、それを見ないようにして足を踏み出す。

 彼とはこういう関係になりたくなかった。
 自分を拾ってくれて恩義を感じている彼へは違った形で返したかった。

 けれど、それはもう叶わない。

 気持ち悪いオジサンじゃなく見目麗しい彼がお相手してくれるだけ有り難いと思おう。
 そう強く決意して真っ直ぐに前を向いた。

< 16 / 233 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop